捧物
ある初夏の昼時
ばななさま/5555枚
「わあ…っ」
今日は暖かいし天気も良かったので、薬草を摘むのにいつもより遠くに足を伸ばしていた。
木漏れ日が揺れる心地よい木暮を抜けて明るみに出ると、急に視界が開ける。
そこは小高い丘となっていて、楓や珊瑚たち、そしてかごめが暮らす村が一望出来る場所だった。
『ある初夏の昼時』
「犬夜叉、今日は確か何も予定なかったわよね」
「あ?…まあな」
「じゃあ一緒に散歩しない?」
それは、かごめが丘を見つけてから数日後のことだった。家でゆったりくつろいでいる夫の手をとる。
「天気も良いし、いかにも散歩日和じゃない?」
犬夜叉は、行こう行こう、といつもより甘えてくるかごめを怪しんでいるようだったが、彼自身その誘いが嬉しかったのだろう。
二人が外に出るのにそう時間はかからなかった。
――
「んーっ!気持ち良いね」
ウキウキした様子で歩く妻に思わず笑みがこぼれる。久しぶりに入った森は草が茂り、新緑の匂いで溢れていた。
「そう、だな」
息を深く吸い込むと肺が洗われるようだ。とても清々しい。そしてそれに混じって鼻に届くのは彼女の香。
「…良い匂いだ」
「ね!来て良かったでしょ」
かごめは俺の言葉の意味は分かっていないようで。ホッとするような、残念なような…。無邪気に微笑う彼女に少しだけ笑い返す。
「てかよ、一体何処まで行くんだ?」
散歩、にしてはかなり歩いている。そして彼女にはどうやら目的地があるようで、迷いなく森の奥へと進んでいく。
「ん〜…秘密!」
その質問に彼女は意味ありげに口に手を宛てて笑う。不満に思いながらも、楽しそうに前を歩く妻にどうして文句を言えようか。
そのまま導かれるように手を引かれ、初夏の森を歩くのだった。
「ここ!犬夜叉こっち!」
かごめが指差す前方の道が開けているようだ。そちらへ駆け出した彼女が今まで引いていた俺の手を離す。突然離れた温もりが少しだけ寂しい。
彼女が呼ぶ方へ向かうと眩しい光が目を刺した。日陰を歩いてきたためか、目がすぐに慣れず、咄嗟に目を瞑る。
「どう?良い所でしょ?」
そんな声が聴こえて、太陽の眩しさに目を慣らしながらゆっくりと目を開ける。
「……あ」
こんな場所があるなんて知らなかった。小高い丘は柔らかな芝生に包まれ、そこからは見慣れた村が見える。
静けさの中に自然の音が溶け込み、なんとも心地よい。
「良い場所だな」
「でしょう!この前薬草摘んでたら見つけたの」
「…こんな所まで一人でか?」
「うん!でもおかげで素敵な場所見つけられたから良いじゃない!」
どうやらとてもお気に入りのようだ。初夏を匂わせる風、柔らかくしなる草が確かに気持ち良い。
しかし、あるのはそれだけでなんとなく殺風景でもある。
「お前は花畑とか海とかが好きだと思ってた」
そう独りごちるとええっ、と目を丸くされた。
「花畑とかも好きだけど…こういう所も好きよ」
「何にもねえのにか?」
「あるじゃない」
そう言ってかごめは丘の下を指差した。覗き込まなくても分かる。眼前に広がるのは―…
「私たちの村が!」
ちらほらと見える家から煙が立っているのは、丁度昼飯時だからだろう。平々凡々としている喉かな村。
「珊瑚ちゃんも弥勒さまも、七宝ちゃんも楓ばーちゃんも!皆が居るこの村が好き!」
そんな横顔を眺めながら、ふと思う。
―俺はかごめさえ居れば…
お前さえ居ればどんな所でも好きになれるなんて。
まさかこんな気障なこと弥勒じゃあるまいし言えるわけがない。
顔が熱いのは降り注ぐ日光のせいだということにする。
「それにね、」
かごめがフワリと髪をなびかせながら、俺の方を振り向く。その笑顔に一瞬目が眩んだ。
「それに…?」
「犬夜叉が護り続けてくれた村だから…好き」
彼女の伏せた睫毛が微かに揺れている。いつの間に来たのだろうか、俺の隣に静かに座り込んだ。
「旅に出ようと思ったら出来るのに。…ずっとこの村で色んな人を助けてたんでしょ?」
きっとかごめが居なくなった3年間のことを言っているのだろう。
確かに俺はこの場所に居続けた。弥勒や楓に世話になりながら、村人を助けたりしながら過ごしていた。
結果的にそれは村を護っていたように見えただろう。
でも、違う。
俺がこの場を動けなかったのは、かごめから離れたくなかったからだ。
「犬夜叉?」
下から俺を見上げる視線を感じた。ずっとこんな穏やかな時を夢見ていたんだ。
「俺も、……」
―お前が共に生きてくれる
「この村が、好きだ」
かごめの後ろにひざまづくような形で座り、ずっと待ち焦がれていた温もりを、その細い肩ごと抱き締める。
「どうしたのよ」
顔は見れないが、声音で照れているのが分かる。首筋に顔を埋めながら、いい匂いを目一杯吸い込む。
「…何でもねーよ」
「嘘ばっかり」
クスクス笑うため、彼女の肩が小刻みに揺れた。
爽やかな風が俺たちを通り過ぎていく。かごめの黒い髪を揺らし、俺の銀の髪を揺らし、村の方へと流れていった。
「お腹、減ってない?」
「ん…減った」
「…帰ろうか?」
「……ああ」
名残惜しいが、かごめに回していた腕を解く。彼女が立ち上がる前に、気付かれないよう柔らかなその髪に口付けを落とした。
「行こう」
そう言って差し伸ばされる手は太陽の光を反射して、一層白く見えた。
「おう」
その手をとって、そっと力を込める。ぴくりと動いたかごめの手が応えるように俺の手をゆっくりと握り締めてくれた。
そんなことが、とてつもなく愛おしい。
「かごめ」
俺を見上げた彼女の額に唇を宛てる。
木陰の涼やかさでは冷ましきれない唇の熱と額。
それを離してからかごめを覗き込むと、顔を真っ赤にしている彼女と目が合った。
「…ずるい」
「そうか?」
「…不意打ちなんて、ずるい」
「そうか」
頭を撫でると、下からムッとした視線を感じる。それが照れ隠しだということが最近分かった。
自然と緩む口元。その場から動こうとしないかごめを今度は俺がその手を引いて歩く。
「嫌だったか?」
「そっ…うじゃないけど…」
「そりゃ良かった」
そう言って笑うと、突然背中に衝撃が走った。大した強さでもないから一旦その場に立ち止まる。
「…どうした?」
ゆるりと身体に巻き付く細い腕を感じながら背中越しに尋ねた。
「…なんでもないわ」
「嘘つけ」
腹の前で組まれている小さな手に俺の手を重ねた。鳥のさえずりを聴きながら、しばらくその場に佇む。
「…ねえ、」
「ん?」
「葉っぱついてるよ」
「は?」
髪の毛に柔らかな感触、次いでかさりという音がした。
「ほらっ」
声の方に目を向けると、木の葉が一枚。風に散ったものだろう。
「あ、前髪にもある!」
取ってあげる、というもんだから仕方なく上半身を、かごめの手が届くところまで倒す。
「ん」
彼女の顔が至近距離なのが照れ臭くて、少し目を細める。
しかし、やけに目の前の影が遠のくのが遅い。変に思ってかごめに目を向けると、一層影が濃くなった。
「!」
柔らかい感触で感覚が麻痺する。何度も感じた温もりなのに、まさかかごめからされるとは思わなくて。
しばらく呆然としていたため、音もなく離れていく温もりに気付かなかった。
「…犬夜叉?」
控えめな声がして、我に帰る。一拍遅れて唇を中心に熱が身体中に回るのが分かった。
「わ、顔あか…きゃ!?」
半ば強引にかごめを横抱きにして森を駆ける。
見られたとはいえ、こんな恥ずかしい顔、いつまでもお前に晒せるか!
「…っ不意打ちは卑怯だぞ」
「知らないわ」
「っこの…!」
火照る顔を、後ろへと流れていく風が撫でる。なかなか冷めない熱を忌々しく思っていると、ようやく村が見えてきた。ここから家にたどり着くまで、そう時間はかからない。
愛しい温もりを抱き締めながら、俺は足に力を込めて走った。
了
ばななさま、5555枚目を踏んでいただきありがとうございます!
ほのぼの甘に…なってますでしょうか?
どうやら拙宅の犬くんはS気質な癖に照れ屋なようです笑
リクエストありがとうございました!
これからもどうぞよろしくお願いします!
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