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企画小説
a moonlit night(0906) 1

 火曜日、午後七時三十五分。
 春臣は今、少し混乱している。左耳にあてられた携帯電話から聞こえてきた声があまりに意外なものだったから、というのがひとつの理由だ。そもそも、携帯電話の番号を教えていない相手だったから、というのもひとつ。しかしそれよりも、前回会った際に非常に気まずい別れ方をした相手だったから、というのが主な理由だった。

 倉見いわく、「残業続きで死にそう」な上に「風邪ひいた」、「行きたいのにー」と告げた亜也子は「それはそれはひっどい声をしてた」らしい亜也子は先月のフリーダムに、歌いに来なかった。
 倉見の名刺に書かれていた仕事先にかかってきたというその電話に、多少嫉妬を覚えた春臣は、次に会ったら無理にでも連絡先を伝えてやる、と決意したはずだったのだが。
 そもそも、春臣が強引に攻めにでた結果、頬を亜也子に思い切り叩かれたあの花見の日から、二ヶ月近く春臣は亜也子に会っていなかった。先月、亜也子が珍しく歌いに来なかった時には、避けられていると思って本気で怒り、挙げ句、落ち込んだ。(倉見の言葉を信じる限り、それは杞憂ではあったのだが)

 ……、ハル?

 電話の向こうからは、自分の携帯電話の番号を知るはずのない亜也子の声が聞こえてきている。亜也子の声は電話を通した方が艶めかしく、色っぽい。マイクを通した歌声みたいに。

 ……、ごめんなさい、わたし、番号間違えてますか?

 何も答えなかった春臣のせいで、亜也子は多少不安になったのか、そんな風に訊ねてきた。春臣は慌てて、すみません、と言う。

「すみません、春臣です」
 ああ、よかった、亜也子です
「はい」

 声を聞いた瞬間わかりましたよ、という科白を、春臣は飲み込む。飲み込んだら、他の言葉も出なくなった。電話の向こうで、亜也子が困ったように小さく笑う気配がした。

 ……迷惑?
「いえっ、違っ……」
 そう?
「そうです!」

 勢いよく答えた春臣に、亜也子は今度はおかしそうに笑う。ふふ、と電話口から漏れたその微かな笑い声に、春臣はふわっと体中の熱が上がったような気がした。

(会いたい)

 春臣はぼんやりとそう思う。次の金曜日には会えるとわかっていても、それまであと三日だけだとわかっていてもなお、声を聞いたら、ひどく彼女が愛おしくなってしまった。



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