捧物
夜泣き
叉絵火さま/55555枚
「……っは…ぁ……はぁ」
最近、明け方前に目が覚める。何があるわけでもない。ただ、ふと、自然に起きてしまうのだ。
怖い夢、を見ているわけではないのだけれど、目覚めたあと、途方もない不安が胸中を占める。
傍らに目をやれば、白い耳をピクピクさせながらも寝息を立てる夫がいて。
その胸の中に潜り込んで、漸く私は安堵を得られて、再び眠りにつく。
これが、最近の私の日課である。
『夜泣き』
「行ってらっしゃい!」
「おう。あんま無茶すんなよ」
その言葉に笑いながら頷く私に、犬夜叉は少しだけ微笑いながら頭を撫でる。
「じゃあ、行ってくらあ」
「気を付けてねー!」
弥勒さまに笑いながら小突かれる彼の緋色の背中を見送った後、私の慌ただしい生活が始まる。
まず、掃除。次に洗濯。珊瑚ちゃんと談話しながら行うのが常で、愚痴や惚気など所謂ガールズトークをしながら午前中を過ごす。
午後からは村の子供たちと戯れながら薬草を採ったり、巫女修行を始める。
そんなことをしていると、いつの間にか夕刻になっていて仕事帰りの犬夜叉が迎えに来てくれる。
私はいつも決まった場所に居るわけではないから、彼は匂いを辿ってきてくれているらしい。
それで、二人で子供たちを家に帰しながら回って、自宅に帰る。
夕飯を食べて、他愛のない話をして、布団を敷いて、彼の隣で微睡んで、眠りに就く。
いつもと同じ。
日常の繰り返し。
それなのに。
「……っっ、…は、ぁ…」
どうして、こんなにも不安なんだろうか。
「…………ぁ、」
しまいには涙さえ零れる始末。慌てて口に手を押し当てて嗚咽を堪える。ポロポロと零れる雫が、ぱたぱたと布団に落ちては音をたてて弾ける。
───どうしよう…どうしよう…
それは止まるどころか、ますます流れ落ちて。
せめて、寝ている彼を起こさぬようにと、背を丸めたその時。
「っ!!」
突然後ろからものすごい力で引っ張られ、なんの抵抗もなく、私は後ろに倒れ込んだ。
頭と背がぶつかったのは、固くて広い、馴染み深い温もりで。
「……ッの野郎…」
低く唸るような、初めて聴く声音に身が竦んだ。寝ているものだとばかり思っていた彼にいきなり抱き寄せられて、驚きのあまり涙も止まってしまった。
「………いぬ、や…」
「ッざけんな!!」
ビリビリと小屋さえ震わす大声に私は完全に固まってしまった。
「…………わりい」
その後、小さい声で謝られ、私は目を白黒とさせる。
ふと腕の力が揺るんで、苦しいほどの圧迫感から解放された。それでも、犬夜叉の顔を見るのが怖くて、私は俯く。
「…毎晩、おめえが起きるのは分かってた」
ボソリ、とそう呟く犬夜叉。知ってたんだ、と私は俯いたまま目を固く瞑る。先程流れそびれた涙が、一粒布団に染み込んだ。
「けど、…聞かれたくねえことだって、あるだろ」
だから、と犬夜叉はそこで一旦言葉を区切る。次いで肩に彼の頭が置かれるのが分かった。
「おめえが言うまで、待ってようと思ったんだ」
裏目に出たな、と苦々しくこぼす犬夜叉に、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
けれど、何て説明すればいいのだろうか。
得たいの知れない不安が毎晩私を襲うんです、と言えばいいのだろうか。
そんなことを言ったら、そのわけの分からない不安は何か、と彼をも心配させてしまう。それだけは、嫌だ。
優しい彼のことだ。
きっと私以上に悩んでしまうだろう。
「……えっと、あのね」
「何でもない、は無しだぞ」
「…」
「……図星か」
わざとらしく大きな溜め息を吐いて、身体を離された。今まで背にあった温もりが急になくなり、なんだか寂しい。
「わっ…!」
と思ったのも束の間。間をおかずに身体を軽々と持ち上げられて、突然訪れた浮遊感は彼の胡座の上に落ち着いた。
「…言いたくねえなら聞かねえ」
その声につられて顔をあげると、暗闇で影を落としてはいるが、仄暗さの中でもその蜜色の瞳が映える。ふと、優しげに細まった瞳があまりにも切なくて。
「違う!言いたくないわけじゃっ…」
彼の緋色の衣の胸を握り締めて、引っ張る。彼の首に掛かっている念珠がじゃら、と微かに音を立てた。
「そういう…わけじゃ…」
もどかしい。
上手く説明できない自分がひどく居た堪れない。役立たずな口を知らず知らずに強く噛み締める。そうでもしなければ、また泣き出してしまいそうだ。
「…かごめ」
困惑したように彼が漏らした自分の名が胸を衝く。きっと彼も呆れているのだ。そうでなければ、面倒だと、厄介だと思っているに違いない。そう思い至ると、情けなくて泣けてきた。
「…俺には言えないことか?」
その問いに大きく首を横に振る。
「……もしかして、良く分かんねえのか?」
その通りなのだ。そう伝えるべく私はコクコクと首を縦に振った。
ふうぅ、と大きく息を吐いた犬夜叉に申し訳なさが更に募る。俯いて固く目を瞑っていると、優しく、そっと抱き寄せられた。
「…驚かすなよ。俺に原因があったのかと思ったろうが」
苦笑じみたその口調に、私は少しだけ肩の力を抜いて、そんなはずがない、と微かに首を振る。
「一人で辛かったろ。泣きたいだけ泣いとけ」
本当に、優しい人だ。
小さく頷いて、私は鼻先を彼の胸に埋めた。
ひどく落ち着く。不穏な塊が徐々に溶けていく感覚を覚える。
「…今晩で最後にしろよ」
毎晩泣かれちゃ心臓持たねえよ、と呟く犬夜叉に少しだけ微笑って、うん、と小さく応えた。
しばらく、私はまるで赤ん坊のようにぐずぐずと泣いて、犬夜叉はまるで親のように、私を宥め続けてくれた。
「…ん、……もう大丈夫」
「…そうか」
大分落ち着いた旨を伝えて、私は彼の胸から顔を離した。
「…っ、お前ひでえ顔してるぞ」
「うっ、うそ!!」
私のことを覗き込んだ瞬間に吹き出した犬夜叉の発言に些か慌てる。明日も薬草摘みや楓おばあちゃんのお手伝いなど、仕事がたくさんあるのだ。ひどい顔で行くことなんて絶対にできない。
「く、暗いのになんで分かるのよ!」
「ばーか、俺は夜目が利くんだっての」
「もー…!」
からかっているだけなのか、と思いきや本当のことを言ってくれたらしい。躍起になって私は袖で目を擦る。
「ば、ばか、ますます腫れちまうだろうが!」
そんな私の両手を慌てて掴んで阻止する犬夜叉。
「じゃあ、どうすればいいのよー!」
焦りで混乱して喚いていると、ふと、顔に影が落ちた。何事か、と思っている内に目元に柔らかで熱い感触。
「…落ち着けっての」
「…はい」
突然の口付けに、私は真っ赤になって硬直する。手は拘束されたままで、今更ながら心臓が早鐘を打ち始めた。
「……まずいな」
「え……」
渋い顔でそう呟いた目の前の犬夜叉に私は眉間にシワを寄せた。
「…え、そんなにひどい顔になってるの?」
果たして明日、人様に見せられるような顔になっているのだろうか。不安になってそう問うた瞬間。
「…そそられる」
「は…」
尋ねる暇もなかった。
おもむろに唇を塞がれて、私は反射的に目を閉じる。
額に、瞼に、頬に、唇にと短くて軽い口付けが何度も何度も繰り返され、私は固まったまま何もできずにいた。
その後、彼が言うことには
───顔を赤くしながら目を潤ませていたお前が悪い
だそうだ。
結局、箍がはずれた犬夜叉を何とか止めて、目を冷やそうと布を濡らしに表へ出たときは空が白み始めていた。
楓おばあちゃんは、私の顔を見て驚いていたけれど、詳しく理由は聞かないで、今日は早めに切り上げよう、と気遣ってくれた。
その夜のこと。
いつものように夕飯を終え、明日の準備を済ませ、床につこうとしたとき。
「……昨日は悪かったよ」
何ともばつが悪そうに、私の背中にそう投げ掛けてきた犬夜叉に私は微笑む。
「まったくだわ。おかげで睡眠不足よ」
「だーから、…悪かったって」
彼に背を向けて布団に潜ると、諦めたようにため息をつかれ、背後で彼も床についた気配がした。
「…犬夜叉?」
拗ねてしまったかな、と思い、恐る恐る身体を反転すると、頬杖をつきながら彼がこちらを見つめていた。
「今日は眠れそうか?」
そう尋ねてくる犬夜叉に想いが溢れてくる。
「うん!…多分」
「多分かよ…」
苦笑いを浮かべた犬夜叉に苦笑いを返すと、ふと何かを思い付いたように彼の瞳が揺れ、私の姿を捕らえた。
「…こっち来るか?」
そう言いながら自分の掛布団を軽く持ち上げた犬夜叉に胸が甘く締め付けられた。
「うんっ」
暖かな腕に抱かれて、私は久しぶりに心からの安らぎと安堵を覚える。
夢の世界へと記憶を手放しても尚、背に優しい温もりを感じて、私は心地好い時間をたゆたうのだった。
了
叉絵火さま、大変長らくお待たせ致しましてすみませんでした!
かごめちゃん目線のシリ→甘、とのリクエストでしたがいかがだったでしょうか!
結局不安な塊はなんだったのでしょう…←
不安になって狼狽えてしまうかごめちゃんとそれを宥める犬夜叉、というシチュエーションが真っ先に浮かび書いたのですが…気に入って頂ければ光栄です^^;
叉絵火さま、この度はキリ番を踏んで頂き、またリクエストを本当にありがとうございました!書いていてとても楽しかったです!
これからもどうぞよろしくお願いします!(*^□^*)
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