短編置き場 さよならの行方 6 亜也子の表情がすっと曇る。鍵を差しかけた指が止まる。春臣はその指から鍵を奪って、部屋のドアを開けた。鍵を亜也子の手に戻すと、先に立って部屋に入る。何度か尋ね、何度か泊まったこの部屋は、春臣にとっても居心地のいい部屋になりつつあった。そのはずなのに、亜也子の雰囲気ひとつで、この部屋は自分をいとも簡単に拒否をする。 「コーヒーいれるよ」 それを認めたくなくて、春臣は部屋の明かりをつける。やかんを火にかける。静かに亜也子は部屋の奥まで進んでくると、春臣の隣に立った。 「……ごめんね」 背中のシャツを掴む指の感触に、春臣は亜也子を見る。亜也子は困ったように笑う。美しく、情けなく。 「でも今は聞かないで。……今は、言えないの」 「亜也子さん?」 「ホワイトデイまでは、私のギタリストでいて」 そこに涙はなかった。 「それまでは私のものでいて」 それより先も、あなたのものだよ、 頭の中をその言葉が回るのに、亜也子の曖昧に微笑む姿を見たら、口に出来なかった。 本気で言われているとわかったから。 この人はホワイトデイを過ぎたら春臣が離れていくと、秘密を話したらこの関係が終わると、本気で思っていると、わかったから。 「――うん」 春臣はただ、頷くことしか出来なかった。 亜也子はごめんねと呟いて、また曖昧に微笑む。 けれど、その曖昧な微笑み方をする亜也子を、春臣は見たくなくて、沸騰しかけたやかんの火をとめて、亜也子を引き寄せた。 拒むことなく腕の中に納まった彼女に、噛み付くように、キスをした。 [*前へ][次へ#] [戻る] |