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シャーペンを手から離し、両手を膝の上に置いた日奈を見て、那智は顔を上げた。


「詰まったか?」

「私、勉強出来るよ。」

「…は?」

「普段から、勉強してる…。テストはわざと悪い点を取ってるの。」


日奈は姿勢を正し、淡々と告白を始めた。

それは那智になら本当のことを話しても問題はないと感じたからだった。


「現実逃避。」

「映像記憶。」


日奈は四文字の言葉を四文字の言葉で言い返した。

那智は日奈の放つ異様な雰囲気に気づき、シャーペンを机に置いた。

ドキドキしながら日奈を見つめる。

映像記憶、よく分からないが聞いたことのある響きだった。


「一度見たものを記憶する能力…。殆どの人は幼少期に消滅するらしいけれど、私はまだ持続してる。」

「まさか…。」

「那智君にはお腹の中にいた頃の記憶ってある?普通、妊婦さんのお腹が動いたら赤ちゃんが蹴ったって言うでしょ?でも私は、この手でママのお腹を押したことを覚えてる。」


日奈は手のひらをにぎにぎとして、最後にグッと握り締めた。

真っ黒で何も見えない空間、母と繋がり、母に包まれ、ユラユラと外の音を聞いていた。


「外に出た時は真っ白で何も見えなかった。でも、ママをママだと認識した時に、この人が私にとって特別で…大切な人なんだって分かった…。」

「マジか…。」

「引いちゃうよね…?こんなのは特殊だから、ずっと言えなかったの…。今までずっと、那智君は気にかけてくれたのに、今日も、ごめんなさい。」


衝撃の事実を突き付けられたら那智は、未だに信じ難い表情で考え込んだ。

記憶力が良いということは、勉強をする意味がないという結論に結びつく。

確かに特殊だし、この能力を隠す為に馬鹿のフリをしていたというのも筋が通っている。

そう言えば日奈は毎日読書をしていたと、那智は自然と納得していった。


「俺らを…泣かせた理由は?」


先程は話を逸らしてしまったが、自分が日奈に泣かされた理由が気にかかった。

映像記憶の能力があるならば、詳細を忘れるはずがないという考えからだった。


「それは…分からない。」

「はぁ?映像記憶持ってんだろ?」

「覚えてるけど、でも分からない…。」

「何だそれ。説得力ねぇな。嘘なんじゃね?」


疑うような顔をした那智を見て、日奈は目を瞑って記憶を辿りながら、どこの情報を切り取るかを考えた。

とっさに蓋をしてしまうほど、その記憶は鮮明で嫌な記憶だった。

わざわざ詳細を口にしたくないのが本音で、那智を泣かせてしまう直前の記憶だけを切り取ることにした。


「児童書のコーナーでね、私はエルマーの冒険を読んで欲しかったのに、那智君がタンタンの冒険を持ってきたの。それで、那智君の絵本を読むから、エルマーの冒険は戻してきなさいって言われて…」

「は?何そのエピソード。」

「那智君、タンタンの冒険大好きでいつも借りてたよね?」


幼い頃の記憶がぶわっと蘇り、那智は鳥肌を立てた。

言われてようやく思い出すような微かな記憶。

日奈に言われた通り、那智は馬鹿の一つ覚えのようにタンタンの冒険を借りていた。

これで日奈の話に信憑性がついてきたと、改めて日奈と向かい合った。


「それで…?」

「それで私、悔しくて…那智君を本で叩いたの。」

「ヤバ…お前なんてバイオレンスなガキなんだ。しかもエルマーの冒険ってそこそこ分厚いから。一回殴らせろ。」

「ごめんなさい。」


一切ピンとこないが、どこか腑に落ちる所はあった。

ただもう一つの疑問は虎と新太だった。

あの二人が泣いていた理由も思い出せない。


「新太と虎は?」

「…同じような、感じ。私の持ってくる本がいつも、対象年齢が一個高くて分厚かったせい。皆に八つ当たりしてたの…。」

「つまり、映像記憶か。俺らは年相応の絵本ばっか読んでたけど、お前だけが児童書読んでて浮いてたと。」

「うん。」




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