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World Maker
不殺の覚悟

 どれだけの人が傷ついて。どれだけの人が泣いているんだろう。

 争いの絶えない、この世界で。
 今は戦時中。
 兵になればいつかは戦場に出ることなど、わかっていた。

 戦になれば。剣をむけられれば。殺意をむけられれば。

 覚悟も決まるかと、思っていたのに。
(だめだなぁ……うち)
 殺されるという、まさにそのときになってすら。
 結局、剣を抜くことすらできなかった。
 覚悟が足りないのか。意志が弱いのか。決意が甘いのか。
(やっぱり、自分にうそはつけないや)

 なんてことはない、そのすべてなのだと自覚して、彼女は戦場に背を向けた。

 敵前逃亡は背信行為。
 捕まれば極刑も已む無し。
 けれどそこに、戻るつもりはなかった。
 絶対に、戻れはしなかった。
 長かった髪とともに、剣は置いてきた。
 なぜか黒焦げになっていたいくつかの死体の横に、髪の上に突き立てて。
 あれが見つかれば、家族は彼女の意志を覚り、その意をくんで、彼女を戦死させてくれるだろう。
 それは、裏切り行為ではあったけれど。
 幼い自分を拾い、血縁関係もないのに教育を施し、本物の家族のように接してくれた彼らへの、裏切りではあったけれど。
 自分の意志を曲げることはできなかった。

 殉じるのならば、それは家でも国でもなく、己の誇りと魂であるべきだ。

 あの戦場に、守るべき誇りはなかった。
 否。
 あの戦場にいては、誇りなど守れるはずもなかった。
 人を殺すことなど、自分にはできない。
 それならば殺されるほうがましだとすら、思った。
 剣をむけられ、死が迫るその一瞬にすら、強く。
 そう思った。
 泣きそうなほど強く。
 笑いだしたくなるほどはっきりと。
 自分に人は殺せないと自覚した。
 だから。
 どれだけの言葉を費やしても足りない謝罪と感謝を、伝えられないことだけが心残りではあったけれど。

 兵士は、戦場に背を向けた。

 それは逃亡であり逃走ではあったけれど、決して恥ずべき行為ではないはずだと、なんとなく彼女は思った。
 そこに己の信念がある限り。
 恥ずべきことなど一片たりともないのだと。
 教えてくれたのは、父であり、姉だった。
 彼女はその通りに生きてきた。
 正しさなど、わからない。
 正義なんて大きすぎてあいまいな言葉を、戦争に持ち込むべきではないということくらい、彼女にも分かっていた。
 殺さなければ殺される世界で、人殺しは罪だなんて言葉、場違いでしかない。
 だから、彼女は己の行為が正しいとは思わない。
 それは決して正義の行いではなく、また決して褒められた行為でもなかったから。
 どこまでいっても、彼女が彼女自身のわがままのために、味方を見捨てたことに変わりはないのだ。
 それは、もはや悪の所業で、責められるべき選択なのだろう。
 それでも恥ずべきではないと、彼女は思った。
 それゆえまっすぐに背筋を伸ばして、断固として振り向かずに、固い意志を持って戦場と決別した。
 人は殺さない。人は殺せない。人を殺したくはない。

 どこまでも純粋なその思いだけを胸に、彼女は己の誇りと魂に殉じることを決めた。


(兵士の決意。戦場との決別。そのすべてを終わらせるために、再びそこに舞い戻ることになることを、まだ彼女は知らない。その決意は、最後まで貫かれるのだけれど)


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あきゅろす。
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