短編置き場
水月市8
私はどこか遠くにひとりで残されている。
自分で目立っているようなふりをして、何食わぬ顔で、ぼんやり目立っている。
――私は、月だ。
青白く、淋しいものでしかなかった。
遠めにしか美しくなんてない。近づいた人がいないから、わからないだけ。わかってしまったら、誰も二度と近づいたりしないだろう。
寒々としてる。でこぼことして、淋しい場所。
かわいらしくない、こわしていい、安っぽい玩具。
――可愛らしくない、いやなひと。
みなちゃんも、ちいちゃんも、きっと知らないだろう。
私がいつも、おかしなことばかり考えていること。
笑おうとしていること。
――そうゆう、打算で動いてるイヤな人間だってこと。
「お姉ちゃん、あの歌うたってね」
ちいちゃんが、笑顔で言った。私は、うん、とこたえる。
うん。わかった。歌うね。
そうして、笑うふりをした。
――私は歌が好き。
「えええ、じゃあ、私もリクエストー」
みなちゃんが、言う。
「うん」
笑った。
「なんでも、歌うよ」
――笑った。
好きな何かで、どうか誰かのこえにこたえられますように。
好きな誰かのためい、ささやかにでも、何かができますように。
――祈る。
「そろそろ、行こうか」
食べ終わったあとの空の皿の上に、紙ナプキンを放るようにして置いた。灰皿の上の、ゆるやかに煙をあげつづけている煙草を、ひとくち深く吸い込んでから、もみけした。
トレイにのったからの食器を、カウンターに返しながら、私は、祈った。
どうか笑えますように。どうか。上手に。
どうか、大切なひとたちと一緒にいられますように。
――例えば、何かをなくしてしまったとしても。二度と歌えなかったり、走れなかったり、読書の時間がなくなってしまったとしたって、それでも。
どうか、上手に笑い続けて、大切なひとに嫌われずにいられますように。
コーヒーに何も入れられない弱さも、自分をキライだと言い切れる弱さも、全部、包み隠して、大人のふりを無理に続けなければならないとしても、それでも、
それでも、
――誰かを愛してる。
お姉ちゃん、お姉さん、と二人の声が重なった。私は笑った。
用意して、計算して笑ったけれど、でも――でもそれだからこそできる、最高の笑顔で。
20090904再録
一番最初に試験的に発表したものです。少しだけ編集しました。
「お姉さん」が夜中に読んでいたのは江国香織の「落下する夕方」という設定でした。
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