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倉庫を改築した梨花と沙都子の家にたどり着くと、梨花は長い髪を一つに束ねて頭の上の方で結わえ、奉納演舞の練習をしていた。
家の前の物干し台から、さらに数歩離れた黒土の上で餅つき用の杵を型通りに振り、一生懸命に身体を動かしている。
大粒の汗が梨花の頬を伝い、夕焼けを反射し、とても綺麗。辺りからはひぐらしの声。

梨花がここ2ヶ月ほとんど毎日している奉納演舞の練習。
始めの頃は重さに負けて杵を取り落としたり、腕が上がらなくなったりもしていたものだけど、近頃はそういうこともなくなっていた。
その姿をしばらく透明になって見学していると、やがて梨花が杵を置き、物干し竿に掛かっていたタオルをとって汗を拭き始める。
どうやら練習が終わったようで、それを確認してから僕は姿を現す。

「お疲れさま、梨花」

「みぃ〜☆」

梨花は、タオルで汗を拭きながら嬉しそうに笑って、「ちょうどこれから水分と糖分補給なのです」って僕を喜ばそうとする。
梨花から見たら、僕を喜ばせる方法なんて甘いものくらいしか思い浮かばないのだろう。
僕が梨花とリンクしてるのは味覚だけ。
だから梨花からは何もできない。
そのため、僕を笑顔にするには甘いもの、そんな梨花の思いを汲んで、微笑みを見せたあと、おずおずと切り出す。

「あぅシュークリームも嬉しいのですが、実は……梨花に大事なお話しがあるのです」

「みー?大事な……今片付けるから、ちょっと待っててくださいです」

梨花は不思議そうに首を傾げたあと、タオルを畳んで、餅つき用の杵を持って、物干し竿をくぐり片付けに行く。
梨花が家の引き戸の中に入っていき、僕が引き戸の前で待っていると。
「沙都子ー、もう少しだけ時間がかかりますです」
「まだやりますの?あんまりがんばり過ぎもよくありませんわよー、ほどほどになさいませー」「み〜☆」

中からそういう声が聞こえて、やがて引き戸が開いて、梨花が嬉しそうに顔を出す。

「それで羽入、話しって?」





カナカナ――――カナカナカナカナ…………。
夕焼けに染まった物干し台の近く、僕は、ひぐらしの声に耳を傾けながら、梨花にどういう手順で説得するか、頭の中で論理を組み立て始める。
僕の場合、説得と言っても圭一のように感情に訴えかけ、梨花の考えを無理に変えるわけじゃない。
基本的には、梨花に情報を与えて、変化を促す、そういう方針。
そしてその材料はもうあるから……きっと大丈夫。いつまでも説得の仕方を考えることはないのだ……!でも念のため、もう一度あぅあぅ考えていると、梨花の不満そうな声が聞こえてくる。

「みぃー…まだなのですか」

梨花が待ち疲れて困ったような顔をしたから、仕方なく考えるのをやめ、表情をキュッと引き締める。あぅ……説得開始なのです。

「……実は梨花」
「みぃ?」
「最近運命が変わった人が居たのです。吉田くんのお父さんなのですが、前の世界とは違って、4月に単身赴任しましたのです」

「……?
えっと、それがどうかしたのですか?」

物干し台の前で、梨花はますます困惑したような顔をする。あうぅ?説明が足りなかった?もう少し喜びそうな気がしたのに。

「あぅ、わかりませんか?簡単に言えば、それは大きな分岐が変わったと言うことで、梨花の運命は変わるのです。このまま世界を繰り返せば、いつかは死なずに済むかもしれないのですよ?」

「みぃぃー」
すると今度は何だかとっても不機嫌な顔に……?あぅあぅ?想像とちがうのです。
よくわからないけれど、このままだと考えを変えてくれなさそうだから、仕方なくもう一押しすることにする。

「だからその……梨花が死ぬ必要はないのですよ……?運命は変わるのですから」

「みぃ……」
このみーは、どういう意味だろう、梨花は困ったような、何かを考えてるかのような顔をしていて、みーの意味が上手く受け取れない。
嬉しいのみー?悲しいのみー?僕が首をひねっていると……梨花は悲しそうな顔をして、やがて躊躇うように聞く。

「……羽入は、ボクとの約束を忘れてしまったのですか?今さらそんなこと言うなんて思わなかったのです」

「ぁぅ、約束?」

「はいなのです。ボクは鏡を崩せても死ぬのはやめないって言ったのですよ?
羽入にボクの人生を見届けてほしいって……がんばってたらご褒美をくださいって、忘れてしまったのですか?」

それは、僕だってちゃんと覚えてる。
ただご褒美の方はともかく、鏡が崩せても……というのは、運命が変わらないことへの強がりなんじゃないか。
そう思っていたのだけれど……違った?

「あぅ、それは覚えてますが……それなら、一つ聞きたいのですよ」

「みー」

「運命が変わるのがわかったのに、梨花が死ぬ必要がどこにあるのです?そこまでして死にたいのですか?」

梨花はぶんぶん首を横に振る……あうぅわけがわからないのです。
「死にたくないなら、意固地にならずカケラを渡ればいいのですよ。
……宣言したあと変えたからって僕は笑わないのですよ?」

梨花がもう一度首を振ってから口を開く。

「あのね羽入、そうじゃないのです」

「あうぅ?」

「吉田くんのお父さんが変わったのだって、鏡にそう映ったからに過ぎないのです。ボクの力じゃないのです。
ボクや羽入の力じゃなきゃ意味がないのですよ……」

「……どうして梨花じゃなきゃダメなのです?梨花が運命を変えられなくても、繰り返す内にいつか助かるのですよ」

梨花の瞳が少しだけ潤んで、僕は狼狽する……何か失敗したのです。

「羽入の言ういつかっていつなのですか……?
村人が2千人もいて四年もあって、運命が変わったのは一人だけなのですよ……?簡単に計算しても一年に八千分の一なのです。
それがボクに来るのはいつ?
四千年後?八千年後?それとももっと長く?そんなに生きてたら、化石になっちゃうのです」

「あぅ化石……ですが、僕が見落としてるだけで、もう二、三人いるかもしれないのです。実際は八千年もかからないと思うのです……」

「あと二、三人…?」
梨花はあわてて指を折々、数を数え始める。やがて計算が終わったみたいでがっかりした顔をする。

「それでも、千年とか二千年とかかかりますですよ?そのうえ、ボクの番が来たからって死が回避できるとは限らないのです。お母さんかお父さんが助かって、またボクが死んで、それからもう二千年?
羽入は千年も生きてるから、ちょっと気長すぎるのですよ。そんな長い人生ボクは嫌なのです」

その時、家の戸がからから開いて、沙都子が顔を出す。
「梨〜花ぁ、もう日が墜ちますわよ〜。
あとで拝殿の掃除もするのでしょう?練習しないならさっさとお入り遊ばせ、シュークリーム見ながら待つのは辛いですわぁ」

梨花は今戻りますですって沙都子に謝ってから、僕の方に視線を走らせる。

「あの……羽入、お話しは」
「……もう終わりましたのですよ。沙都子のとこに戻りましょうです」





深夜……梨花たちが寝入ったのを確認してから、僕は祭具殿に入り込む。
暗い拝殿、並んだ拷問器具、梨花の手で毎日欠かさず清められている祭壇……
祭具殿の中は千年前からほとんど変わらず、同じ空気がして、人と話せていた頃の記憶が僕の心を和ませてくれる。

そんな祭具殿内を見回したあと、僕とは似ても似つかぬ御神体を見上げながら、そっとため息。

あの説得がダメなら、もう僕には何もできない。
梨花の決意はきっと揺るがずに、死んでしまうだろう。
僕の力じゃ運命は変えられない……それは悟史のとき痛いほど思い知らされた。
悟史は発症しているはずなのに、僕が耳もとでどんなに叫んでも反応を返してくれず、結局消えてしまった。
前の世界では知らなかったけれど、今回はオモチャ屋の前で入江に連れていかれたから、一応どちらの世界でも治療して貰ったらしい、でも、未だに退院してないことから考えて、結局は助からなかったのだろう。怖くてまだ確認してないから確証はないけど……

そこでふと思い至る。
……悟史の発症を梨花に伝えたら少しは変わったんじゃ?入江に頼んで、1日早く悟史を捕まえて、そしたら梨花は死を決意しなかった?
あぅ……やっぱりダメなのです。あの時僕もそれは考えた。ただ、それで悟史が助かればいいけど、もし死の運命が変えられず、失敗してしまったら、悟史が死ぬことを梨花に知らせることになる。
……それはあまり望ましくないこと。
……梨花が悟史の死を知ったら、どんな反応するか予測もつかないし、沙都子に何を告げるかわかったものじゃない。失敗はしちゃいけない。
当然、それは失敗の許されない賭けで……それなら言わないのがきっと正解。
僕はいままで、賭けになんて勝った試しはないから、もし教えたとしても成功せずに梨花が苦しむだけだったろう。
結局、梨花は死を決意してしまったけど、もし賭けてたらより悲惨な状況になっていたにちがいない。
死も決意してなおかつ、梨花が苦しむ……そういう“いま"
だとすれば、あの時の判断は間違ってなかったはず…………

それなら…………今回の梨花の死もきっと同じこと。
……梨花が意志を変える可能性はほぼ無い、最後の切り札も使ったいま、それは成功する望みのない賭けで、コインを賭けるのも馬鹿らしい勝負。
そんな勝負に乗って、このまま暗く過ごしたら、僕はきっと後悔することになる。
どうして梨花を暗く見送ったんだって、もっと明るく見送ってあげれば良かったって、僕のことだから千年以上後悔するかもしれない……
賭けたら後悔するだけの勝負だけど。
逆に後悔をしない方法はとても簡単で、僕でもできること。
無駄な抵抗なんてせず、梨花を明るく送り出す……そう、それだけ。

梨花が死ぬまで、あと何日あるのだろう、最低でも5日間……その間、せめて梨花と楽しく過ごそう。
梨花に楽しんでもらって、梨花はがんばりましたですってご褒美をあげて、そして、梨花の死を見届けて……また千年を1人で過ごそう、梨花の死は、桜花の時みたいに悲しい思い出で終わらせない……これから千年間、後悔しないように笑顔で……
そう決めると、自分のしゃくりあげる声で、祭具殿がシンと静かになった気がして、何度も涙を拭く……これから梨花を楽しませるのに、涙はいけない。ぼ、ぼくは楽しむ。

「ぅ……りか、ぼ、僕はもう後悔したくないのです……明日から一緒に楽しみましょうです……梨花に最高の時間を贈りますのですよ」








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あきゅろす。
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