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捧物
灯火


























まだ濡れている髪の毛と、重たい身体を引き摺って小屋に戻ると、楓が外に立っていた。


「戻ったか」


「…ああ」


「……何かあったらすぐに言うのだぞ」


「ああ、そうする」


それだけを言って、楓は自分の小屋へと帰っていった。何も言わない気遣いが分かって、嬉しくも辛い。複雑な気持ちを抱えたまま、その後ろ姿を見届けた俺は小屋の中に入った。

床の真ん中に敷いてあるのは白い布団。その上に横たわっているのは白いかごめ。掛けてある布まで白い色だ。そこだけが薄暗い小屋の中で妙に映える。

いつも灯してある暖かな灯りがない。迎えてくれる優しい笑顔がない。

それだけのことなのに、何故か大事なものがすっぽりと抜けたような喪失感を覚える。


「……かごめ」


彼女の名前を呟く。

小さな声だったはずなのに、やけに響く。まるでそれしか音が存在しないみたいだ。

彼女の枕元に腰を下ろして眠っている顔を見下ろす。それはあまりにも安らかで。そっと頬に触れれば想像以上に冷たくて。


「ッ……」


自然と浮かんでくるのは絶望的なこれから。彼女の口元に耳を寄せて、微かな吐息を感じては安堵する。


「…かごめ」


愛しき名。口にする度、肺が重くなっていくだけなのに呼ばずには居られなかった。きっとその様子は端から見れば幼い迷い子のようだ。暗い中、一人残されて不安気に狼狽える幼子。

光がない。

希望すらも薄れる。

もし、このまま彼女が目を醒まさなければ、俺は一体どうなる。どうなるのだろう。

激しい喪失感と虚無感が胸を占めた。そんな煩い、けれど静かな夜だった。


――


「…何か食わんと持たぬぞ」


その声に朝が来たと知る。恐らく視覚も聴覚も朝を感じてはいたのだろうが、俺の頭にその情報が入ってこないのだ。

今日はそんな風に過ごした何度目かの朝のひとつになる。毎朝のように楓が飯を持ってきてくれるが俺は一口も手をつけなかった。


「食う気が起きねえんだよ」


事実だ。実際は食う気だけではなく動く気にも喋る気にも、もうなにもする気が起きない。


「それでも何か口に入れろ。かごめが目を醒ましたときにお前が倒れては意味がないだろう」


「…後でな」


「……ここに置くからな」


楓の遠ざかっていく足音を聞きながら、かごめの頬に触れた。もとの体温が低いというのもあるが、あの夜よりうんと暖かくなっている。

先ほどの楓の言葉を思い出し、黙って器に手を伸ばした。まだ湯気が昇っているそれ。一口含むとそれはただ、熱かった。味など気にすることなくひたすら食べた。

そこで初めて腹が減っていたということに気付く。


ふと、嘲笑が漏れた。


俺は一体どれだけの人に気にかけてもらって生きているのだろう、と。そして今までその人らの存在を気にも留めずに生きてきたのだろう、と。


かごめにしたってそうだ。


三年前、俺はかごめをずっと傷付けてきて。なのに彼女がそれを言うまで俺は気付くこともなくて。ただその存在に救われて。何も返してやれなくて。


三年経ったって何も変わっちゃいねえ。


命を懸けてもお前を守ると誓ったというのに、なんだこのザマは。情けないを通り越してひどい醜態だ。

お前が居ない三年は、ただひたすら辛かった。長かった。苦しかった。もし次にそんな想いを抱えたとしたならば俺はきっと壊れる。


───その「もし」が「今」になったら?


身体の芯から突き上げてくる感情が痛い。じんと頭が痺れるように重くなる。






失いたくない。






喪いたくない。






俺を独りにしないでくれ。






それは何より俺のためであって。

利己的なのは承知だが、どんなものを差し置いてもそれが一番の願いであって。





行くな。





往くな。





逝くな。





俺を残して、俺の知らない場所になんていかないでくれ。



大切な人ひとり守れなかった。その事実がとにかく俺の心臓を締め付ける。



息苦しい。愛しい笑顔がない空気はひどく重たい。お前が居なければ息の仕方さえも忘れてしまうなんて。笑える。笑える。可笑しくて目が熱くなりやがる。


「……っ」


横たわる彼女を俺の胡座の上に乗せ、掛布団で包み、抱き寄せる。行き場のない衝動がそうさせた。何をしていても、足りない。穴が埋まらない。


せめて彼女を感じていたい。


冷たい彼女の額に頬を寄せる。同時に腕の力も強める。俺の体温が少しでも、お前を暖められるといい。心から、そう思った。


――


烏の声にふと気が付いた。外はもう日が暮れ始めている時間のようだ。うたた寝をしていたのかと舌打ちをする。腕の中のかごめはまだ眠ったままで。

何もなくて良かった、と思ったと同時に再び襲ってきたのは自責の念。


「……かご…、」


声が枯れていた。寝起きのせいなのか、それともまた別の理由なのか。声に成り損なった名前を呑み込むと喉が焼けるように痛くなった。

心の中でそっと呟いてから、柔らかい彼女の髪の毛に鼻を埋める。優しく香る彼女の匂いがいとおしい。もっと感じたくて、抱き直して目を閉じた。




















「……──、」


「!」


その時、僅かな空気の流れを感じてかごめの顔を覗き込む。

ふるふると長い睫毛が震えたかと思うとゆっくり開かれる瞳。その目に俺の顔が映ったのを見たときなんとも言えない感情が押し寄せた。


「………犬、夜叉」


儚げに、でも俺がずっと待っていた笑みを浮かべて目を細めるかごめ。


「……っかやろ…」


抱き竦めた。彼女を潰してしまわぬよう、けれど半ば本気の力で。


「…く、るしいよ、……」


困ったような細い声が想いを加速していく。焼けるような喉から声を振り絞って口に出す。


「……すまねえ、………」

それしか言葉が思い付かない。つくづく自分の口下手さを思い知らされる。こんな一言じゃ足りないくらい、想いは限りなくあるのに上手く言葉に出来ない。もどかしくてもう一度だけ謝った。


「ううん、……いいの」


「…っ俺なんかと……一緒に居るからお前が…」


「違うの、…あの妖怪はね、私が狙いだったの」


私も名が知れたものでしょう、とイタズラっぽく微笑んで目を閉じるかごめ。


「だから、…謝らないで」


堪らず頬に熱い何かが走った。


「……怖かった」


「…犬夜叉?」


「…………もう、お前の居ない世界は厭だ」


「…」


「何処にも…いくな」


「…いかないよ、」


「かごめ……」


怖い目に遭わせてすまなかった。

お前の笑顔が見たかった。

お前の声が聴きたかった。

生きててくれて本当に良かった。

全部の想いを引っくるめて、ただ彼女に身を寄せた。
規則正しく脈打つ心臓をこんなにも愛しく感じたのは初めてだ。


「犬夜叉、…あったかい」


「……おう」


「…なんだか眠くなってきちゃった」


「なら寝ろ、無理すんな」


「ん……このままがいい」


「…分かった」


膝の上に乗っているかごめを布団ごと抱き締めた。もう一度あったかい、と一言呟いて彼女は瞼を下ろした。

つい先ほどと同じ状況。眠っている彼女を抱いている俺。しかし先と異なるのは気持ちがひどく穏やかだということ。

自分の中にあった空白は、いつの間にか淡く色づいていて。

明日は何をしようか。

とりあえず弥勒と楓の所に行こうか。柄じゃないが礼をしたいし、報告もしなければいけないし。

その後どうしようか。

かごめに旨いものでも食わせてやろう。それで、たくさん笑ってもらおう。

そんなことを考えながら、俺もまた彼女と同じように目を閉じたのだった。

小屋の中は穏やかな静寂に包まれていた。





京さま、大変長らくお待たせ致しました!すみません!


三年後犬かごのシリアス、とのリクエストでしたがいかがだったでしょうか!

戦闘風景をどのように受け取ってもらえるのかびくびくしているのですが…気に入って頂ければ光栄です!

そして素敵なシチュエーションのリクエストまで…嬉しいです!この度はキリ番を踏んでいただき、またリクエストを本当にありがとうございました!

これからもどうぞよろしくお願いします!m(__)m

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