ああ無常、ああ無残
そうあるべきで至極当然なのだから拒否や拒絶というのは存在しない。
「ちょっとさあ…なんでシズちゃんがここにいるわけ?」
「…俺より手前がいることのほうがおかしいだろうがよぉ…あぁ?臨也くんよぉ?」
「俺は純粋に花火を見物しに来たかっただけだよ?わざわざこんなところでまでシズちゃんと喧嘩したかったわけじゃないし」
「ごちゃごちゃうるせえなあおい…?とにかく殺す、消えろ、手前がいるせいで視界が汚えだろ」
「…んなことこっちだって一緒だよバカ」
そう呟いた瞬間、臨也の着ていた浴衣の襟元がさらにぐいと引っ張られ首が締まりそうになる。
場所は、池袋から少し離れた田舎風の河川敷。
穏やかに流れる水の向こうからはパンパンと音を立てて何色もの光が煌びやかに空へ放たれていた。
そう、今ここでは夏の風物詩ともいえる花火大会が催されていた。
見渡す限り人、人、人の光景で、小さい子供は親におぶられて花火を見ていたり、自ら持参したしょぼくれた打ち上げ花火を誰の目もくれずに打ち上げている輩もいる。
そんなごみごみした空間の中で、人の集中する土手から外れた暗い河川敷に二人の男の影が映っていた。
それも、その一人は今にも川の流れに放り出されそうな状態で。
「…とりあえず離してくれないかな?何事も話し合いで解決しないとフェアじゃないしねぇ」
「手前と話すことなんて1ミリも!0.000001ミリも!ねえんだよ!」
そういって静雄は、臨也の首もとを思いっきり掴んで足が浮くまで吊り上げる。
バーテン服と浴衣がミスマッチすぎる組み合わせで喧嘩をしているという異様な光景は、端から見ればコントのようだった。
首もとがきりきりと締め付けられていく感覚に少しむせながらも、臨也はなお挑発的な態度で相手にかかる。
「ていうかさあ、本当、なんでシズちゃんがこんなとこにいんの?」
「……仕事帰りだ仕事帰り…」
「へえ、俺はね、」
「聞いてねえから別にいいよ」
「…どんだけイラついてんのシズちゃん…」
見るからに気合いの入った臨也の服装は、言うまでもなく一般の花火見物客だった。
静雄は、ぐいと腕に力を込める。
花火の逆光の中で、臨也は珍しく余裕のない笑みを見せた。
「それじゃあ大人しく花火を観てたほうが俺はいいと思うけどなあ。こんなとこで俺と二人っきり、正直クソウザいでしょ?大丈夫、俺のほうが迷惑被ってて君のことウザいと思ってるから。…それならさ、お互い今は目を瞑ってゆっくりとこの一発4万の光を見物しようじゃないか。ほら、君の上司もあそこでつまんなそ〜にしてるよ。年に一度の花火大会だ、ここは俺に構わず大人しくこの綺麗な花火を眺めることをお勧めするけどなぁ」
長いセリフをノンブレスで喋り終えた後、臨也はやれやれといったように肩を竦める。
そして、不意にどこからか折り畳み式のバタフライナイフを取り出し、シャキンと音を立てて刃先を静雄の鼻先へ向けた。
「…俺もこんなことするためにここに来たわけじゃないんだよねえ」
いかにも胡散臭い表情を浮かべ、相手を挑発する態勢に入る。
だが、それもほんの一瞬のことで、静雄はかけていたサングラスを胸ポケットへとしまうと襟を掴んでいた片手を離し、目前のナイフをまるでバトンのように握りしめた。
「………!」
ばき、と音を立てて地面へ落ちるナイフの破片と共に、赤黒い色をした液体が次々に流れ落ちる。
「こんなもんなぁ、やろうと思えばどうにだって出来んだよ」
「………」
果たして痛みはないのか気になったが、顔を見る限りではなんともなさそうだ。
臨也は、相手への苦手意識を再び再確認する。
いとも簡単に壊されてしまった先ほどのナイフの残骸を哀れみの目で見てやると、臨也は半ば諦めた表情で大きく溜息をついて両手を天高く上げてみせた。
「…わかったわかった、もう消える。シズちゃんの目の前から失せるから。君はこの美しき打ち上げ花火を存分に楽しみたまえ」
だから降ろしてと付け加えると、静雄は一瞬躊躇ったのちに臨也を己の腕から解放させた。
ようやく何人かの見物客がこちらの騒動に気付いていたようで、途中二人の様子を野次馬していた者もいたが、静雄と視線が合うと一目散に逃げ出してしまっていた。
―せっかくの花火大会、つまんないことは抜きで素直に楽しもうと思ってたんだけどなぁ。
いつの間にか終了を告げるシンプルな白い花火が打ち上がり、ブルーシートを片付ける親子連れがわんさか出てき始めた。
それを見た静雄も、チッと一つ舌打ちをして胸元のサングラスをかけ直しながら踵を返す。
年に一度の大イベントを、喧嘩を売られて終えてしまった。
臨也は、川のほうへ振り返るとどこか楽しげに近くの小さな石を手にとる。
そしてその石を思いっきり川の中へ投げ入れたかと思うと、満足げに地面へ腰を下ろした。
「………あーあ、終わっちゃったシズちゃんのせいで」
独り虚しく余韻に浸りながら、空へ小さく話しかける。
花火とバトンタッチしたかのように雲の切れ間から顔を見せる満月が、酷く輝いて見えたのは気のせいだろうか。
再び敷かれていた石を一つ手にとると、これシズちゃんと小さな声で呟いて、その石を遠く遠くへ力任せに放り投げた。
臨也は、全身の力を抜いて後ろへ倒れ込む。
ジャリと音をたてて臨也を支える小さな石達は、次に川へ放り込まれるのは誰だろうと怯えていることだろう。
都会の空は濁っていて、何しろ暗い。
輝いて見えるはずの無数の星も、街の人工的な光によって妨げになっていた。
そんな星の見えない濁った空に、悩ましげな表情を向けて話しかける孤独な男が一人。
「俺の花火返せよ……」
仄かに光る明かりを辿って
ああ無常、ああ無残
(寂しいからここに残ろう)
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