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曙に溶ける


ゆまさま

企画・捧物





























「っと…ちっと遅くなったか?」


「大丈夫よ。まだ日は沈んでいないし」


村の入口まで私を運んできてくれた鋼牙くんが、すまなさそうにしているのを見て、笑いながらお礼を言う。


「今日はありがとね」


「いいってこった。んじゃな、気を付けて帰れよ」


「もうそこだもの。本当にありがとう!鋼牙くんも気を付けて」


「おお。じゃあ、またな!」


ぶわっ、と強い風が私を巻き込んで反射的に目を瞑る。それが過ぎ去った後に目を開ければ、彼の姿は夕闇に溶けて見えなくなっていた。


「さて、と……あ、」


家に向かおうと踵を返せば、そこに犬夜叉が佇んでいた。


「ただいま!」


そう言って、歩み寄る。
ここからは表情が見えなくて、返答がない彼を不思議に思い駆け寄ってみれば。


「…犬夜叉?」


「……」


山の端を僅かに染めるだけしか空にない夕陽の光でも分かった。
彼の瞳は、確かに怒りを孕んでいたのである。




















『曙に溶ける』




















遅い。

いくらなんでも遅過ぎる。


妖怪退治を終えて家へと帰ってきてからどのくらい経っただろう。

帰ってきた時は、まだ幾分か白かった陽射しも、今じゃ暗赤色に色付き、既に太陽はほとんどが沈んでいる。

今日は何もないと言っていたかごめが、もう夜になるというのに、帰って来ないのだ。

何か急な仕事が入ったのだろうか。いや、あのマメな彼女が書き置きを残していないということは、仕事ではないだろう。

じゃあ何処に居るんだ。

火に薪をくべる手を止め、その場に立ち上がる。

やはり、匂いを追っていこう。このままここでやきもきしているよりは、彼女を見つけ出すために走り回った方がマシである。

簾をあげ、匂いを辿ろうと暮れてしまいそうな空を見上げたその時。


「…!」


ものすごい勢いで此方に向かってくるムカつくにおいを感じた。そしてそれに混じっている匂いは。


「っ…」


ここからはあまり遠くないその匂いの方へと駆けていく。

駆け付けた先に居たのは、俺がずっと待ち続けていたかごめだけだった。鋼牙の野郎はとっくに走り去っていったようで。


「さて、と……あ、」


こちらを振り返った彼女に名を呼ばれたような気がしたが、それに応えてやれるほど、俺には余裕が無かった。


「……」


駆け寄って俺を覗き込んできた彼女のきょとんとした表情は、次の瞬間、ぎょっとしたものへと変わった。


「あ…の…犬夜叉?」


「こっち来い」


今にも口から飛び出してきそうな熱い言葉を、歯を食い縛ることで耐える。

乱暴に取った彼女の手首はひんやりとしていた。

そのまま引き摺るように家へと戻り、簾をあげて、手を離す。


「……お、怒ってるの…?」


「怒ってる、だあ?」


恐る恐る、といった風に尋ねてきたかごめに、頭の中で何かが切れる音がした。

ドン、と彼女の肩を壁に押し付けて、低く呟く。


「…自分の胸に聞きやがれ」


そして、簾を荒々しく退け、とっくに日が沈んだ森へと走った。とにかく、走った。

そうしなければ、凶暴な感情が溢れ出してしまいそうだったのだ。










――










「………あ、…」


彼が出ていってすぐに、私はへたりとその場に腰から崩れ落ちた。

恐かった。
あんなに怒った顔を見るのは初めてかもしれない。

昔のように賑やかな口喧嘩なんかでの怒られ方ではなかった。


「…どうしよう」


自分の胸に聞け、と彼は言った。

朝、彼を見送ったときはそんな素振りは一度もなかったと確信を持って言える。

やはり、鋼牙くんと居たからなのだろう。

彼と森で会ったのは犬夜叉を見送って出掛けた散歩先でのことだった。


「綺麗な紅葉(こうよう)を見せてやる」


秋真っ盛りのこの季節、そう誘われて連れていかれた森の奥には、まるで別世界のような見事な紅葉が広がっていた。

休みの日が滅多に重ならない私たちは、こんな風になかなか散策ができない。

今度は犬夜叉と見に来よう。彼は喜んでくれるだろうか。それとも、ただの葉っぱだと見向きもしないだろうか。

いや、彼と過ごせるのならば行き先なんて何処でもいいのだ。

帰るのが遅くなったのは、私が鋼牙くんに無理を言って、森の色々な所を案内してもらっていたからである。


「……犬夜叉」


鋼牙くんに気を遣わせ、喜ばせるつもりであった犬夜叉を、逆に怒らせてしまった。

私は夕飯を作ることも忘れ、その場に項垂れ続けたのだった。

その夜、日付が変わっても彼が帰ってくることはなかった。










――










「なんにもしちゃいねえよ!うっぜえな…」


そう言いつつ、酒を仰ぐ鋼牙の顔を睨み付けながら俺は黙って猪口に口をつける。

あの後、走り続けた俺が辿り着いたのは鋼牙の巣であった。

犬夜叉が来たぞ、と告げられた鋼牙は俺の顔を一瞥した途端呆れた顔をし、とりあえず呑めと酒を勧めてきやがった。


「っつーか、本人に聞けよ。てめえも大概女々しい野郎だな」


酒が入った鋼牙は口と態度がすこぶる悪い。


「…うるせえよ」


そんな小言に辟易しながらも、適当に相槌を打つ。早いとこ切り上げたいのは山々だが、あんな態度で家を出てきた手前、そう簡単に戻るわけにもいかない。

仕方がないので時間を潰すために来たはいいが、やはり人選を間違えたのだろうか。

いや、しかし、弥勒の所に行っても扱いと説教は然程変わらないようにも思える。


「…お前よー、かごめのこと信じてねえわけ?」


「なっ!」


唐突にそう切り出され、思わず揺れた手のせいで、猪口の中の酒が溢れた。


「んなわけねえだろ!」


「だったら何をそんな疑ってんだよ」


「う、疑ってなんか…」


「それとも何かあ?おめーにはかごめが軽い女にでも見えてるってか」


「っそんなわけ…!」


そんなわけ、ないけれど。

ないけれど、不安にくらいなるだろうが。

行き先も知らず、何時帰ってくるのかも分からず、帰ってきたかと思えば痩せ狼と一緒だっただと?

それに心が揺らがないほど、出来た性格ではないのだ。

信用とかそういうのではなくて…もっと…なんていうか……男として?…いや、夫として、不安なのだ。


「っはあー、っとに面倒くせえ野郎だぜ」


黙りこくってしまった俺に思いきりため息を吐いた鋼牙。その声につられて目をあげれば、


ばちゃっ


「んな!?…て、てめえ何を…!!」


顔面に酒をぶっかけられた。


「はっ、ちったあ目が覚めたか犬っころ」


目を細めてせせら笑いをする鋼牙。ぎっ、と睨めば涼しい顔をして酒の入った瓢箪を口にする。


「んだと!?」


いきり立つ俺にひょうひょうとした態度で、


「俺のことは信用してもらわなくて結構だけどよー、…かごめのことは信じてやれよ」


そんなことを言われちまったら、


「……」


「親兄弟、こっちにゃ居ねえんだろ」


「…わあってるよ」


もう何も言えねえじゃねえか。


「ま、今回は俺も悪いしな。謝っといてやるよ」


「…けっ」


くそ。
宥められるために来たわけじゃねえのに。
つーか、何が悲しくてこいつに説教されなきゃなんねえんだよ。しかも実はこいつが元凶だし。


───……かっこわりい…


ちびちびと酒を口に含みながら、がぶがぶと酒を仰ぐ鋼牙を見やる。


「……そういや、おめえさー」


「…あ?」


「…かごめとどっか行ったりしねえの」


「……最近はねえけど」


「あっそ」


それきり鋼牙は何も言わなくなった。…一体なんなんだ。


「……ま、たまには一緒にいてやれよ」


「はあ?…気持ちわりいな」


「あ、待てよ。てめえが留守の間に……よし。やっぱりお前は妖怪退治してろ!」


「んにゃろッ…ざっけんな!!」


結局何をしに来てしまったのか分からぬまま夜は更けて、家に着いたのは東の空の色が淡くなり始めた頃だった。










――










早朝の静かな空気に自身の鼓動がよく響く。

彼女は寝ているだろうし、喧嘩なんて旅をしていたときは日常茶飯事だった。

緊張するなんて、何を今更。

そこまで考えて、出てくるときに彼女にしたことを思い出して、苦い顔をする。

とりあえず、朝に彼女が起きたら、乱暴に壁に押し付けてしまったことを謝らなければ。


「……っふう…」


深く長く息を吐いて、簾を上げて、息が止まった。


「……かごめ…」


「…おかえりなさい」


俺の目に入ったのは、囲炉裏の前に敷いてある布団の上で正座をしているかごめだった。


「おま…何やって……」


「……っいぬや…」


「…おい!」


呆然と佇む俺に抱き付いてきたかと思えば、ガクッと崩れた彼女を慌てて受け止める。


「かごめ!」


まさか、ずっと起きていたのだろうか。もしや、無理をして具合が悪くなったのだろうか。

脱力した彼女を抱えて、顔色を窺おうと覗き込めば、


「あ、足……痺れ、た…」


今度は俺が脱力した。


「…バカめ」


俺が立っている場より1、2段高くなっている敷居に彼女を座らせて、一息つく。


「…寝てりゃ良かったろ」


頭に手をやり、何回か髪を撫で付けていると胴に腕を回され、再度抱き締められる。


「…どうした」


「…ごめっ…なさ……」


湿った声音に、謝罪の言葉が含まれていて、そういえば喧嘩をしていたのだと思い出す。


「…心配っ、かけ、ちゃっ…て……ごめ…っなさ、…」


「もういい。…泣くな」


嗚咽交じりの彼女の言葉がひどく胸に迫り、彼女の頭を胸に抱く。

俺の胸に押し付けられながらも、謝り続けるかごめに苦い笑みを浮かべた。不謹慎だが、嬉しくて、愛しくて堪らない。


「…かごめ」


ああ、まずい。
鋼牙の所で呑んだ酒の酔いが今更回ってきたようだ。


「…?」


おずおずと顔をあげた彼女の濡れた目が、今の俺には毒以外の何物でもない。


「…困る。泣くな」


色々な意味で、困る。

未だに涙が溢れる彼女の目元に口を寄せた。まだ熱いそれが、妙に気を煽る。


「……人が謝ってるのに…からかわ、ないでよ…っ」


「…別にからかっちゃねえよ」

ただ、お前が俺に謝るなんて新鮮で。しかもそんなに必死に、泣きながら。いつもなら肝も冷えるだろうが、酒が入っている今の俺にはちょっとそそられる。

男冥利に尽きる、と言ったら、怒られるだろうか。


泣きじゃくる彼女を宥めつつ、鋼牙との経緯を聞いて俺が苦い顔をしたのは言うまでもない。


だからアイツ、あんなこと聞きやがったのか。余計な世話だってーの。


聞けば、かごめが鋼牙に教えてもらった穴場というのは全てこの村の近辺である。

おそらく、アイツが気を利かせてかごめが道案内する時に、あまり複雑な道順を踏まないような場所を教えてくれたのだろう。

聞けば聞くほど、自身の立場が無くなっていく。

それでも。


「…本当に、心配かけてごめんね」


「……全くだ」


かごめも解ってくれたようだし、恐らく仲直りも出来たし……


「あ」


忘れていた。


「え、なあに?」


きょとんとした彼女の後頭部に手をやり、ゆっくりとその場に横たわらせた。


「え…?え?」


「…さっき、」


彼女の首筋に唇を押し宛て、首から肩にかけての線をなぞるように口付けを落としていく。


「肩。…痛かったろ」


「悪かった」と一言告げて顔を上げれば、そこには淡い暗がりの中でも分かるほど赤面しているかごめがいて。


「…謝りながら笑わないでよ」


「…笑ってたか」


「今も笑ってるわよ!ちょ、私寝てないんだから、からかうなら離してよ!!」


照れ隠しなのか、必死に暴れだした彼女の両の手を床に縫いとめて、もう一度目元に口付けを落とす。


「だから、からかってねえっての」


そうだ。今日にでもその穴場とやらに案内してもらおう。かごめも今日の日中は何もなかったはず。

その前に、こいつは寝させてやらなければいけない、…けれど、


───全く眠くねえんだよな…


むしろ目が冴えてきた。
俺は睡眠なんて必要ないが、彼女は別だ。睡眠不足で体調を崩させるわけにはいかない。…だけど、


「犬夜叉聞いてるの!?」


こんな据え膳状態で、酒の入っている俺に「おあずけ」なんて殺生な。


「……はあ」


「…犬夜叉?」


怪訝そうに眉をひそめた彼女を抱き起こして、今度は敷いてあった布団の上に横たわらせた。


「…寝ろ。体調崩すぞ」


彼女の横に、俺も肘をついて床に寝そべる。

そもそもこいつが寝なかったのは俺のせいでもあるし、これ以上負担を掛けるわけにはいかない、という理性が勝利した結果だ。


「…こっち、きて」


布団を少し上げ、ちょい、と俺を手招くかごめ。おい、と心の中で突っ込む。

理性が揺らぐからそういうことは本気で止めて欲しいんだが。…実は誘ってんのか。いや、無いな。


「…いぬやしゃ?」


眠そうだし。


「…次は添い寝じゃ済まねえからな」


「……うん」


その返事に苦笑を通り越して呆れて笑ってしまった。

お前は、本当に意味分かって頷いてんのかよ。

直後に聴こえてきた微かな寝息に小さく溜め息をつく。彼女の赤くなってしまった目元を軽く撫でてやりながら、ふと感じた幸福を、口にせずには居られなかった。


「…好きだ」


その呟きは、彼女の夢の中まで届くわけもなく、曙の白い闇の中に消えたのだった。






















鋼牙くんの格好よさが3割増しなのは作者のひいきです!ドーン
そして、結局犬くんも謝っちゃってる…リクエストに添えているか激しく不安です…。

この度は企画への参加、ありがとうございます!

ゆまさまの指摘から、確かに喧嘩の原因はほぼ全てが犬くんにあるという事実に初めて気付きました!犬くんごめんね!←笑

それではゆまさま、これからもどうぞよろしくお願いします!

ありがとうございました!^^*


20120325


あきゅろす。
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