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短編置き場
煙草と夢と 6

 ――二十一歳の一月が、酷く寒かったことをよく、覚えている。
 寒さに震えながら、それでも約束の十五分前に待ち合わせ場所に立った。どんなに待っても十五分だ、健雄は絶対に遅れてこない、そう言い聞かせて、十五分前に立った。
 ――けれど私は、一時間近く待ち合わせ場所に立ち尽くすことになった。スニーカーの足許を見つめたまま、一歩すら動けないまま。

「――遅れて、ごめん」

 健雄の声が耳に届いて、私はほっとして顔を上げ、まるでしがみつくみたいに健雄の左腕に自分の右腕を絡めた。その、とき――不意に、
 匂いに、
 気付いた。
 じり、と何かが焦げるような痛みが、胸の中をかき乱した。

「……煙草……吸ってる?」

 スニーカーの足下(あしもと)が、急に不安定になった気が、した。
 ――煙草の匂い、ひとつで。

「ああ……匂う?」

 健雄はおかしそうに笑った。眼鏡の奥の目を、優しげに細めた、私の一番好きな笑い方を、した。

「……友達(ツレ)が、吸うんだよね。大学の。――女の人なのに、すっげぇ吸うの」

 ――おんなのひと、と頭の中でくり返したせいで、健雄の声は少し遠かった。――ミキさんて呼んでる、ハギノミキコさんって言うんだけど、と、言った。たぶん。

「――ふうん?」

 私はいい加減な返事をした。脈打つ心臓の速さに戸惑いながら。

「――ねえ……」

 私のかけた小さな声に、健雄は私を見た。その健雄の顔が笑顔だったから、言いかけた科白を飲み込んだ。代わりの言葉を探した。懸命に。

「……女の人なのに、って言い方、駄目」

 健雄は目を細めて笑った。レンズの向こうの、優しい、可愛い瞳を、細めて。

「ごめんなさい!」

 私も合わせて笑った。
 だけど。

(――会って、来たの?)

 匂いが残るほど、近い時間に。

(それで、遅れたの?)

 匂いが移るほど、長い時間を。
 一緒に、いたの?
 ――思ったけれど、言えなかった。信じようと思った。このひとを。だけど……。
 その夜――夢を、見た。
 赤い口紅で彩られた唇と、銜(くわ)えられた白い煙草。吸い終わって笑う唇は、健雄の名前を、呼んだ。
 ただそれだけ。たったそれだけの短い夢なのに、心臓が、ひどく……高鳴って目が覚めた。
 健雄を好きだった。すごく、好きだったのに。
 いつも清潔な石鹸の匂いがしていた、健雄のことを、とてもとても、好きだったのに。
 煙草の、匂いを、
 この唇が、つけ、た……。


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あきゅろす。
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