present for you 夜の散歩道 3 ある一点を除いては。 「普通なのに付き合ってるとか話すの?」 「人によるだろ。浮かれてたんじゃねぇの?」 「そうなの?」 「知るかよ、伊藤に聞きな」 教えてくれないだろうけどな、と心の中で付け足して、 「――おまえが伊藤を好きだとは思わなかったけどな」 振り返ることなく、そう告げた。 「好きなバンドが、一緒で」 「へえ」 「それで、なんとなく、いいなあ、って」 聞いてないのに喋るのは、香恵も同じだった。 聞きたくない。 そんな浮かれた気持ちは、知りたくない。 「……だから、うれしかった」 痛い。心臓が痛い。 どうしようもなく。 「よかったじゃん」 無理に言葉を絞り出す。これ以上、何かを告げられないように。 痛まないように。 「うまくやれよな」 伊藤は多分、気付いていたのだ。 俺が香恵を好きだ、と。 俺が、伊藤も香恵を好きなのだと、気付いていたのと、同じように。 「……うん」 小さく小さく、香恵が答える。 「あり、がと」 「おう」 香恵の家までの距離は、あと僅かだ。 門扉の前になってやっと覚悟を決めて、振り返る。照れたように笑った香恵のあたまをぐいと掴むようにして、笑って見せた。 「じゃあな」 「うん、付き合ってくれて、ありがとう」 「またな」 「うん」 香恵の家の玄関が閉まるのを見届けてから、俺は足を動かした。もう二度と一緒にこの道を歩くことはないかもしれない。そんな風に思った。 たかが三分の距離が長くて、何度も振り返る。 伊藤は香恵を幸せにするだろう。 俺の出番はもう、ないのだろう。 痛い。心臓が痛い。 どうしようもなく。 香恵の部屋はまだ明るい。 勉強しているのか、本でも読んでいるのか、ゲームでもしているのか。そこまで考えてから、俺はふと気付く。香恵の趣味なんか何も知らない、と、いうことに。部屋に何があるのか、ゲームはするのか。そんなことも知らない。 それに今更、気が付いた。 ――誰より長く、一緒にいたのに。 それに甘えて、何の努力もしなかった、ことに。 小さく自嘲するように笑って、俺はまた足を進める。自分の家の玄関に向かって。 玄関のドアを閉めると、小さな後悔だけが残った。 ……せめて、好きなバンドの名前くらい聞けば良かった、と。 100312 一周年記念、ひなさまへ! お題:夜、静か、切ない いつもありがとうございます。 遅くなってしまってすみませんでした。 苦情、書き直し、その他、いつでも受け付けますのでどうぞです。 [*前へ] [戻る] |