ウロコとか企画とか
笑ってないと、
あのね、先輩。
日野先輩は、綺麗な人だ。
窓際の机に十冊ぐらいの本を散らばせて、銀縁の眼鏡をかけて。
長い足をうっとおしそうに組んで、活字に眼を走らせている。
「日野先輩」
「シィー」
普段の音量で声をかけると、人差し指を口唇に当てて、お決まりのポーズ。
僕はその姿が好きで、何度もココへ足を運んでは日野先輩に優しく、怒られていた。
それが、今日で最後になる、と。
知ったのはいつだったんだろうか。
高3の11月、なんて受験勉強に励むべき季節。日野先輩は、海の向こう、舌を噛みそうな言葉を話す国へ行ってしまう。
「吉野くん、静かにしなきゃ」
『次は気をつけます』
記憶の中の僕は、そんなことを微塵にも思っていないのに口に出す。日野先輩が優しく笑う。
「……明日、行くんですよね」
「うん、11時発」
優しく長い睫毛を伏せる姿は、日本なんかより向こうが似合う。
「先輩」
「何?」
「俺のこと、忘れないでくださいね」
「……どうして?」
パタン
分厚い本を閉じると、日野先輩は眼鏡越しに俺を見た。
「日野先輩の世界には綺麗な物も、美しい景色もたくさんあるけど、俺の中には日野先輩しか居ないからです。図書室で本を読む日野先輩だけが、日常と幻夢のスイッチだったんです」
軽音部の煩い音楽や、サッカー部の歓声。
僕はこちら側の人間だけど、日野先輩は向こう側の人間。貴方と過ごす時間だけが、憂鬱な日常を切り取った。
「でも、来年になれば俺は帰ってくるよ」
来年。
僕はそれを待ち望むのに、貴方が僕を忘れていたら。
この灰色の国で、一体どうやって生きていけば良いんだろう。
「……だから、」
「そしたら、君と俺は同じ学年になるじゃない」
「……え?」
オナジ、ガクネン?
「来年のこの季節に俺はまた帰って来て、大学受験の勉強をして、吉野くんと同じ世界を目指せるんだよ」
離れるわけでは、なかった。
彼は僕に近づくために、遠い場所へ、向かう。
「ちゃんと、帰ってくるから。だから、君は、泣かないで」
12ヶ月。
チョコレートが飛び交って、桜も咲いて、紫陽花も咲いて、野球も盛り上がって、月を見上げて、南瓜を飾れば彼が帰ってくる。
僕が待つ場所に、帰ってくる。
…だから笑わなきゃ。
彼のいない寂しさではなく、彼が隣にいる楽しさを考えて。
涙を飲んで、待っているから。
『……行ってらっしゃい』
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