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小さな歯車


mariさま

企画・捧物


























『小さな歯車』




















───…すまねえ、かごめ


星明かりが、彼の顔の端を淡く照らしている。そんな暗い森の中、その一言は静かな空間にひっそりと響いた。


───俺は、……桔梗と逝く


そう呟くや否や、彼は緋色の背中を私に向け、夜にしては仄白い森の奥へ、奥へと歩を進めていった。私のことを振り返ることなく一歩、一歩と遠ざかっていく。


待って。


たった、たったそれだけのことが言えなかったのは、声が出なかったから。

言葉が喉に詰まって、なんてそういうわけではなく、まるで、声を出す器官が無くなってしまったような。そんな感じ。


待って。
逝かないで。


まるで、彼を引き留める言葉を私が口にする権利なんて無いと、失った器官に告げられたような。そんな感じ。


逝っちゃ、だめ。





ねえ、─────















「……」



目を開けて、ひとつ瞬きをすれば目元から頬にかけて、冷たいものが伝っているのを感じる。

身体の節々が痛い。

ゆっくりと身体を起こせばポキリと腰が鳴った。どうやら机の上で転た寝をしていたらしい。無理な体勢で長時間伏せていたからか、身体を動かす度に鈍痛が走る。


「…あ、……あーあ…」


ふと目を落とせば、腕の下に敷かれていた計算用ノートが濡れて、所々計算式が滲んでいた。

ノートを眺めつつ、頬に触れてみれば、そこに在るのはまだ乾いていないそれの原因。


「…あーあ」


ため息に意味を持たない音を乗せて、外を見やる。最後に見たときより大分暗くなっている空は、雲ひとつない。

ああ、そうだ。
確か、昨日彼が森の奥に一人向かったときもこんな色合いの空であった。


「……なにしてるのかな」


宵の口に出ていった彼は朝になっても帰らず、私はそんな彼を待って一晩中起きていた。

幸い楓ばあちゃんの村も近く、弥勒さまが「旅には支障をきたしませんから、ゆっくり休んできなさい」と現代に帰してくれて今に至る。

お陰様でぐっすりと、それはもう昼から夕方までたっぷり5時間ほど休むことができた。身体は少々痛いけれど。


もう、やる気を失ってしまった。


もともとそんなに進んではいない数学のノートを閉じ、机から離れて、私は重力に従ってボフンとベッドに沈み込んだ。

いつかも、同じようなことをしたな、と笑みを浮かべつつ枕を自身の顔へと引き寄せて押し宛てる。


急に、今の今まで忘れていた先程の夢が、頭の中に流れ出した。


なんて、…なんてリアルな夢だったのだろう。


桔梗と逝く、と告げた彼の瞳は迷いもなく、ただひたすら真摯で。

きっと、あんな風に言われたら、私は彼を止める枷にも何にもならないのだろう。私が何を言っても、彼は足を止めてくれないのだろう。


ならば。


「……私、は…」


彼にとって、
一体なんなのだろうか。

自身の鼓動に耳を澄ませれば、彼に言われた言葉が聴こえてきた。




いけすかない女。
玉発見器。
桔梗の生まれ変わり。




…ああ、なんだ。
答えは以前から、彼が口にしているではないか。

それだったら、彼が四魂のかけらを見ることのできる彼女と旅をすれば、全て丸く収まる話である。


「……、…」


何かを言いたかったのか、それとも呼吸をしたかっただけなのか、薄く開いた私の口は無意味以外の何物でもなくて。



突然、喉元から込み上げてきた狂おしいほどの熱が、私の足を動かした。



ベッドから降り、部屋を出て、階段を下り、玄関から飛び出して、走って、走って。

辿り着いたのは、全ての始まりの場所だった。


木の葉がザワザワと音を立てる。

それにつられて顔をあげれば、まず目に入ったのは、大樹の中程に不自然に残っている大きな跡だった。

更に上へと顔を向ければ、木の葉の奥はすっかりと夜の闇に呑まれている。
星明かりか、月光か。それらの隙間から漏れている淡白い光がやけに映える。


それは夢の中の彼の背後にあった森に似ていた。


「……」


知らず、瞳から想いが溢れた。





なぜ、私たちは出逢ってしまったんだろうか。





初めから報われない想いを抱えて、それを知っているのに、これ以上好きになってしまうなんて、惨(むご)すぎる。


彼女が死ななければ。
私の知らない世界で、また違った歯車が廻っていたのだろう。

けれど、桔梗の魂は私へと流れ、私は犬夜叉と出逢い、そして好きになってしまった。その現状が変わることはない。


そう思うとやりきれない。


きっとこれからも、何も変わりはしない。桔梗と犬夜叉の運命という歯車に、ただの偶然である私みたいな小さな歯車が、入り込めるはずがない。


私は、どうすればいいのだろう。


犬夜叉に別れを告げ、彼にかけらを託し、向こうの世界のことを忘れて、こちらの世界で生きていくことが、お互いにとって最善なのではなかろうか。


…冗談。
こんなにも膨らんでしまった想いを、今更無かったことになんてできない。

かといって、このまま私が傍に居続ければ彼はきっと困惑する。敵うはずもない彼女と天秤に掛け続けられるなんて、それも、嫌だ。



ふと、滲む視界を仄かに白く染める明かりに意識を奪われた。

上を向いたまま、数歩後ろに下がってみれば、トンと何かに頭が当たる。


「!」


びくり、と肩を竦めつつ後ろを振り返れば。


「…驚かせるつもりじゃなかったんだけどよ」


今、最も会いたくない人が居た。


「…いつから……」


「…ついさっきだ」


「……そう」


視線を彼にまであげることができなくて、私の視線は彼の足元に固定されていた。


「…迎えにきた」


唐突に。
彼がボソリと呟いた一言が、私の心をひどく揺さぶる。
いつもはそんなこと言わないくせに。なんでこういう時ばかり、そんな言葉を口にするの。


「……なんで」


「なんでって…」


思わず口から出た言葉に、心の中で苦笑する。

私は、彼を困らせてまで何を言って欲しいんだろう。何を言ったって、何も変わらないことくらい、解ってるじゃない。


「…ううん!なんでもないの!…向こうに、帰りましょう…」


ね、と彼の手を引く。

いつまでもぐずぐず悩んだって仕方ない。だけど、前向きになろうとした私の足は、そこから一歩も動かなかった。


「…!」


否、


「…っかごめ」


動けなかった。

私が引いたはずだった彼の手に逆に引かれてしまい、抵抗する間もなく、気付けば私は彼の腕の中にいた。


「……犬夜叉、離して」


この腕で、彼女のことも抱き締めたんでしょう。

こんなこと、考えさせないで。
これ以上、醜い心をあなたに晒したくない。


「…離してよ、……」


「……」


後ろから胴と肩に手を回されて、抜け出そうにも抜け出せない。頑なに口を開かない彼に、感情の波が堰を切った。


「……、……っ…」


彼の胸が、腕が、身体に触れている箇所が、ひどく温かいのだ。


彼は、今、生きている。


それなのに、彼の望みは彼女と共に逝くことなのだ。この温もりを失うことなのだ。

こんなにも、泣けるくらい、彼はひどく温かくて優しいのに。


「…なんでって、聞いたな」


ようやく口を開いた彼の問いに、ひとつ頷いた。私は彼にそっと身体の向きを反転させられて、再び抱き寄せられた。目の前の緋色の衣に、涙が染み込んでいく。


「俺が、…会いたかったんだ」


ああ、本当にこの人は。


「…ほん、とうに……?」


「……」


無言で強められた腕の力に、私はどうすればよいのか分からなくなった。

どうすれば、私たちは傷付かないで共に居られるのだろうか。


「…行かない…って言ったら?」


「連れていく」


「嫌だ…って、」


「連れてく」


私が離れようとしたって、彼が口にするのはそれを拒否する言葉。

仕方ないと、思った。


「…それじゃ人拐いよ」


自然と笑みがこぼれる。


「…なんとでも言えよ」





桔梗とは何を話したの。
いつ戻ってきたの。
私が居ない間、何を考えてたの。

聞きたいことはたくさんあった。でも、もういいの。





「……仕方ないから、」





考えたってすぐに答えが出ないんだから。だったら、もういっそ、





「拐われてあげる」


だって、仕方ないじゃない。
どうしようもないくらい、好きになってしまったのだから。

答えが出るまで、あなたの隣に居よう。答えが出たらその時は…、その時に、どうすれば良いのか考えよう。


「……な、」


「犬夜叉?」


一瞬、奇妙な間をあけた彼を見上げてみれば、器用に方眉を上げて、目を見開いて、どこか間抜けな表情を浮かべていた。


「どうしたの?…ふふ、すごい間抜け面」


「な!……っくそ」


素直な感想を述べ、笑ってやれば、今度は歯痒そうに眉を顰めて、


「!」


少し荒々しく、目元に唇を落とされた。


「……へっ!?」


一拍置いて、今なにをされたのかを理解した私はサアアッと一気に顔に熱が集まる。


「てめえこそ、すっげえ間抜け面」


はんっ、と口角をあげて勝ち誇ったような笑みを浮かべる犬夜叉。なんて底意地の悪い顔。


「っ誰の…!」


渾身の力で離れようとするも、彼は腕を解いてくれない。そればかりか、もう一度私を胸に引き寄せた。


「いぬやっ…」


「…拐って、いいのか」


「、しゃ……?」


さっきとは打って変わって、ひっそりと呟かれた真摯な声に、思わずコクリと頷く。


「……わかった」


わかった、と二度繰り返して、彼は多分微笑った。肩越しで感じる彼の気配が、そんな風に思えたのだ。


「……かごめ、」


私の髪に、彼は私の名を埋(うず)める。その吐息が首筋にかかって少しだけくすぐったい。そして、暖かい。


ほんの少しだけでもいい。
私が彼と出逢った偶然で、彼の歯車がほんの少し、運命とはちょっと違う風に回ってくれれば良い。


再度呼び掛けられた自分の名に、私は気付かれないように小さく微笑う。そして、それに応えるため、彼を見上げて少しだけ背伸びをしたのだった。
























甘甘に…仕上げたつもりです!←

桔梗さん絡みでかごめちゃんが落ち込む話は何回か書いたことがありますが、書く度に…本当に彼女の懐の深さを思い知ります…!

そしてそれが表現できているか…激しく不安なところであります…

mariさま!この度は企画への参加ありがとうございます!

遅くなってしまいましたが、これからもどうぞよろしくお願いします!^^*


20120527


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