Chemical Wizard 巻き込まれた揉め事 八月も半ばに近づいたとある日の朝、一羽のワシミミズクが手紙を運んできた。 ホグワーツからの連絡だ。 去年と同じく九月一日にホグワーツ特急に乗る旨と、新学期用の新しい教科書のリストだ。 「……なんだこりゃ」 リストをユーリの頭越しに見たアレスが声を漏らした。 「まともな教科書は呪文集だけじゃねぇか。こんなにロックハートの本を買わせるなんて……今のホグワーツはどうなってんだ?」 「アレス、ロックハートって誰なの?」 「あちこちで魔法生物を倒したっていう冒険譚を、そこに載ってる本に面白おかしく書きたててる奴さ。奴自身の体験談とは言ってるが、あんなにやけてるだけの阿呆に何ができるって言うんだろうな?」 寝癖だらけの髪をガシガシとかき混ぜて、アレスは家に入っていった。 「……なんだかなぁ」 ワシミミズクに指を甘噛みされながら、ユーリは小さく呟いた。 朝食はサンドイッチにした。 フランスパンにベーコンと野菜を挟んだシンプルな物だが、アレスはそんな物でも実に幸せそうに食べてくれる。 「ところでアレス、いつ買い物に行こうか?」 「ん?ああ、ダイアゴン横丁か。俺は今日でも全く構わないけどな、ユーリは家でやりたいことがあるんだろ?」 「そうだね。せっかくいい天気だから、洗濯物を干しておきたい」 「じゃあ明日か明後日にしよう。せっかくロンドンに行くんだから、服とか鞄とかも見に行こうぜ。ユーリの身長も伸びてるしな」 「え、俺の服?」 「他に誰がいるんだよ」 ニコニコと嬉しそうに言うアレスに、気づかれないようにそっと息を吐いた。 平日だというのに、ダイアゴン横丁は多くの人がいる。 アレスに手を引かれているため逸れることはないが、人波に翻弄されるのは去年と変わらない。 必要な学用品を粗方買い終わり、最後にフローリシュ・アンド・ブロッツ書店へ向かった。 しかし、書店の前で人だかりが出来ているのに気づき、アレスと二人で呆然と立ち尽くす。 その理由は、書店に掲げられた横断幕が教えてくれた。 「ロックハートのサイン会だって?タイミングの悪い時に来ちまったな……」 「本物の彼に会えるわ!」 アレスのぼやきと対照的な言葉が聞こえた。 その声は、聞き覚えがあるものだった。 「……ハーマイオニー?」 「え……あれっ?ユーリじゃないか!」 「ロン、それに、ハリーまで……」 そこにいたのは、同じグリフィンドール生であり、去年ユーリを事件に巻き込んでくれた三人だった。 ユーリに気づいた三人が嬉しそうに駆け寄ってきて、アレスに気づいて目を丸くする。 「久しぶりだね、ユーリ。……えっと、彼は誰?」 「父の親友だよ」 「アレス・ハルシオンだ。君達のことはユーリから聞いてる。これからもユーリのこと、よろしくな」 「あ、よろしく……」 「ユーリ、僕のママ見てない?ここで落ち合うことになってるんだけど……」 「さあ、俺達も今来たんだ」 「とりあえず中に入ってみようぜ。あまり気は進まないけどな……」 アレスの言葉で、五人は人だかりの中に突っ込んでいった。 人を押し退けるようにして奥へと進み、目的の本を何とか手にしてウィーズリー一家が並ぶあたりにこっそりと割り込む。 「まあ、よかった。きたのね。……あら、ユーリじゃない、久しぶりね」 「お久しぶりです、ミセス・ウィーズリー」 「もうすぐ彼に会えるわ……」 『彼』が誰かは、聞かずとも分かった。 髪を撫でつけるウィーズリー夫人からそっと目を逸らし、傍らに立つアレスにもたれかかった。 「……どうした、ユーリ?体調が悪いのか?」 「ちょっと疲れたんだ。やっぱり人混みは好きになれないよ……」 「まったくだな。俺もそう思う」 アレスは苦笑してユーリの頭を軽く叩いた。 ギルデロイ・ロックハートは波打つブロンドに、輝くブルーの瞳をもつ魔法使いだった。 白い歯を見せびらかす笑い方といい、三角帽を載せる角度といい、自身の魅せ方を熟知していると言えるが、 「……アレスの方が、ずっとかっこいいんじゃないか?」 「……ユーリ、あまり俺を喜ばせてくれるな」 ユーリの呟きに両手で顔を覆うアレスだったが、赤く染まった耳までは隠し切れていなかった。 「もしや、ハリー・ポッターでは?」 突然の叫び声に振り向くと、ハリーがロックハートに腕を掴まれるところだった。 拍手の中、ハリーは正面に引き出され、ロックハートと握手しているところを無理矢理写真に収められている。 手を放された隙にこっそりその場を離れようとしたハリーだったが、逃げる前にロックハートが無理矢理肩を引き寄せた。 「みなさん、なんと記念すべき瞬間でしょう!私がここしばらく伏せていたことを発表するのに、これほどふさわしい瞬間はまたとありますまい!ハリー君が、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店に本日足を踏み入れたときには、この若者は私の自伝を買うことだけを欲していたのであります。___それをいま、喜んで彼にプレゼントいたします。無料で___」 「あんな漬け物石にもならない疑惑塗れの本、金を貰っても受け取りたくないな」 アレスが盛大に顔を顰めてぼやいた。 ユーリはといえば、アレスは漬け物石という日本語を知ってるんだな、と現実逃避気味に考えていた。 ロックハートの演説は続く。 「この彼が思いもつかなかったことではありますが、まもなく彼は、私の本『私はマジックだ』ばかりでなく、もっともっとよいものをもらえるでしょう。彼もそのクラスメートも、実は、『私はマジックだ』の実物を手にすることになるのです。みなさん、ここに、大いなる喜びと誇りを持って発表いたします。この九月から、私はホグワーツ魔法魔術学校にて、『闇の魔術に対する防衛術』の担当教授職をお引き受けすることになりました!」 「……あんな奴に防衛術を教えられるくらいなら、俺が教えた方がよっぽどマシだ」 心底嫌そうに言うアレスを置いて、ユーリは正面の机に近づく。 「ハリー、こっちだ」 ロックハートの著書を押しつけられたハリーを手招きする。 重さでよろめくハリーを部屋の隅へ逃がし、自身もその場を離れようとした。 しかし、誰かに腕を掴まれたことで、それは叶わなかった。 「おやおや、私の評判は東洋にも届いているようだ。こんな美人がはるばる私の本を買いに来てくれていますよ!」 「何が……うわっ!」 ロックハートに無理矢理腕を引かれ、先ほどのハリーのように正面に引き出された。 「さあ前を向いて、一緒に写ってあげよう」 「っ必要ない!放して……」 「恥ずかしがることはないよ、お嬢さん。君は私と並んでも遜色ないくらい魅力的なのだからね!」 「その手を放せ」 低い声と共に、ロックハートの手が引き剥がされる。 いつになく剣呑な眼差しをしたアレスが、ロックハートを睨みつけていた。 「……ペテン師が」 そう吐き捨てると、アレスはユーリの肩を抱いてロックハートに背を向けた。 少し人の空いた場所に来たかと思うと、途端に不安げな顔でユーリの身体をあちこち検分する。 「大丈夫か、ユーリ?腕を掴まれてたな、痛くないか?」 「だ、大丈夫だよ……」 「あの野郎……カメラがなかったらぶん殴ってやれたのに……」 「それはやり過ぎだろう……でも、ありがとう」 アレスがユーリを見て目元を緩めた瞬間、金属が落ちる音が響いた。 サッと振り返った視線の先で、プラチナブロンドの男とウィーズリー氏が掴み合っていた。 「……どいつもこいつも」 ぼやいたアレスが二人の間へ飛び込んでいった。 右手でウィーズリー氏の手首を掴み、身体を捻りつつ斜め上に引っ張る。 胸倉をつかまれていたプラチナブロンドの男は、ウィーズリー氏の手に引き摺られて大きく体勢を崩した。 すかさずアレスが男の膝を払い、同時にウィーズリー氏の背を押しつつ彼の腕を引く。 ユーリが近づくまでに、プラチナブロンドの男は尻餅をつかされ、ウィーズリー氏は腕を背中に捻り上げられた。 「子供達の前で、何してるんだ、あんた達は」 呆れた声に双方が舌打ちし、周囲の子供達は呆然と三人を見ている。 「……あれ、ドラコじゃないか」 「っユーリ?!」 振り向いて目を見開いたのは、同学年のスリザリン生、ドラコだ。 そういえば、プラチナブロンドに青白い顔色は、そこにいた男とそっくりだ。 「何だ、マルフォイの息子と知り合いだったのか?」 「アレス、知り合い?」 「ああ。そこで喧嘩してたそいつの父親は、俺の先輩だ」 「……ユーリ、そいつは……?」 「ああ、俺はアレス・ハルシオンだ。お前の父親と同じ、スリザリン出身だ」 「偉大なスリザリンを出たというのに、随分野蛮なことをするのだな、ハルシオン」 不機嫌そうな声が口を挟む。 目元を腫らしたマルフォイ氏を見て、アレスは鼻で笑った。 「いきなり店の中で喧嘩を始める先輩ほどじゃありませんよ。随分と男前になりましたね」 「お前、父上を侮辱する気か?!」 「アレス、無闇に人を煽るな。ドラコも、ちょっと落ち着け」 三人の間に入り、それぞれをなだめる。 なぜ初対面であるはずの二人の喧嘩を止めなければならないのか。 「……君はもしや、アルジオ・セルウィンの……?」 「俺はユーリ・ゼンヤと言います。アルジオは俺の父です」 「ゼンヤ、か……」 意味ありげに笑うマルフォイ氏を一瞥し、ユーリは腰のポーチから魔法薬の瓶を取り出した。 「よかったら、使ってください」 「……それは?」 「俺の調合した魔法薬です。傷を治りやすくします。飲んでもいいし、傷に塗っても効きます」 「……では、いただこうか」 「……父上?」 ユーリから受け取った小瓶を目元に掲げるマルフォイ氏と、それを不思議そうに見上げるドラコ。 アレスがしきりに腕を引くので、ユーリは二人に向かって頭を下げる。 「それじゃ、俺達はここで失礼します。ドラコ、またホグワーツで」 「あ、ああ……」 「ユーリ君」 呼び止められ、背を向けようとした途中で止まる。 ユーリの名を呼んだマルフォイ氏は、小瓶を持ち上げて口を開いた。 「君の優秀さはドラコからよく聞いている。この薬は、ありがたく使わせてもらおう」 「それはどうも。お大事に」 「ユーリ、もう行くぞ」 アレスに腕を引かれ、ユーリ達は書店を出た。 「ユーリ、マルフォイに気に入られちまったな……」 「……どういうこと?」 ダイアゴン横丁を歩いていると、アレスが悔しそうにそう言った。 「マルフォイ家が闇の帝王の傘下だったってのは有名な話だし、そうでなくとも、あの家には薄暗い噂が山ほどある。正直、あまり近づいてほしくない」 「それは、まあ、気をつけるけど……薬一つ渡したくらいで気に入られるなんて……」 「言っただろ、セルウィンもゼンヤも有名な血統だって。その上、グリフィンドールなのにスリザリンの息子と仲良くしてるから、いざという時に引き込みやすいと考えてる可能性がある。……それに、当の息子も、ユーリに惚れてるみたいだったからな」 「……は?ドラコが?俺に?」 喉の奥で笑うアレスに、盛大に不審な声を上げてしまった。 「何かの間違いだろう。俺は男だよ」 「そうか?間違いないと思ったけどなー」 「ありえないだろ……」 アレスはそれ以上何も言わなかったが、 「まあ、あの少年にとっては残酷な真実ってことになるんだろうな」 そうアレスが呟いたことには、気づかなかった。 その後ダイアゴン横丁を離れたユーリ達だったが、後日老ふくろうが手紙を運んでくるまで、ハリー達のことをすっかり忘れ去っていた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |