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古都を巡る

めぐみさま

企画・捧げ物












「じゃあ、時間厳守と問題さえ起こさなければあとは自由にしてくれー」
普段から覇気のない先生だが、今はこの緩い感じがありがたい。先生の指示が終わる前から、クラスのみんながそわそわしているのが雰囲気でわかる。だって、私もその中の1人だもの。
「今日の集合は宿泊先に19時までだからなー。以上、解散!」
わあっ、と京都駅の一画で歓声が上がると同時に、みんなグループに別れて動き出した。

「かごめちゃーんっ!」

「あ、珊瑚ちゃん!」

笑顔で駆けてくる珊瑚ちゃんに手を振り、合流とともに、どちらからともなく両手を合わせて「楽しみだね」と口にした。これから始まる時間に、胸の高鳴りが抑えられない。

「あー、ようやく自由行動だぜー」

「いやはや、やはり昨日の清水寺には圧倒されましたねえ。京都での研修はずっとあそこでもいいです」

「はあ?俺はぜってえ無理。やだ」

ゆっくりとこちらに歩いてきたのは、弥勒さまと犬夜叉だ。
修学旅行もとうとう今日で最終日。
今日は“班での研修”と謳ってはいるが、実質自由行動である。いつものメンバーでいつもとは違う街を楽しめるなんて、今日をどれほど心待ちにしたことか。

「よし!時間は限られてるからねっ!さくさく行くよ!」

班長・珊瑚ちゃんの掛け声に、おーっ!とまっすぐ腕を伸ばす。はしゃぐ女子2人に合わせて、はいはいと付き合ってくれている彼らも、本当は楽しみだったはずだ。
何故なら、事前に行き先を決めた時、満場一致でみんなの希望にあがった場所にようやく行けるのだから。
お楽しみの場所に大きく丸をつけた地図を片手に、私たちは一先ず、京都駅からまっすぐ八坂神社に向かって歩き出したのだった。


ーー


「可愛いーっ!!」

京都駅から八坂神社へ向かう途中。たくさんあるお土産屋さんの中に、心惹かれるものがあった。かんざし屋さんだ。思わず立ち寄る私たちの後ろから、男子組はゆっくりとついてくる。

「かごめちゃん、こういう色とか似合うんじゃない?」

珊瑚ちゃんが、翡翠色で桜の花をあしらった可憐なかんざしを1本取って、私の髪に宛ててくれる。飾りが揺れてしゃらりと音が鳴る。

「あ、いいかも!えー、買っちゃおうかな」

ズラリと陳列されているかんざしに、女子2人はもう釘付けである。

「ほお、これはこれは。自分へのお土産にいいですね」

その後ろから、ひょいと私たちの手元を覗き込んだのは弥勒さまだった。店内を一周してきたのだろう。犬夜叉はまだ入り口辺りの展示品を眺めている。

「珊瑚、よければ私が見繕っても良いですか?」

「えっ、あっ、…別にいいけど…」

せっかくなので、と笑顔を向けられ、少し頬を染めた珊瑚ちゃんがそれに応じる。その反応に、彼が優しく微笑んだ。照れ隠しのつっけんどんな態度なんて、彼からしたら、可愛くて仕方ないんだろう。
付き合って日が浅いわけでもないのに、なんだかんだお熱い2人にあてられて、私もちらりと犬夜叉に視線を送る。

「?何か欲しいもんあったか」

「ううん、あのね、かんざしを犬夜叉に選んでもらおうと思って」

「え゛」

「それをお土産に買っていきたいなあって」

「やめとけやめとけ。俺はこういうセンスからっきしだぞ」

センスがいいものが欲しいんじゃなくて、あなたが私に選んでくれたものが欲しいのだけど。
彼に私の意図が伝わらず、むうと黙り込んでいると「かごめが選んだかんざしをお土産用に俺が買うから」と慌てる犬夜叉。

そんな私たちを見兼ねてか、弥勒さまがあたふたとする彼を肘で小突いた。

「分かってませんね。だとしても、好きな人に選んでもらいたいのが乙女心というものですよ」

「なんで法師さまが乙女心熟知してんのさ」

「はっは。ね?かごめさま」

「えっ、…あ、うん!!」

片目を瞑り、にっこり微笑む弥勒さまの計らいに乗じて、首を上下にコクコクと振る。

「どういうモチーフが好みかだけ分かれば、犬夜叉も選びやすいよね」

「お、おう…」

珊瑚ちゃんが、さっきのかんざし可愛かったよね、と言いながら私の肩をぽんぽんと叩いてくれる。フォローの上手い友人達は、犬夜叉の手助けをしながら、私のことも気にかけてくれていた。

そんな2人の後押しもあってか、彼は小さく唸ると「わあったよ!」ととうとう折れた。

「その代わり!…どんなの選んでも文句は言うなよ」

「!っうん!ありがとう!」

良かったね、と笑いかけてくれる珊瑚ちゃんに何度も頷く。そんな私たちの姿を見ていたのだろう。店員さんが「お姉さん方、」と声をかけてきた。

「もし良ければ、かんざしの結い方お教えしますよ」

「いいんですか!」

「それでは、私たちはその間に見繕っておきますよ」

「なるべくゆっくーり教わってこいよ」

「はーい!」

お店の奥にある鏡台に並んで座って、巻き方の説明を受けていると、鏡には男子2人の姿が映っていた。その顔が、各々真剣そのもので、珊瑚ちゃんに小声で報告し、小さく微笑いあったのだった。


ーー


しゃらん、と耳の上で軽やかに音が鳴る。
髪をハーフアップにして、かんざしを挿しているため、鏡を持たなければ、その全貌が見られないのは残念ではあるけれど。

薄く紫がかった桃色のとんぼ玉の中には、金粉が舞っていて、見る角度を変えるとチラチラと光り輝く。
そんな玉かんざしから細く枝垂れる揺れものには、とんぼ玉と同じ色の欠片と桜の花が金色の細いチェーンに散りばめられていた。

揺れるたびに、しゃらりと鳴ると、照れ臭そうに渡してくれた彼のことを思い出して嬉しくなる。
スキップ気味に歩いていると、後ろから、おーい、と声が飛んできた。

「んな歩き方してると転ぶぞ」

「転ばないわよー」

半ば呆れ声の彼に笑いかけると、耳元で軽やかに鳴る、しゃらん。そしてその音の向こうから、聞き慣れた声がした。

「……かっごめーー!」

「ん?」

「この声は…」

振り返ると、ものすごい勢いでこちらに走ってきたのは、

「鋼牙くん!」

「おっ、髪アップしてんのも可愛いな」

「ふふっ、ありがと」

にこっ、と爽やかに笑いかけれて、私もつられて笑みを返す。

「そのかんざしも似合ってんじゃねえか」

「いちいち手を握んなっつーの」

鋼牙くんが私の髪に触れようとしたその時、バシッとその手を払い除けたのは犬夜叉だった。

「っとに余裕のねえ野郎だなあ」

「やかましーわ」

「てか、完全な自由時間でかごめに出会えるとか奇跡だよな!写真撮ろうぜ!」

「はーなーれーろー!」

目の前で繰り広げられる喧騒に、苦笑いしながら一歩後ろに下がると、「始まったね」「始まりましたな」と完全に傍観者を決め込んでる2人がいた。

「かごめちゃんも災難だねえ」

「あはは…。私たちが乗る地下鉄に間に合うかな」

「1時間に何本も出てますから大丈夫ですよ。ま、気長に待ちましょう」

そこのお店でも見ましょうか、と話していると、「あ、丁度いいや」と再度鋼牙くんに名を呼ばれた。

「これやるよ。あとで渡そうと思ったんだけど、ここで会えたしな」

手ェ出してみ、と言う言葉に、素直に両手を差し出すと、そこに置かれたのは赤いお守りだった。背後から、弥勒さまと珊瑚ちゃんが顔を出して、ほほお、と感嘆の声をあげた。

「これは、八坂神社の縁結びのお守りですね」

「こういうとこ、さすがは鋼牙だよね」

「えっと、……」

せっかく買ってもらったけれど、ものすごい形相で彼を睨む犬夜叉の前で、縁結びのお守りなんてもらっちゃってもいいものなのだろうか。
返答に困っていると、それを察したのだろう。鋼牙くんは笑いながら、お守りを置いて広げたままの私の手をそっと包んだ。

「縁っつーのは、なにも恋愛だけじゃねえだろ?」

「てめっまた手をっ」

彼の手を払おうと犬夜叉が割って入ってくる前に、パッと手は離された。

「この先もかごめに、良い縁があるようにっつーことで、持っててくれや」

な、と首を傾け、人懐こく微笑まれたら、もう頷くしかない。

「ありがと、大事にするね」

どこかで彼にお礼のお土産買わなきゃな、と思ってると、黙っていられなくなったのか、とうとう犬夜叉が大きな声を出した。

「だー!もー!いーから班に戻れよ!」

「あーあー、犬っころは本っ当にうっせえなあ…かごめ、こいつに愛想尽かしたら、俺と縁結ぼうな!」

「殴る」

「あん?」

「はい、そろそろ恥ずかしいのでそこまで」

弥勒さまが間に入っても、睨み合ってる2人に珊瑚ちゃんが携帯を突き出した。

「これ以上うるさくすんなら、先生呼ぶよ」

「……けっ」

「そいつは勘弁。じゃっ、俺戻るわ!」

またなー、と片手をあげて来た道を駆け足で戻っていく彼の背中を、呆然と見送る。

「さ、我々も次の場所に行きましょう」

「そうだよ!次は今日1番楽しみだったとこだしさ!」

「……」

弥勒さまと珊瑚ちゃんが、場を仕切り直してくれたが、犬夜叉の横顔は完全に機嫌を損ねているものだった。

「…犬夜叉?」

「……おめえは本当に鋼牙に甘えよな」

「そんなこと…」

「けっ」

つい、と横を通り過ぎられ、彼はスタスタと先に行ってしまった。

「まったく…」

後を追う弥勒さまの背中を見送るしかできず、せっかくの修学旅行なのに、と肩を落とさざるを得なかった。

「気にすることないさ。こんなのいつものことだろ」

行こう、と珊瑚ちゃんに手を引かれ、私は重い足取りで彼らを追うのだった。

ーー


観光客はたくさんいるのに、ざわめきの奥が清らかに静まり返ってる、ような。なんとも言えない厳かな空気を感じるのは、やはり赤い鳥居がずらりと構えている非日常感からくるものなのだろうか。

…とは思うものの。

せっかく全員一致で来ることが決まった念願の伏見稲荷大社だというのに、先ほどから私を避ける犬夜叉の様子が気になって、それどころではない。無言で先を歩く彼に、声をかけようにもかけきれず、手を伸ばしたり引っ込めたりする私を気の毒に思ったのだろう。
かごめちゃん、と珊瑚ちゃんがこっそりと私に耳打ちをした。

「“おもかる石”まで行ったらさ、二人で少し回ってちゃんと話しておいでよ」

ね、法師さま、と彼女が隣にいる弥勒さまに小声で話しかける。

「あたしたちはこっそりその場を離れるようにしてさ」

「まあ、まだ時間はありますしね。…まったく。本当にあいつは子どもですな」

「珊瑚ちゃん…弥勒さま……。ありがとう」

二人の気遣いに少し背中を押されるも、しかし仲直りできる未来が全く見えない。

やっぱり、断るべきだったのかな。

制服の胸ポケットをそっと抑える。そこには鋼牙くんからもらったお守りが入っているけど、縁結びどころか、縁が千切れんばかりの雰囲気に、気持ちも足取りも重い。

その気持ちに伴って、知らず知らずのうちに視線は下へと向かう。向かった先、目に入ったのは道の隅に、どんぐりが、ふたつ。
何故か引き寄せられるように手が伸びた。何の変哲もないどんぐりをつまみ、ふと首を傾げる。はて、このあたりにどんぐりの木はあっただろうか。
視線を頭上に巡らせようと顔をあげて、はっとする。




静寂。




人の影がひとつもない。

ざわめきや、足音も聴こえない。

後ろを振り返っても、もう一度進行方向に顔を向けても、先程までたくさんあった人の気配が全くしなかった。
前にも後ろにもズラリと並んだ赤い鳥居に囲まれて、ここには、わたし、1人だけ。


ザッと血の気が引いて、思わず口に手を当てる。
静寂の中、自分の心臓の音だけが大きく耳に響く。
少し呼吸を整えようと、深く息をしながら、周りの様子をゆっくりと見渡す。
どうやら、本当に1人きりみたいだけれど、空気がとても澄み渡っていることに気がついた。朝に揺蕩う霧のような、森の奥にそよ吹く風のような…なんだろう、畏れを感じるものの、怖くはないような、不思議な感覚。


ーーとりあえず、先に進もう。


少しだけ落ち着きを取り戻して、私はグッと前を見た。もしかしたら、この先でみんなと合流できるかもしれない。
まるで耳元に心臓があるみたいだ。身体全体を揺らす大きな鼓動に震えながら、胸に手を充てて、数歩前に踏み出したその時。

……ーん…、わーん…

「!」

微かに何かの音が聴こえた気がして、足を止めた。子どもの泣き声のような、何かの振動音のような、少し高めの音がこの先の道の方から確かに聞こえる。

私と同じような迷子、とか?

もしそうならば、行ってあげなくては。
先ほどの心細さは何処かへ吹っ飛び、思い至ると同時に声の方へと走っていた。

……わーん……わーん…、…

だんだん近づいてくる音。やはりこれは子どもの泣き声のようだった。時折鼻を啜る音と、何か喋っているような声も混じって聴こえてくる。

ーー今いくからね…!

突然。

鳥居が途切れて、目に飛び込んできたのは、痛いくらいに眩しい光。眼前の膨大な白に、思わず呻きながら顔を両腕で覆って、しばしその場に立ち尽くす。
眉間の緊張が解け始めて、ゆっくりと目を開ければ、

緑、緑、緑。

そこは一面の緑に包まれていた。後ろを振り返ると、さっき抜けてきたはずの鳥居の列は無く、ただ柔らかな葉の香りを含んだ風がそっと吹くだけだった。

足元には、少し背の高めの雑草が揺れていて、周りは草木が生い茂っている。その中でも一番目立つのが、根が蔦のように地を這う巨木だ。
どこかで見たことがあるような、何だか懐かしいような…。立派な樹に目を奪われて、ふらりと一歩踏み出すと、

「わぁぁん……」

それは、まばたきたった一度の間。
先ほどまでそこには居なかった小さな背中が、私と巨木の間に現れた。
空を仰いで、地面にしゃがみ込んでいる少年の後ろ姿に、思わず足が止まる。

「みなっ……みんなっ、オラを置いて…っ」

逝かないで、という声は高く掠れて、音になっていなかった。地に突っ伏して、背を丸くして叫ぶ少年は、痛々しいくらいに喉を枯らして、泣いていた。

橙色の明るい髪を、着物と同じ翡翠色の布で結わっていて、背を覆い隠すくらい大きな獣の尻尾を生やしている。

妖、かもしれない。

でも、

胸に迫り上がってくる、体の内側を焼くようなこの塊はなんだろう。重くて、痛くて、哀しくて、気付けば涙が止め処なく溢れていた。

悲痛な声がこだます。時折、彼の息を継ぐ間を縫って、小鳥が鳴きながら飛んでいく。さわさわと風が緑を揺らし過ぎていく。

私は、その場から動くことも、彼に声をかけることもできなかった。まるで足に根が這ったように、一歩も前に進めないのだ。今すぐ駆け出して、あの小さな背中を抱き締めてあげたいのに。ごめんね、と頭を撫でてあげたいのに。今の私には、ただ涙を流すことしかできなかった。

どれくらいそうしていただろう。
しゃくり上げていた声はいつしか止み、彼は目の前の巨木をぼんやりと見上げていた。

「決めた。…誓うぞ」

ぽつり、と言の葉を落とし、立ち上がった彼の背はまっすぐに伸びていた。

「オラは修行を極める。極めて、位を高くする」

そしてっ、と叫び突然彼は後ろを振り返った。
涙でグズグズの私と目が合った瞬間、ばちん、と。まるで雷に打たれたみたいな。そのくらいの衝撃が身体を走った。

優しく微笑みかけるその子は、そう、…この子の名前は…、

「ずっとみんなを見守るんじゃ。ずーっとじゃ!…な、かごめ」

「七宝ちゃんッ!!」

ようやく出せた声と、伸ばせた手は、虚しく空を裂いた。








私はまた、静寂が包む鳥居の道の真ん中にいた。

「…っ、あ……」

そうだ。七宝ちゃん。…七宝ちゃんだ。
狐の妖で、私たちが最初に仲間になった、大切な人。
…私たち…、って、誰のこと…?
何かを思い出せそうで、でもずっと遠くにモヤモヤとしたものがある気がする。思わず頭を抱える。あれ、私、いま、何してたんだっけ。


ーーかごめ、

「!」

ふわりと頭上から声がして、ハッと見上げたがそこには誰もいなかった。
でもこの声。間違いなく、これはさっきの、七宝ちゃんの声だ。

ーーやっと、逢えたの

長かった、と微笑みを含んだ声に、私は再び目頭が熱くなる。見えないけれど、きっとあの少年が青年になった姿がそこにはあるのだろう。
だってその声は、先ほど泣いていたあの時よりも、随分としっかりした、凛と響く落ち着いたものになっているのだから。

何か言わなくては泣いてしまう、そう思って、口をついて出た第一声は、謝罪だった。

「ごめん…、ごめんなさい……独りにしてしまって…」

なのに、と一度言葉を切って、声の主を仰ぐ。

「あなたを、きちんと思い出すことができなくて…っ」

もう少しで何かを思い出せそうなのに、決定的な記憶の欠片がどうしても自分の中に見当たらない。
そんな私を落ち着かせるためか、彼はとても穏やかな声で私に語りかけてくれる。

ーー…良いんじゃ。またこうして、言葉を交わせたこと自体が奇跡なんじゃから

「でも…っ…」

ーーふふ、かごめ、もう泣くな。オラが犬夜叉に怒られてしまう

そうなったら珊瑚と弥勒は庇ってくれるかの、と朗らかな声で言葉を紡ぐ彼に、なんて言えば分からない。

何故みんなのことを知っているのか。どうして見守ってくれているのか。私たちはどういう関係だったのか。思い出せそうなのに。上手く記憶が繋がらずに、すごく、もどかしい。

ーー…ああ、そろそろ時間じゃな

「えっ…!まだ何も…!」

ーー大丈夫、また力をつけて、今度は皆がいるところに逢いに行くからの

今回は鋼牙に感謝じゃな、と彼はくすくすと笑った。どうやら、こうして私と話すのにはかなり力が必要らしい。自分では足りない分を、鋼牙くんがくれた縁結びのお守りが補ってくれたのだと。

そう言われて胸に手を充てれば。
鋼牙くんがくれたお守りを入れている胸ポケットがほんのりと暖かい光に包まれている。

そう説明している彼の声が先ほどより小さくなっている。だんだんと遠ざかっていってることに気付いたと同時に、さわさわと奥の方で人の気配が近づいてくるような音がしてきた。

この夢のような、不思議な体験の終わりがすぐそこまで来ているのが分かる。

「待っ…」

もう、視界は靄がかっていって何も見えない。なんとか声のする方に手を伸ばすが、私の腕は虚しくも空を切るだけだ。

ーーそれまで達者でな

かごめ、と最後に呼びかけてくれた七宝ちゃんの声を最後に、自分の意識も白くゆっくりと飛んでいくのが分かった。

「待って」と。
「まだ行かないで」と。
「寂しい」と。

あの小さな背中が負った悲しみの全ては、きっとこんなものじゃなかっただろうけど。
彼のことを覚えてない私が言ったら、おこがましいことなんだろうけど。

「独りにしてごめんね」と、
「私たちもあなたが大好きだよ」と、
今更でも、こんな言葉を届けたら、彼は微笑ってくれるだろうか。

ざわめきが近づいてくる中、その奥の奥の方で、
「オラもじゃよ」と声が聞こえた気がした。




















「…め…ッかごめ!!」

突然、鮮明に聞き慣れた声が自分を呼んでいることに気が付いてはっと目を開ける。
徐々に焦点が合ってくると視界いっぱいに、眉間に深い皺を刻んだ犬夜叉の顔が入ってきて、思わず「どうしたの」なんて口走ってしまった。

「おま…ッ、ど、…ッバ、こ、こっちの台詞だよ!!」

「こら犬夜叉!あんまり揺らすんじゃないよ!」

彼は更に怖い顔をして私の肩を掴んで揺らしてくる。為されるがままガクガクと首を前後に揺らす私を救ってくれたのは、隣にいた珊瑚ちゃんだった。

「でもびっくりしたよ…!歩いてたら急にかごめちゃん居なくなってて、探しても居なくて…ッ」

「まあまあ。とりあえず2人とも落ち着いてください。かごめさまの方がよっぽど冷静じゃないですか」

身体になにか異変はありませんか、と弥勒さまが気遣ってくれて、私はようやく、消えたのはみんなじゃなくて自分だったことを理解した。

「う、うん…えっと、わたし…?」

「このベンチの上で気を失ってたのを犬夜叉が見つけてくれたんだよ」

目の前にある大きな赤い鳥居の列。それを外から眺めているということは、どうやら私は、あの列から抜けたところにいるらしい。
少しぼんやりする頭で、だんだんと状況が飲み込めてきた。

「いやはや、それにしても熊鷹社に居るとは思ってもいませんでした」

弥勒さま曰く、視界の隅でふとしゃがんだ私までは認識していたらしい。靴紐でも解けたかな、と振り返った時にはもうそこに私はおらず、急に立ち止まった自分を怪訝そうに追い越して行く観光客の列しかなかったそうだ。

「追い越されてはないと思ったから、あたしと法師さまで一度下まで降りたんだけどね。やっぱり居なくて…」

「そうだったんだ…心配かけて、ごめんね…」

事件とかに巻き込まれてなくてよかった、と眉をハの字にして笑う珊瑚ちゃん。
その後ろで、同じようにして頷く弥勒さま。その横にいる犬夜叉は、怖い顔をしたまま、目も合わせてくれない。

「結局かごめちゃんはどうしてこんなとこに?」

「ええと、それが私にも何が何だか…」

「ふふ、神隠しにでも遭ったんじゃないですか?」

「…かみかくし……」

にっこり穏やかに微笑う弥勒さまの言葉にはっとする。神隠し。これ以上はないくらいにしっくり来る言葉に、思わず同じ単語を繰り返してしまった。

「ほら、ここは場所が場所ですし、かごめさまのことですし、何より、そのお守り、」

彼が手で指し示していたのは、私の右手だった。ゆっくり開くと、そこにあったのは鋼牙くんからもらったあのお守り。いつの間に握りしめていたかは分からないが、

「あ、」

「先ほどよりもずっと霊力が高くなってますよね」

いや、神気を纏ったと言うべきか、と彼は顎に手をやり、首を傾けながらしげしげとお守りを見つめている。私には彼ほどの気の違いを理解することはできなかったが、

「どんぐり…」

お守りと共に握られていたどんぐり。ああ、これはあの橙色の少年からの贈り物なのだろうと思い至ると、ふと瞼に熱が籠る。この小さな贈り物に熱源なんてきっとないんだろうけど、私にはじんわりと温もりが溢れてるように感じてならない。

「……だあっ!」

そんな穏やかな空気の中。
突然、頭をガシガシと掻きながら犬夜叉が声を上げた。予期せぬ大きな声にびっくりしたのは私たちだけではなく、背後で鳥居の中を行く人たちもビクリと肩を跳ね上げてこちらを見たが、彼はお構いなしで言葉を続けた。

「神隠しだか霊力だか知らねえけどなあっ!」

ドカッと私の横に荒々しく腰をかけ、キッと鋭い視線を向けたかと思うと、そのまま真っ直ぐに私を射抜く真剣な眼差しにどきりと大きく胸が鳴る。

「…ッ…なんにせよ、……無事で良かった…」

最後の言葉を言うやいなや、お守りごと手を握られて引き寄せられる。トンとおでこが彼の胸にぶつかった衝撃で、抱き締められたということを理解した。

彼の突然の行動と、鳥居の方から投げかけられたピュゥという口笛と、弥勒さまと珊瑚ちゃんの「あらまあ」「おやおや」とつい出てしまったであろう笑みを含んだ声に、私の顔にかあっと熱が昇る。

「い、…いぬや…」

「……」

が、羞恥で言葉も上手く継げない私と違い、もはや彼には周囲の目など、最初から入っていなかったらしい。

そのまま力強く抱き締められて、体制を崩した私は彼に身を任せるしかなかった。背から肩にかけてギュッと痛いくらいに回された腕の強さに、気恥ずかしい気持ちは徐々に小さくなり、申し訳ない気持ちが大きくなっていった。

強がりで意外と照れ屋な彼が、人の目も、特に友人の前であることも憚らずにこんなに感情を表に出すなんて、それはもう本当に珍しいことだった。そこまでさせてしまったのは、他でもなく自分であること。不可抗力ではあったけれど、無事に戻ってこれない可能性もあったことに思い至って、今更ながらに恐怖が頭をもたげた。

「…ごめんね」

「……あんま、心配させるんじゃねえよ」

「…うん」

その声はあまりにも小さく、きっと目の前で私たちを隠すように立っている2人には聞こえなかっただろう。私がもう一度「ごめんね」と囁くと、彼は極々わずかに頷いて、ようやく腕を解いてくれた。身体が離れていく刹那、ちらりと盗み見た彼の頬は、これでもかと言うほど赤く。見てはいけないものを見てしまったような気がして、私は思わず下を向く。

ぎこちない静寂。

上がった体温で熱がこもった2人の間を、わざとらしい咳払いが吹き抜けていく。

「…めでたしめでたし、ですかね」

「さ、時間もいいくらいだし、そろそろホテルに向かおう。かごめちゃん、歩けそう?」

「あっ、うん!あの、みんな本当にごめんね…せっかくの自由時間だったのに…」

「ううん、逆に忘れられない良い思い出になったよ」

「慌てふためく誰かさんも見ものだったしなあ」

「…うっせ」

秋とはいえ、夕方でも夜はまだ少し遠い。暮れ始めた陽の光の中、私たちは赤い鳥居の中へと戻る。ひと時の不思議な体験、と。言葉にすれば一言だけど、私はなんだかずいぶん長くあの中に居た気がする。

弥勒さまは言った。「かごめさまのことですし」と。おそらく何の気なしに口をついた言葉だろうが、何故か少し引っかかったのだ。
私の実家が神社だから不思議な体験とは縁がある、という意味だろうか。じいちゃんに聞いたら、“神社よしみ”で、何かわかることがあるかもしれない。

そういえば、あの狐の少年は、弥勒さまと珊瑚ちゃんの名前も知っていた。それは実家がお寺の弥勒さまに今度聞いたらわかるだろうか。


そこまで考えて、私はふ、と軽く息を吐いた。
みんなの時間を捜索に割かせてしまって申し訳なかったけれど、私は今日の体験が、自分にとってとても大切なものであったと感じていた。

でも、それはそれで。
私たちの修学旅行は、まだ終わっていないから。

「ねえ、また4人で来ようね!」

前を歩いていた彼らは3人揃ってこちらを振り返った。私の大きな声に少し目を丸くしていたけれど、互いの顔を見合って、示し合わせたかのように微笑ってこちらに向き直る。

「もちろん!」

珊瑚ちゃんに手を引かれ、

「次は何が起こるか興味深いですしね」

弥勒さまに微笑まれ、

「神隠しはもう勘弁してくれ」

犬夜叉に背を添えられ、

「じゃあ今度はみんなで神隠しにあえたらいいね!」

ワイワイと話しながら最後の鳥居をくぐる。振り返って一礼し、また来るねと心の中で呟いた。何故だか、また4人でここに来る気がする。そして今度は、みんなであの少年に逢える気がする。

ポケットにしまったお守りとどんぐりをぎゅっと握り締め、振り返ると3人は少し先で私を待っていてくれた。小走りでみんなの方に向かう際、

ーーいつでも待っておるぞ

微かに声が聞こえたような気がした。




不思議な体験をした古都に、彼ら4人がまた揃って足を運ぶことになるのは、今はまだ先のお話。
















ーー


「そういえばさあ、今日の犬夜叉、なんか少し変だったよね」

その日の夜。宿泊先のホテルで就寝前の準備をしながら、珊瑚ちゃんが「あの時、」と話してくれたのは私が居なくなったと分かった時のことだった。

「あたしは、お手洗いとか、まあかごめちゃんのことだから人助けしたりしてはぐれちゃったかなあ、とか思ってたんだけど、」

「その節は、どうもご迷惑かけました…」

「いやいや、何事もなくて良かったよ。でもさ、法師さまがかごめちゃんとはぐれたって言った時、変な消え方したとか何も言ってないのにさ、」

血の気が引く、とはこのことか。
そう思うほど、犬夜叉の顔は見る間に青ざめていったという。

「そんなに?」

「うん。…なんか、もう二度とかごめちゃんに逢えないみたいな感じだったよ」

その後、何も言わずに急に上に向かって走り出した犬夜叉に驚きつつ、「なら私たちは下を探してきましょう」という弥勒さまの提案に従う形になったそうだ。
その道中、視界から急に消えた私の話を弥勒さまから聞き、そこで初めて犬夜叉のあの反応に合点がいったとのこと。

「でもよく考えてみたら不思議だよね。まるでかごめちゃんが居なくなったのは神隠しに遭ったから、っていうのを知ってたみたいだった」

確かに、話の時系列を聞いていけば、彼の反応は少し不思議だ。
珊瑚ちゃんの言うように、さっきまで一緒だった人がいなくなったら、普通だったらはぐれちゃったかな、と思うだろう。
どうしてそんなショックを受けたような反応をしたのだろう。

それに、合流したあとのあれ。彼は今にも泣きそうな顔で、胸の奥底から搾り出すような震えた声をしていた。
私もなんだか頭がぼうっとしていたから、ただただ身を任せるだけだったけれど、あんな人前で、あんな大胆なこと…。普段の彼だったら絶対にしないだろうに。
何か理由があるのだろう。じゃなきゃ、あんな、衝動に任せて掻き抱くような、強い力で……。
そこまで思い起こして、徐々に頬に熱が昇ってきたことに慌てる。

「かごめちゃん?」

「わっ!えっ、う、うん?」

「?まあ、明日帰った後にでも2人で話してみるといいかもね」

「うん…そうだね…。ありがと、珊瑚ちゃん」

「ううん!そしたらあたしたちも布団行こっか」

同じ大部屋のクラスメイトたちは、敷布団の上に思い思いに寝転がって、好きな人の話や、今日の思い出について語り合っている。そんな賑やかな布団の中心地へと私たちも移動する。

待ってましたと言わんばかりに「ダブルデートはどうだった?」と今日の話を聞きたがる黄色い声に迎えられ「こりゃしばらく寝れないね」と苦笑する珊瑚ちゃん。

「みんなの話も聞かせてよね!」

女子部屋の夜はまだまだ更けないのであった。


ーー


「どうしてあの時、上に登って行ったんです?」

同室のクラスメイト達の寝息が背後から聞こえる。夜中の2時。今日のあの一件のせいだろう。俺は目も頭も冴えてしまい、布団に横になる気も起きず、部屋にある大きな窓からぼんやりと外を眺めていた。

「まるで、かごめさまが熊鷹社の方にいると分かってたみたいで気になってな」

でもそれは、この男も同じだったのだろう。
背後からかけられた声にチラリと振り返ると、彼は静かに微笑んでいた。
一体いつから起きていたんだか。

「……」

音もなく、俺の真横に腰を下ろした弥勒からじぃっと視線を感じる。
この件について、今晩あたりに聞かれるんだろうなと予想はしていた。何故なら、あの時の自分はいつもつるんでいる奴らからしたら、相当“らしく”なかっただろうから。

「……信じらんねえと思うけど、」

「信じますとも」

間をおかずポンと出された言葉に、思わず彼の方に顔を向けてしまった。
さも当然とういう顔をして首を傾げるこの男に、俺は苦々しく口を歪ませる。そう言ってもらえるであろうことを分かってた上で、敢えてこんな前置きをした自分に少し嫌気がさした。
「まあいいけど」と言葉を続け、あの時のことを思い出す。

「…あの時、…お前が「かごめが居ない」って言った時。…なんか、よく分かんねえけど、…もう二度と逢えないような感覚になって、」

「…」

「いつか分かんねえけど、なんか前にもそんな風に感じたことがあったような……いや、まあそれは別にいいんだけどよ」

相槌を打つこともなく、黙って俺の声に耳を傾ける男に、多少居心地の悪さを感じつつ、あの時の不思議な音を思い出す。


ーーぱん、


観光客が行き交うさざめきの中、妙にはっきりと上の方から破裂音のようなものが聞こえた。
思わず音のなる方に目をやる。聞き間違いかと思ったが、今度はその方角から声がした。


ーーこっちじゃ。こっちにおるぞ。


誰が、とは言っていなかったが、直感的にかごめのことだと思い至る。と同時に音の鳴る方へ走り出していた。ぱん、と何度か鳴るそれが、手の叩く音であると気付いた時には熊鷹社に着いており、程なくしてかごめを見つけたのである。

「俺ぁ幽霊だの、神だのに興味はねえけどよ、」

ベンチに横になって目を閉じている彼女は、誰がみても普通じゃないのに、そこを通る人々は全く気にも留めずに歩いていたのが異様だった。まるで誰の目にも彼女は映っていないような。

少し上がった息が、彼女を見つけたことで安堵のため息に変わる。ベンチに駆け寄って行くと、かごめは眠っているようだった。
ほお、と長く細く息を吐く。ふと彼女の傍に1匹の透明な狐が座っていることに気がついた。先ほどは目に入らなかったが、そいつは俺の目をじっと見つめた後、満足げにひと鳴きしてスゥと空気に溶けていったのだった。

「……まあ、信じらんねえかもし」

「いや信じますとも」

話し終えた後の沈黙に耐えきれず、最初と同じ言葉を口にすると、それを打ち消すかのように食い気味に言葉を喰われた。

「熊鷹社にある池には、不思議な言い伝えがありますしね。きっとかごめさまもお前も、何かのご加護があったかもしれませんな」

「……」

「ま、犬夜叉。安心しなさい」

「は?」

「かごめさまがお前の前から姿を消して、二度と逢えなくなる、なんてことはもう絶対にないでしょうから」

キッパリと言い切る弥勒に、そんなことはわからない、と言い返したかったが、なんだか上手く言葉が継げずに、む、と口を曲げることしかできなかった。あまりに不安がってるように見えたのか。断言した口調がいささか気にはなったが、この男なりの励ましなのかもしれない。

そんな俺の様子が可笑しかったのか、彼はクスクスと笑いながら「いい旅行の思い出になりましたね」と満足そうに言って、その場に立ち上がった。

「さ、私は寝ますけど」

「…俺はもう少ししたら横になるわ」

「はい、それではおやすみなさい」

背後で布団の重い衣擦れの音がしたが、すぐに寝息の合唱の中に溶け込んだ。

あの声は誰だったのだろう。少年の知り合いなんて俺にいたっけかな。
でも、何か、どこかで聞いたことがあるような。少し高めの、年寄りが使うような言葉で話す、生意気なガキンチョ。そしてあの狐。その2つが同一なことであるように思えて仕方ないのは何故か。

明日、かごめに神隠しの時の話を聞いてみよう。詳しくわかれば、この、あと一歩、あと少し足りない記憶の欠片が何かのきっかけで埋まるかもしれない。

俺も寝よう。
今日は色々ありすぎて、容量を超えたのだろう。少し頭が重たい。
大きな音を立てぬように布団に入り、目を閉じれば、もう今にでも夢の世界へ旅立てそうだった。

そういえば。
かごめに、まだきちんと謝っていなかったな。
明日、神隠しの話を聞く前にちゃんと話をしよう。絶対にヤキモチをやかない、とは言えないが…あんな風にかごめに文句を言うのはやめよう…

かごめ…ああ、あの時。気が動転してそれどころではなかったけど…少し冷えた彼女の身体…この腕で、抱きしめたんだよな…
小さくて、細くて…それで……

そんなはずはないのに、彼女の甘い香りがふうわり薫った気がして、目を閉じる。
うとうとと心地の良い眠気に包まれる中、腕が無意識に何も無い空間を抱きしめた。

程なくして、部屋には一つ分の寝息が追加されたのだった。











大遅刻どころではないですね…!!
何年か越しではありますが、めぐみさま、この度は企画への参加、本当にありがとうございました!!
そして、全然更新せずに申し訳ありませんでした…!!
待たせに待たせておいてではありますが、めぐみさまに楽しんでいただければ幸いです!!

学パロの彼らの世界線でようやく七宝ちゃんを出せたなあ、とちょっと感慨深いです。
私自身は京都に行ったことがないので、事実とは違う点もあるかもしれませんが、創作ということでご容赦ください…
いいですよね、京都!いつかがっつり観光したいものです…(´ω`)
長々とお読みいただきありがとうございました!

2023/8/19 くろ


あきゅろす。
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