08 私が怪我を負ったあの日から、しばらく経った。 それでもかなり深手を負った傷口は、いくら完治する見込みがあっても早々は治らない。 そのため部屋から出ることはまだ少なく、ほとんどをベッドの上で過ごす日々だった。 もちろん退屈で仕方ない。 そんな暇を持て余している私の元へ、ハンジは頻繁に遊びに来てくれるし(9割方は巨人の話で終わるけれど)、エルヴィンやミケ達もお見舞いに来てくれ、リヴァイも週に一回は来てくれた。 そして今日が、その週に一回の日らしい。 同じ空間に居ても、時間に比例して会話が弾むという訳ではない。 たまに会議の内容がこうだったとか、ハンジ(彼は何故かクソメガネとしか呼ばない)がどうだったとか(そして大抵うるさいとしか言わない)、近況報告のようなことはしてくれ、その時は会話するのだ。 けれど彼は私の部屋にいるだいたいの時間を、資料へ目を通すことに使っていた。 最初はその時の沈黙に戸惑った。 ハンジみたいに長年付き合ってきた人だったら、沈黙が続いても大丈夫だけど、私にとって彼は初対面と同じ感覚だったからだ。 でもそれも最初の1回だけで、そのうち気にならなくなってきた。 気にならなくなったというか、気にしないことにしたというか。 昔の私は彼に対して遠慮しなかったらしいし、資料を読むなら普通自室でするようなことを、わざわざ私の部屋に来てくれてしているのだ。 きっと、多忙な彼なりのお見舞いなのだろう。 そう考えたら資料を読む時間を邪魔するのもな、と思うようになり、その時間は私も本を読むようにしていた。 たまにチラリと視界に入れたりするけれど。 そして、今日もまたチラリと見た時だった。 その視線は戻ることなく、彼へと留まった。 「…? どうしたの?」 手元の資料へ落ちているだろうと思っていた彼の視線は、 別の方向にあった。 彼は自分の足元から少し離れた所の床を、じっと見つめている。 なんなんだろう、と不思議に思って、視線を同じ方向へ向ければ、そこには、 ふわふわと、ホコリ達が歩いていた。 「あ、ホコリ」 何を考えるでもなく、自然と口から出てしまった。 その言葉が、会話のきっかけになる。 リヴァイはそのホコリから視線を外さず、そのまま口を開いた。 「おい、掃除はまだ出来る状態じゃないよな」 「うん。トイレ行くのがやっとぐらいだから、ちょっとまだ掃除まで出来ないんだよね」 「いつからやってないんだ」 「うーん……私がやったのは、壁外調査前になるかな」 怪我してから出来る状態じゃないから、私が最後に掃除したのは壁外調査に行く前だった。 ただ、私がしたのは、だ。 「誰がした」 「ん?」 「壁外調査前からだったらもっと汚ぇはずだろ。その後誰がいつした。クソメガネか」 「えーと…」 昨日のことを思い出す。 そう、昨日ハンジが来てくれた時、彼女が私の代わりにしてくれたのだ。 それはもう、とても有り難いことだった。 掃除を出来る状態じゃない私の傍らで、仲間を増やしていくホコリ達。 特に潔癖症じゃない私でも、いくらなんでもそろそろ駆逐しなきゃな、と思っていた所だった。 昨日いつものように巨人の話をしにきたハンジが、よーし討伐するか! と意気込んで掃除してくれたのだ。 「おい、忘れたわけじゃねぇよな」 「えーと…」 忘れてなんかいない。 本当に有り難かったのだ。 ただ…… ただ、ここで彼女の名前を出すのは躊躇った。 何故ならリヴァイが怒り出しそうな雰囲気だから! 何にって、ホコリ達と掃除をしてくれたハンジに! 予想はきっと裏切らない。 確信するに十分な雰囲気を醸し出している。 私はあのぐらいのホコリ達はあまり気にならないけど(むしろ生き残りをあそこまで縮小してくれたのだ)、彼はもしかして潔癖症なのだろうか。 私が言うのを躊躇っているからか、リヴァイは苛立ちを見せ始めた。 怖い。 「なんで言わねぇんだ」 「えーと…」 「命令だ。さっさと言わねぇと削ぐぞ」 「はっ! ハンジ分隊長が先日してくれた次第であります!」 だから、その威圧感が怖い! 圧力に耐えられず、友を売ってしまった。 ごめんハンジ。 そして昔から体に染み付いた敬礼を、威圧感からついしてしまった。 いきなり動いたせいで、傷口がズキンと脈打つ。 痛い。 というか、私とリヴァイに上下関係はなかったんじゃなかったか。 リヴァイは私の言葉を聞いて、やっぱりな、と舌打ちする。 「あのクソ、中途半端な仕事しやがって」 メガネが省略されて、ハンジはずいぶん汚いものに成り下がってしまった。 リヴァイは資料を置くと、立ち上がって部屋を出ていこうとする。 慌てて引き留めると、すぐ戻る、と言葉だけ残し、ドアの向こうへ行ってしまった。 ハンジの弁解をさせてもらえなかった。 リヴァイが向かった先であろうハンジを思い、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 *backnext# [戻る] |