大学生と講師のシリーズ 2 バレンタインデーのあと、学校は春休みになり、追試も再試もなかった早智子は、学校に行く用事がなかった。松下に会うことが出来ない日々に、淋しさや愛しさは募るものの、用事もないのに学校に行き、松下に会えば、恐らく妙な噂をたてられるだろう、と思うと、それも迂闊には出来なかった。 (面倒くさいなあ…) 一足飛びに卒業してしまいたい。けれど卒業してしまえばこの曖昧な関係ですら保てない。松下に自分に対する好意がまるでないとは思わない。けれど、松下言うところの「いい論文を書いてくれそうな学生だから離したくない」以上の関心を、「恋愛の相手」としての自分に抱いているのかどうかは、正直疑問だった。 (大人で) (研究ばっかりで) (そればっかりで) (すべてが出来てる) (大事なのはいつも) (研究、な、ひと) 松下がそういう人だと言うのはよくわかっている。寧ろそういう彼が好きだった。脇目も振らずにパソコンのキーボードを叩き、幾つもの文献を読み、じっと黙って頭の中で何かを考えている、その彼の近くで、その姿を時折見ながら自分の好きなことをしているのが、早智子は好きだった。 自分のことばかりを見てくれる人と一緒にいるのは、早智子にとって苦痛でしかなかった。早智子は相手を好きだとは思っても、それだけでは息苦しかった。 だから、松下の側では、楽に息ができた。お互いにそこに存在を認めながら、お互いに構いあうわけでもなく、自分のために時間を使えたから。そうやって一緒にいるだけで、幸福だと思えたから。 (会いたいなぁ) 松下がバレンタインにくれた文庫本三冊を読み終えると、余計にその気持ちは募った。 (結局、片想いだなあ……) 好意があるのはお互いに何となくわかっている。わかっていてもなお、そこから進むことは難しかった。 (先生、だし) 既に出会ってまる三年。大学生活もまる三年。距離が縮まってない、とは言わないが、亀より遅い歩みでしかないだろうと思う。松下の連絡先は、未だに教員名簿に載っている住所しか知らない。 早智子は、絵葉書の表、上半分にその住所を丁寧に丁寧に書いた。そしていよいよ、下半分の通信欄に取りかかった。 前略、松下先生、お元気ですか。 先日は、本をありがとうございました。 三冊とも読了しました。 お話したいことがたくさん、あります。 あと一月ほどが待ち遠しいほど。 せっかく誘っていただいた卒論、 先生の目に留まるようなものを、 仕上げることが出来たらいい、と、 日々、夢想し、模索しております。 ご指導、ご助言を賜りたく存じます。 では、取り急ぎお礼まで。 三寒四温の今日この頃、お身体、 くれぐれもご自愛下さい。 草々、 松下先生 三浦早智子 早智子はそれを三度読み直し、それからポストへ投函した。 [*前へ][次へ#] |