捧物
☆想い逢わせ
東の空が白じんできている。紺色の闇が淡い薄紅に色を変えるのをぼんやり眺めながら耳を澄ました。
遠くで囀る鳥の鳴き声。細く吹く風に揺れる木の葉の音。静寂の中で目覚め始めた森が鼓膜を緩やかに揺らす。
――――カサ…
そんな中、早朝に相応しくない誰かの葉を踏む音を耳が拾う。俺はとうに消えた焚火の跡を踏み越えてその人物の元へと向かった。
「……弥勒」
「会いますか?」
質問の意味が分からなかった。その真剣な眼差しもワケが分からなかった。しかし、会いたい人は一人しかない。ならば答えはこれだけだ。
「……たりめえだろ」
「かごめさまはお前に、会いたくないと言っています」
肺が重くなる錯覚を覚える。胸に、その言葉が突き刺さった。例え弥勒の口から伝えられたとしても、それは紛れもなく俺に対してのかごめの拒絶であって。
「犬夜叉、どうしますか」
畳み掛けるような問いに、少しだけ俯く。真っ直ぐに弥勒の目を見返す自信がなかった。
「……かごめの具合は」
「心配ないですよ。傷もしばらくすれば残らず消えるでしょう」
「そうか…」
良かった。そこで初めて安堵の溜め息がこぼれ落ちる。
「分かった」
そして前を向く。俺は小屋の前に立ちはだかるように俺の前に凛と立つ弥勒の横を通り過ぎた。
「犬夜…」
「会いてえ。だから行く」
「そう、ですか…」
通りすぎ際に後ろから聴こえた弥勒の呟きが、穏やかな色を含んでいるように感じた。
――
小屋に入った時、一番先に視界に入ったのは病的なまでに白い彼女の顔だった。楓は気を遣ってくれたのだろうか、小屋の中にはかごめ以外誰も居なかった。
彼女の傍に行こうと足を踏み出した瞬間、
「……出てって」
絞り出したように細い声が足をその場に留まさせる。
「かご…」
「出てってよ」
名を呼ぶことすら許されないのか。でもそれで出ていくなんてことはしない。そんな俺を疎ましく思ったのか、彼女はキッと俺を見据える。
「会いたくないの!!顔を見たくないっ…声も聞きたくない!出てってよッ!!」
飛んできた硝子のような言葉。それを聞いて、ようやく一歩足が踏み出せた。
「…ッ来な……!」
「うるせえッ!!」
強引にその華奢な身体を引き寄せた。一瞬傷のことが頭を過ったが、それも感情の波に飲み込まれて消える。
「俺がっ…会いたくて顔が見たくて声が聴きたかったんだッ!黙ってろ!!」
「……っ……かお、…見てないじゃない……」
「泣き顔なんざ見たくねえ」
「……っ…」
「……かごめ、」
背中に回した腕の力を強める。力を入れただけで折れそうな程細い。脆い。儚い。
「…守ってやれなくて、すまなかった」
弱くて壊れやすくて、かけがえのない大切な存在を痛いほどに思い知る。
苦しそうな嗚咽を聴きながら柔い髪の毛に頬を埋めた。いつもはもっとずっと温いのに。今は悲しくなるほど冷たい。
「………かごめ」
「…ぃ……っぬや…」
彼女が落ち着くまで、自分の心のザワメキが落ち着くまで。しばらく俺は抱き締め続けていた。
――
犬夜叉と別れてから森に入ったら甘い臭いがしたの。そうしたら体の力が抜けちゃって…多分気絶したわ。
目が醒めたのは両手に激痛が走ったから。見たら……
「……っさ…珊瑚ちゃんが…血だらけで…私の腕の中に……」
「珊瑚?」
「周りを見たら…皆血だらけで倒れてて……っ」
「…」
「こんなことするなんて許せない、って思ってたら…また意識が無くなっちゃって……」
う、と再び泣き出しそうな彼女の背を軽く叩いてやる。幻覚と呪い、か?どちらにしたってかごめがひどく傷付いたのに変わりはない。
「皆を傷付けた奴を倒そうって思って矢を撃ってたら…その相手が犬夜叉って気付いて……」
ふと俺の胸から顔を離し、こちらを見上げるかごめの目は赤く腫れていて。
「…手が、勝手にっ……いうこと利かなくなっちゃって……」
ぱた、と俺の手の甲に落ちた綺麗な雫。それが弾けた場所を彼女の手が覆った。
「ごめんね……痛かったでしょう…」
そう言いながら俺の腕を撫でる彼女が堪らなく切ない。視線を彼女の目から逸らす。
「…こんなもんすぐ治る」
「………ごめん」
伸ばされた手がそっと頬に添えられる。真新しい包帯のにおいと血の匂いがした。思わず寄った眉。その小さな手に自分の頬を押し付けた。
「……あ」
「どうした」
「包帯。ほどけちゃった」
「貸してみろ。俺がやる」
「え、…うん…」
壊れ物を扱うように慎重に包帯を巻き直す。と言っても結び目が甘かっただけだからすぐ終わってしまったのだが。
「終わ……」
「犬夜叉っ」
「!」
不意を突かれて後ろに引っくり返る。とにかくこれ以上怪我をさせないようにと慌てて抱き留めた。
「〜〜……っ…」
包帯に巻かれた小さな手で俺の衣を握り締めているかごめ。震える肩を見ていると寧ろこちらが泣きたくなった。
「…お前は、油断しすぎなんだよ」
「……っう、ん」
「あと、拐われすぎだ」
「………ん」
「…心配ばっかかけんじゃねえよ」
細い腰周りに腕を回して起き上がる。ぱっと顔をあげた彼女は柳眉を下げて、それでも笑おうとしているような顔をしていた。
「…ごめんね」
「あとな、謝りすぎだ」
傷を負っていない方の方頬を撫でたとき、かごめの口の端から血が滲んでいたのに気付いた。
「かごめ、血……」
「え?……あれ、いつ怪我してたんだろう」
首を傾げるかごめ。その様子を見ていた筈なのに。
気付けば傷口に唇を寄せていた。
びくり、と彼女が跳ねたことで我に返る。しかし唇は未だ彼女の唇から離れないでいて。その状況に何より自分が驚いた。
――これって…所謂口づ……
たちまち、かあっと顔に昇る熱。しかし自分からやっておいて動揺するなんて格好悪すぎて言えやしない。
こうなればヤケである。触れている箇所を躊躇いがちに吸えば小さな悲鳴が耳に入った。
「………痛え、か?」
下唇だけ離して問えば、微かに首が左右に動く。きゅう、と胸が締め付けられた。触れ合っていたい気持ちは同じかもしれないと、
――…勘違いしちまうじゃねえか
顔を離して彼女の瞳を覗き込む。大きくて茶がかった瞳の中には俺が映っていて。ほんのりと上気する頬を見て気持ちが更に昂った。
今度は唇を形の良い彼女の唇を覆うように自らのを重ねた。
「………い、犬夜叉…」
「…ん」
「あ、あの……えっと…」
わたわたと慌てふためくかごめが何だか可笑しくて。鼻先を彼女の首筋に埋めれば、俺が好きな匂いがした。
いつの間にか俺の中で、かごめは大きな存在になってしまった。しかし想いを告げれば壊れそうな、気を抜けば消えてしまいそうな、そんな危うい淡い恋慕。
だから。今はまだ。
「かごめ、」
「は、はいっ!?」
「…かごめ」
「……犬夜叉?」
お前の名を、呼ばせてくれ。俺の名を呼んでくれ。
もう二度と、俺が大切なものを違(たが)うことのないように。大事なものを見失うことのないように。
背にゆっくりと細い腕が回るのを感じた。それに応えるように腕の力を強めて、彼女に頬を擦り寄せる。
ふと光を感じて顔を上げれば、朝陽が山や木々を照らしているのが窓の格子越しに見えた。
胸に沁み渡るような静かで苦しい朝陽に、俺は固く目を瞑った。
了
ゆいさまへ
この度は企画への参加、またリクエストありがとうございます!!
切甘、とのことでしたがいかがだったでしょうか?( ̄▽ ̄;
このシチュエーションは好きで、切ない割合が多くなってしまいましたが、気に入って頂ければ嬉しいです!
素晴らしい文章、というお言葉を頂き恐縮ですm(__)m
更新も頑張って、精進しようと思いますので、今年もどうぞよろしくお願いします!
それでは、ゆいさまにとって良いお年になりますように!
ありがとうございました!
前へ(*)次へ(#)
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!