ma 無防備な背中 教室、廊下側の一番うしろの席で、私は目を覚ました。 (待ちくたびれて、寝ちゃったんだ……、) 動かない頭でそれだけ考えた。ぼんやりした頭で、瞳で、でもまわりを確認する。 窓の外は、暗い。 けれど教室には、窓側だけ明かりがついていた。 窓側、前から二番目の席に、榛名が静かに外を見ながら、座っていた。 いつでも、なにをしていても、だれにたいしても厳しい彼らしい、ぴんとした背中。 (起こしてくれたらいいのに……) けれど私に対しては、いつでも、なにをしていても優しい彼は、寝ている私を起こすことにすら、躊躇う。 その優しさが好き。その甘さが、好き。私だけに優しい、そう思える、わかりにくい優しさが、甘さが、好き。 しばらく、その背中をそっと見つめた。白いシャツが明かりの下で、眩しかった。 気付かれないようにそっと、そっと、席を立とうとすると、榛名のものらしい上着が肩にかかっていた。ふんわりと汗の匂いと、彼の匂いとが入り混じり、私は幸福な気持ちでいっぱいになる。 「……はるな?」 不意に、彼の背中が無防備になった。 ただ、名前を呼んだ、だけなのに。 緊張の糸が切れたみたいにやわらかくなった肩のラインが、私に許された特権みたいな気がして、嬉しくなる。 振り返りもしないのに。 気のせいかもしれない。 でもそれでもいい。 「はるな、ごめんね」 ふんわりと腕を伸ばして、普段なら届かない彼の首にそっと、それを絡めた。 無防備な背中に、呼ばれた気がして。 「起きたのか」 「起こしてくれたらいいのに」 「いいじゃねーか、寝てたんだろ?」 「疲れてるのに」 「いンだよ」 絡めた腕に榛名のてのひらが触れ、私はふふ、と笑う。榛名も少し、笑った。 「待たせてごめんね」 「お前こそ、寝るまで待つなよ、アブネーだろ」 「……、迷惑じゃないなら、やめたくない」 「迷惑なわけねーだろ」 「じゃあ、やめない」 やわらかく、やわらかく、私を呼ぶ背中。無防備に、私を信用しきってる、背中。背中ごしだから、わたしも、面と向かっては言えないことも、言える。 「好きだってだけじゃ……、ほかに、出来ることなんて、ないんだもの」 榛名は、黙って聞いている。泣き出しそうな声の震えに気付かれたくなくて、私はそっと、榛名に絡めた腕をほどいた。一歩、二歩、さがってみつめる。 「好きだよ、榛名」 榛名はゆっくりと振り向いて、立ち上がる。 「……帰るか」 「うん」 榛名はすっと廊下へ向かって歩き出す。私はその後ろから、ついていく。 隣に近いけど、ほんの一歩だけ遅れた距離で、ついていく。 榛名はふたりきりだった教室を出ると途端に背筋が綺麗に、厳しく伸びる。 その背中を見ながら、私はそっと思い出す。あの、無防備な背中を。 (綺麗に伸びた背筋に恋したのに、) 榛名の、無防備な、背中。 これだけが、私の、私だけの、榛名。 でも、それだけで、いい。 「あのな、何も出来なくはないんだぜ?」 「うん、ありがと」 「でも待ってンのやめられんのは、ちょっとつまんねーから、やっぱ毎日待ってろ」 「……うん、」 榛名の言葉に頷きながら、この綺麗な背中が無防備になる瞬間を、私はそっと、待ち続ける。 (今はね、) (無防備な背中に、) (愛を、) (感じるんだ) 背中と一緒で、すごく無防備に、ほんのすこし笑った榛名に、私も、笑っていた。 しずかに、確かに、けれど、無防備に。 20090426 企画「青春模様」様に提出。 [戻る] |