短編置き場
煙草と夢と 4
奈緒子と二人で話し始めたのは、どのくらいの時間が経ってからだったのだろう。私は新しい煙草の箱を開け、口に銜えた。銀色のライターが、薄暗い店内で鈍く光った。
「……いきなり話題、シビアでもいい?」
「何よ、今更。いつものことでしょ」
「確かにね」
奈緒子は少し笑って、先を続ける。
「松尾、別れたんだってね? ハギノミキコとかって女と」
「――ふうん?」
私は何かを考える前に声にしていた。チリ、と一瞬、胸に痛みを感じた。けれど、唇は笑っていただろう。煙草に火をつけながら、次に続くべき科白を探した。
「――ねえ、それ、最近?」
吸い込んだ煙と共にその科白を吐いて、私は奈緒子を見た。口中に広がるメンソールの味に、昔は薄荷味のキャンディすら食べられなかったのに、と話とはまったく関係のないことを思った。
「そうみたいよ」
奈緒子が私の視線に気付き、こちらを向いた。無遠慮な、興味深そうな瞳。
「――ねえ、興味……あるの?」
「ないわ」
きっぱりと私は言い放った。
「ないわよ、今更」
もう一度同じような科白を繰り返した後、奈緒子に向かって、少しだけ微笑んだ。
「愛してたのかどうかも、自信ないもの」
それは――あの時からずっとくり返された科白……、他人に尋ねられた時のために用意された科白、だ。そして――くり返し、何度もくり返し、そのうちに嘘なのか真実なのかもわからなくなった、科白だった。
奈緒子が首を傾げたのに気付いたが、私は微笑ひとつ返しただけで、それ以上は何も言わずに煙草をすった。普段なら一番目につきにくいはずの壁際に、二人で並んだまま、どちらも口を開かずにいた。
そう――目に付かないはずだった。誰も私たちに目を配る人間はいないはずだった。けれど、私は感じていた。店内にいるかつての級友たちの「変わってしまった田口祥子」を見る視線を。ずっと、今も。
「言いにくいことを言ってくれて、どうも」
「みんな、意気地がないんだから、仕方ないわ!」
くすくすと私たちは笑いあう。そういえば、と私は考える。そういえば、あれほど質問攻めにされたのに、誰一人として健雄とのことを訊かなかった。
「――周知の事実ってやつ?」
「ご名答。……来るらしいしさ、松尾」
「そう。ご忠告、ありがと」
私は微笑してそれを言い捨て、カウンターへ向かった。奈緒子はそのまま、動かなかった。
カウンターでジントニックを受け取り、私は人の波のなかに入ってゆく。別に特別話したい人がいるわけでもない。昔話や近況報告に花を咲かせたいわけでもなかった。それを望むほど、社交的でもなければ、協調性があるわけでもない。高校時代に戻りたくなんてないし、できることなら思い出したくもない。けれどそれでも――それでも、人の中に入って行く。
ただ、私は確かめたかった。
他人の視線で、言葉で、自分の存在を。
変わってしまった田口祥子の存在を。
――私が、誰かの瞳をひきつけることが、できるのかを……。
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