大学生と講師のシリーズ 諸刃の剣でも(4年7月) 7 そっと部屋を出ると、後ろ手にドアを閉めた。ふっと早智子が笑うのを見た。つい微笑み返しそうになってから、意識的にくちびるをひきしめた。 「すみません、今来客中……、急ぐ用事? 出直せる?」 その言葉に、一瞬早智子の顔から笑みが消えた。何かを探るようにきらりと瞳が動いた。 「……、大丈夫です、出直します」 けれどすぐに気持ちを立て直したのか、また早智子が、微笑んでそう口にした。松下は心中で安堵のため息をついた。 「今日?」 「いえ、これからアルバイトなので明日以降に……、」 ちらちらとまわりに誰もいないことを確認した後、松下は小さな声で告げた。 「じゃあ帰りに行く、送ります、」 「あ……、」 わずかな間だったが、早智子は迷うような様子を見せた。けれど、結局、はい、と答えた。笑って。松下はやっと安堵し、くちびるで笑う。 「じゃあすみません、」 「はい、失礼します」 すっと背中から綺麗にお辞儀をしたあとで、早智子がきびすを返す。振り返ることなく歩き出した背中が、綺麗な靴音を響かせながら遠ざかった。 松下は研究室の中へと戻る。部屋の中に残った中村は、コーヒーカップを洗っていた。 「三浦先輩、帰ったんですか」 背を向けたまま、中村が問いかける。カップがかちゃりと音を立てて置かれ、はい、と答えた声はそれにかき消されたかのように、返事はすぐにはなされなかった。 「……私を帰せばよかったんですよ」 水音がやむ。タオルで手を拭いたあとで中村は振り返り、そう言い放った。 くちびるが綺麗にかたどられていた。 「その中途半端な優しさが、すごく、頭に来る。――すっごい、苛つく!」 その声は静かに抑えられていた。けれど充分に、激しく、つよく、響いた。 (優しさ?) その言葉を頭の中で繰り返したあとで、松下は不意にくちびるだけで笑う。 (僕を買い被りすぎだ) 彼女のための優しさなんかそこにはなかった。 「きみは誤解してる」 中村に対してのものも、――早智子に対してのものでさえも、なかった。 「あれは、僕自身の保身でしかない。優しさなどでは有り得ません」 知られたくない。会わせたくなかった。ただそれだけの、自分のためのエゴでしかなかった。 [*前へ][次へ#] |