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大学生と講師のシリーズ
諸刃の剣でも(4年7月) 6

 そうして、用心深く早智子に近づいた。最終的に罠にかかったのは彼女ではなく、自分だったけれど。
 それを心地いいと思う自分に、松下は少し、笑う。
 中村はもう、なにも言わなかった。
 松下も、もう語るべき言葉は持っていない。真面目に、率直に、話をしたつもりだった。

(最後には僕だと、)
(他の誰にも、行かないと、)
(自惚れているんだよ)

 誰にも許さない何かを、自分にだけ預けられることが、心地よかった。あまりに甘やかで幸福で、松下はその自惚れを、多少の淋しさや不便さや制約では、最早手放す気にはなれない。

(まっすぐに伸びた背中を、)
(凛とした声を、つめたい瞳を、)
(手に入れたいと、願った)

 松下はコーヒーを一口飲みこむ。早智子がいれたものよりも幾分苦く、なんとなく鈍重な味のするそれにかすかに苦笑する。

(僕には、初めから、)
(勝ち目なんてないんだよ)

 もともとは、自分のいれるコーヒーの味に慣れていた。これで充分、美味いと思っていた。けれど今は、満足できない。
 それだけ、早智子に慣らされているのだと松下は今更ながらに思い知る。
 中村がゆっくりとコーヒーを飲み始めるのを視界の片隅にとらえながら、松下はまたパソコンの前に座る。
 集中できないままキーボードを叩く気にもなれず、引用文献の確認だけをしながら黙ってコーヒーを飲んでいた。
 授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。松下の研究室のまわりは授業のある教室が少ない。にわかににぎやかになることはなかったが、それでも階下がざわつきはじめたのは伝わってきた。

(早智子さんが、)
(来るかも知れない)

 ふと松下はその可能性に思い当たった。それとほぼ同時に、研究室のドアはノックされていた。――三回。

「はい」

 とっさに、答えていた。答えてから、中村と目があった。

「三浦です」

 どちらも動けずにいる内に、ドアの向こうから、強い声が返った。
 中村が立ち上がるのが見えた。ひどく素早く、そして、ひどく攻撃的な動きだった。松下はそれを制し、ドアへと向かう。

(会わせたくない)

 過保護なのは重々承知だ。早智子は隠される方が傷つくのかも知れない。けれどそれでも松下は、今この部屋で、その争いを見たくはなかった。



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あきゅろす。
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