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短編置き場
さよならの行方 9

 三月十四日、ホワイトデイ。
 カーテンの向こうの空が眩しくて、春臣は目を覚ました。
 亜也子に起きた、迎えに行きますとメールを入れると、すぐに身支度を始めた。テレビをつけて、天気予報をやっているチャンネルを探す。
 今回は、午前中から始まって、夕方には終わる。天気も陽気もよさそうだ。黒のファージャケットは気に入っていたが、今日は出番がなさそうだ。グレーの薄手のジャケットをクローゼットから取り出す。去年クリーニングから戻ってきた時のままになっているビニールの袋を外して羽織る。
 亜也子からメールの返信が届いた。
 待ってる、とだけ。
 迎えに行くだけにしては早すぎる時間だ。集合時間の三時間前、目的地までは車で二十分ほどしかかからない。それがわかっているのに、春臣は部屋を出た。会社に出勤するのとそう変わらない朝の時間、道は空いていた。気分良く車を走らせながら、春臣は今日のセットリストを頭の中で確認する。
 亜也子の歌声とともに。

 春臣が部屋についたとき、亜也子はまだ身支度全てを終えてはいなかった。

「はやかったね」

 眼鏡姿の彼女が苦笑しながら、それでも春臣を部屋に招き入れる。コーヒーのいい香りと、煙草の匂いとが入り混じった部屋の中に、亜也子の甘い香水の香りがふわりと浮いていた。

「コーヒー飲む?」
「うん」

 白いソファに座ると、テーブルには今日のスコアが広げられていた。その中に混じった、一枚のスコア。手書きの、シンプルなスコア。それが目に入って、春臣はそっとため息をつく。
 この歌を亜也子が歌っている限り、亜也子は「俊さん」を忘れることはないだろう。

 けれどこの歌は捨てられないだろう。それは春臣にもわかっている。
 春臣自身が認めてしまっていた。

(亜也子さんの歌を、)
(好きだったんでしょうね)

 最初にそれを告げてしまったのは春臣自身だった。
 亜也子を好きになるより前、こんな風に、自分に「俊」という存在がのしかかってくると知る前。

(亜也子さんもしらない亜也子さんにぴったりの)
(亜也子さんのための歌)

 その泣き顔に、笑顔に、いとも簡単に恋に落ちて。

(愛していたんだと、思う)

 その言葉自体には嘘はない。本気でそう思った。
 彼女の歌を好きだと思ったのも、あの歌が最初だった。
 けれど。




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あきゅろす。
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