捧物
☆雨粒と夕陽
ロニィさま
企画☆捧げ物
夫婦犬かご
あ、
と思ったときにはもう世界はスローモーションのように視界に流れた。
空が、さっきまで私が居た場所が、呆然と口を開けている小さな男の子が。
すべて遠ざかって、心臓が浮くような浮遊感の中、視界に入ったのは天に向けて真っ直ぐ伸びた私の手だった。
『雨粒と夕陽』
今日はすごくいい天気で。犬夜叉は妖怪退治に行っていて不在だ。だから家に居ても暇なので、いつもの薬草籠を片手に私は森の小路を歩いていた。
「…んー……」
手を額に翳して空を仰ぎ見る。繁った木々の間から漏れる木洩れ日がなんとも清々しい。
ふと前を向けば、開けた野に見馴れない小さな背中がひとつ、日向にちょこんと座っていた。
「なにしてるの?」
「!」
ビクリと肩をすくめられて、警戒するような視線を受けた。ああ、この辺の子供ではないな、と彼に笑いかける。
自慢じゃないけれど、子供たちとは毎日のように遊んでいるから、村の周辺の子達なら知らない顔はない。
「どこからきたの?」
「……」
その子の横に腰掛ける。無言がしばらく続き、根負けしたように彼が「あっち」と私が来た路と逆の方向を指した。
「そっかあ…この場所にはいつも来るの?」
「……うん」
「広くて、いいところよね」
「うんっ」
ぱあっとようやく向けてくれた笑顔にこちらも自然とつられる。
どうやら村の子供たちの輪に上手く入れず、この場所で一人、時間を潰していたらしい。
「みこさま…は?」
「かごめ、で良いわよ。まだ見習いだから」
「か、…かごめさまはどうしてここに来たの?」
「私は薬草を摘みに。どう、一緒に摘んでみる?」
「やるっ!」
好奇心が旺盛なのはこの年代の良いところだ。お喋りをしつつ、薬草を摘みつつ、二人でしばし時を過ごした。
「かごめさま、この草は?」
「それはー…そう、毒消しよ」
「へえー……あ、これは…」
奥へ奥へ進んでいく彼。微笑ましく見ていたが、その瞬間ドキリとした。
確か、その先に地面はなかったはず。
「危ないッ!!」
「ぇ……ッ!?」
グラリと少年の身体が傾く。
手を伸ばす。
指先に襟が触れる。
掴む。
思いきり引っ張る。
「あ、」
自然の摂理だ。少年を芝生に放り込んだため、体重がかかるベクトルが替わる。当然、私の身体は宙に浮いた。
──死、…んじゃうのかな……
今まで何度か危険な目に遭っては来たけれど、こんな思いになったのは初めてだった。
ふと、視界に緋色の衣が見えた気がして手を伸ばした。それが虚しく空を掻いたのと同時に、バシャンという音に次いで水飛沫が日光に反射するのが見えた。
――
「〜〜…っぷは」
ザバ、と勢いよく水面から顔を出す。落ちた先は流れが緩やかで、しかも足が水底に届く深さしかない川だった。
生きてる、なんて安堵の溜め息を溢しながら上を見た。落ちたところは川から大体5mくらい上。
大した高さじゃなくて良かった、ともう一度息を吐いた。…落ちたときはものすごく怖かったけれど。
まだ明るい時間だし、きっと何とかなるだろう、と岸まで水を掻きながら泳ぐように歩く。
よいしょ、と砂利が広がる岸に手を掛けて自分の体重を持ち上げた。私から飛び散った水滴が乾いた砂利にポタポタとシミをつくる。
「ぃ……ッ…」
川から上がり一歩踏み出した途端、右足に激痛が走って膝をつくように倒れてしまった。
もしかしたら捻ったのかもしれない。となると長い距離は歩けないし、さっきまで居た野に戻ることも出来ない。
助けを呼ばなきゃ、と先の少年を思い出した。
「ねえーー!まだいるーー?」
そういえばまだ名前を聞いていなかったと内心で舌を出す。でもこの距離なら届くかも、と思ったのだけれど。
「…」
反応は無しだ。
「……どうしようかな…」
濡れた服も、髪も、捻った足も。今日はついていない。良かったことと言えば天気が良いことくらいであって。
「あ、あそこ…」
近くに岩が崩れて出来たようなそこまで深くなさそうな岩穴があった。
そこで服を乾かそう、と思い足を動かしてはみたが。
「い…っ……たぁ…」
相当手酷く捻ったようで。仕方無く四つん這いでそこまで向かった。
そこは丁度太陽の位置もよくて、絶好の日向ぼっこ場所で。とりあえず岩穴の奥で袴などを限界まで絞ってから、もう一度日向に出る。
「…はあ」
近くにあった石に腰掛け、そよそよと流れる風に目を細める。川は底が見えるまで透き通っていて、つい、と魚が泳いでいるのも見えた。
今度珊瑚ちゃんを誘って家事の息抜きでもしようかしら、なんて我ながら暢気なことをボンヤリと考えてみる。
人気がなく、ここから動けず、しかも私が居る場所を知っている人がいないという、よく考えてみるとなかなか大変な状況なのに全く危機感がない。
寧ろこんな場所を見つけられてラッキー、だなんて考えていたりしてる。
「不思議だなあ…」
何故だか家に無事に帰れる気でいる。
──…旦那さんのせいかな
仕事中である筈の彼を想いながら、そんなことを独りごちて吹き出す。いつも私が危険な目に遭うと助けてくれる緋色の彼。
昔と変わらず、私はあの人の背中が好きだ。それは広くて、頼もしくて、優しくて。そして彼はその背で私を守ってくれて、おんぶしてくれたりもする。
彼に守られているだけ、ではなくなる日は、もしかしたら訪れないかもしれないけれど。彼曰く、彼自身は私に随分と救われているらしい。
「…犬夜叉、……」
名前を呟くだけで、こんなにも暖かい気持ちになれる。会いたくなっちゃったなあ、なんて今の状況をまるで他人事のように思っている自分は、きっと色々麻痺しているんだろうな。
「…あ」
そういえば薬草籠を置いたままだ。それにあの少年は無事に帰れたのだろうか。そしてお腹の減り具合からしてお昼はとっくに過ぎているだろう。
足が動かせないのは大分不便だな、と眉を顰めながら溜め息をついた。
それでも柔らかな日差しは燦々と私を照らしてくれて。徐々に乾き始めている身体を感じながらいつの間にか目を閉じていた。
前編了
→後編
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