捧物
多様な病の治療法
望さま/66666枚
「じゃあ、行ってくるから」
そう言って少し笑うかごめの顔は、朝特有の柔らかな闇に照らされて何処か幻想的だった。
「おう。ドジすんなよ」
対する俺も、同じように淡い夜闇に照らされていることだろう。
まだ明け方前。
かごめは最近流行っている村の子供らの風邪の看病をするべく、昨日から楓と段取りを組んでいた。
流行り病というよりは気温が不定期に変わることによる体調の崩れやすさからくるものらしいから、さほど重病でもない。
昨晩、それを聞いて俺がひどく安心したことは彼女には伝えていない。
「しないわよ、失礼しちゃうんだから!犬夜叉もドジしないでよね」
俺はというと、例によって妖怪退治だ。
しねえよ、と一言呟いてかごめの頭に手を置く。
「じゃあ行くか」
「うん!行ってらっしゃい!」
「…お前もな」
「うんっ」
そう言葉を交わして俺は弥勒らの家の方向に、かごめは楓の小屋の方へと向かった。
これが、昨日の朝の話である。
『多様な病の治療法』
「で、どうしてお前は不貞腐れているのだ」
「別に不貞腐れちゃいねえよ」
時頃は夕刻。
そう、俺は断じて不貞腐れてなどいない。
「かごめちゃんに相手してもらえないからって、そう拗ねるこたないだろう」
「拗ねてねえっ!!」
昨夜、かごめは俺より遅く帰ってきた。いくらこの村の中での診察と言えども、ばばあとたった二人では辛いだろうに。
「ちょっと待っててね。夕餉の支度するから」
帰ってくるなり飯を作り、食べ終えた途端に薬草の調合を始めた。
構ってもらいたいわけではないが、いつもなら交わせる他愛のない話が出来なくて、物足りなさを覚えたのは事実だ。
かごめは丑三つ時頃まで起きていて、夜が明ける前には出発の準備をしていた。
「帰るのが遅くなるから、珊瑚ちゃんの所に居てね」
「珊瑚?」
「昨日了承を得たから大丈夫!今日はご飯作れそうにないから…」
そう言って申し訳なさそうに眉を下げるかごめが、ひどく歯痒かった。
「…分かった」
「ごめんね」
「お前が謝ることじゃねえよ」
行ってきます、と朝霧の中遠ざかっていく背中が見えなくなるまで見送った。
歯痒いと感じたのは、そんなに俺に気を遣わなくていいと思ったからだ。
疲れているだろうに。俺の飯の心配などしなくていいのに。
「……やべえ」
今すぐ追いかけて、引き寄せて、抱き締めたい衝動に駆られる。そしてそのまま引き留めていれば、かごめは何処にも行かず傍に居てくれるだろうか。
いや駄目だ、と激しくかぶりを振る。彼女は仕事なのだと己を律して辛うじてそれを堪えた。
そんなこんなで、今に至る。
「まあ、分からないでもないですがね」
「!」
珍しく弥勒からの賛同を得られて、思わず顔をあげる。しかしやはりそこは弥勒だ。お前は、と説教じみた顔つきになった。
「今、かごめさまの立場でいるわけだ」
「…は?」
「我々が泊まり掛けの妖怪退治をして帰ってきたとき、かごめさまは仏頂面だったか?」
「…」
「私に構ってくれなかった、と拗ねていたか?」
別に俺は拗ねてる訳じゃない、と言いたかったが野郎の背後に錫杖が立て掛けられていたので心の内で毒づくだけにしておいた。
「……いや」
「だろう?寧ろ労いの言葉と笑顔をかけてくれたのではないか?」
全くもってその通りだ。
何も言えず黙って俯いていると、突然二人分の小さな手で背中を叩かれた。振り返らずとも誰の仕業か分かったので無視を決め込む。
「いーぬー!ぷんぷんー」
「いーぬー!ぷんぷんー」
そう言って笑いながらよじ登られる。もう慣れたものだ。されるがままにしておく。
それにしても、そんなに機嫌が悪そうに見えるのだろうか。
「とにかくだな、笑って迎えてやれ。かごめさまだってその方が嬉しいだろう」
「……わあったよ」
お転婆な双子が俺の耳を触ろうとしているのに気が付き、やんわりと二人をつまみ上げて弥勒に渡してやった。
――
「ただいまー…」
「おう」
「ご飯は?」
「食ってきた。ほら、お前の分」
「わあ、嬉しい…ありがとう」
疲労を背負っているだろうに、それでも笑みを浮かべるかごめ。ちり、と胸の奥が痛む。俺の前でくらい、もっと気楽にしてもいいのにと。
そう思うと、眉間に皺が寄った。
「ん、やっぱり珊瑚ちゃんのご飯美味しいー…」
「かごめ」
「ん?」
「辛いなら休め。もしくは止めろ」
そう言った途端、かごめの顔が強張った。
心の何処か片隅でしまった、と思ったがもう止まらなかった。
「流行り風邪なんだろ?お前も楓ばばあもそんなに身を削って看病するものでもねえと思うけどな」
最低だ。
「……犬夜叉…」
最低だ。
「…そんなこと思われてたなんて知らなかった」
かちゃんッ、と箸を荒々しく置いて俺に背を向けたかごめに、熱くなっていた頭が一気に冷める。
「…今はあんたと話したくない」
「…勝手にしろよ」
床の用意をし始めたかごめを横目に、俺は簾をあげて表へでた。夜特有の冷気は、肌にも胸にも痛かった。
――
「最低だな」
冷ややかに言葉を放つ法師に項垂れた。もうその通りだとしか言いようがないことをしてしまったわけなので、どんな罵倒も受け入れるつもりでいる。
「てめえ、昨日の俺の話聞いてたか?あ?」
「……」
珊瑚とその子らは仲良くお散歩中である。よってこの不良法師は遠慮なく素を出すことができるわけだ。
現在、錫杖で頭をぐりぐりされながら、俺は生臭坊主の有難い説教を受けている。
「笑顔で出迎えるだけのことがなんでできねえんだよ、てめえはよ」
「…んな難しいこと言うな」
「その辺の犬の方が余程利口だな。主が帰ってくれば尻尾振って出迎えるのだから」
「……犬扱いすんな」
「お前より野良犬の方がまだ可愛いげがある」
「…俺は野良犬以下か」
「未満だ、未満」
呆れた、と言わんばかりにはあぁ、と大きく溜め息を吐かれる。
「で、かごめさまは?」
「…今日は帰って来れねえだとよ」
結局一晩中どうすればいいか悩みながら宛てもなく彷徨ったが妙案が浮かぶわけもなく。
朝方、最上級の気まずさを覚えながら家へ戻ってみると「今日は帰って来れません」とだけ藁半紙に書き残してあった。
「お前としてはかごめさまを案じての台詞だったろうが…まあ、拙いな、言葉が」
「……じゃあ何て言や良かったんだよ」
そんな気張らないで欲しい。他人の看病でお前が身体を壊したらと思うと駄目だった。
俺の前でくらい、辛いとか疲れたとか愚痴をこぼして欲しい。
労いの言葉が巧く掛けられるかは分からないが、彼女が気兼ねなく凭れ掛かることができる存在にならなれる。
言ってしまえば、かごめとの会話が極端に少ないのも、かごめに触れられないのも、かごめに頼ってもらえないのも、辛いのだ。
「要は寂しいのだろう、お前は」
「……否定はしねえよ」
「…今日は飯食って帰れ。お前も色んなことが分かるだろうよ」
「……」
その言葉通り、夕飯を食ってから家へと戻った。珊瑚は泊まっていけば良いのに、と言ってくれたが、弥勒がそれを許さなかった。
俺としても帰りたかったので、珊瑚にはそう言って帰路へとつく。
弥勒の言っていた意味を理解するのに、そう時間は掛からなかった。
独りの小屋は、ひどく広くて冷たくて、まるで世界に独りだけのような錯覚さえ覚えるほど、静かだった。
こんな寂しい家の中で、かごめは俺を待っていたのかと思うと昨日の自分がひどく情けなくなる。
どんなに俺が遅く帰ってきても、不平も言わず、笑みを浮かべて、微塵も寂しさを滲ませなかったかごめ。
それに比べて俺はどうだ。思い返すことすら憚れるほどの醜態。更にはかごめに非道いことを言う始末。
ああ、確かに野良犬の方がまだ可愛いげがある。
帰ってきたとき、どんな顔をしてかごめを迎えてやれば良いのだろうか。果たして尾を振り、労うことができるのだろうか。
夜が長い、そう思った。
前編了
→後編
前へ(*)次へ(#)
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!