愛の歌 〜ever love〜 大阪 活気づいた都市。 独特のリズムを持った方言。 池袋とは全く違う場所だと改めて思う。 人は確かに多いが東京ほどではなく、朝の通勤ラッシュの時間帯なのにも関わらず、電車の中は幾分快適だった。 路線図も読み取りやすい。 「ガラ悪い、あつかましい、必要以上に馴れ馴れしい」というイメージがあったが、別にそんなこともなかった。 「静雄、着いたぞ。」 「うす。」 トムと静雄は地下鉄を降り、江坂駅に到着した。ドレッドヘア+スーツ姿と金髪+バーテン姿の2人組みは池袋では「危険信号」あるいは「チンピラ達のケンカ相手」と認識されているが、大阪では「変わった人達」という印象を与えるだけだ。特にトラブルに巻き込まれることもなく、オフィスにたどり着く。 トムが受付で来訪の旨を伝ると、ある一室に通された。ソファに腰掛けながら待っていると数分後、制服を着た女性社員がお茶を運んできてトムと静雄の前のテーブルに置いた。彼女が退出してからトムが呟く。 「…すごく応対が丁寧だな…。」 「そうっすね。本社だと紙コップですし。」 茶托に乗せられたお茶碗を見ながら静雄は言う。中の緑茶をすすると、ほんのりとした香りが心を落ち着かせた。 「だよなー。大阪ってあんまり良くないイメージがあったけど結構いい場所だったりして。」 「…俺もそう思います。」 静雄は弦楽奏が同じことを言っていたのを思い出す。東京には冷たいイメージがあったが、そんなことはなかった、と。 固定観念やイメージを払拭することは非常に難しい。一度「危険人物」として認識された自分は誤解を解くのに時間がかかる。実際、自分も24年間生きてきて初めて大阪に対するマイナスイメージが間違っていたことに気付いたのだから逆もまた然りだ。自分を愛してくれない人間が多いのもしかたないことなのかもしれない。 ――イメージとか思い込みってこえーな。 こんなシチュエーションでシリアスなことを考えてしまうなど自分らしくない、と静雄は自嘲気味に笑った。 しばらくすると小太りの男性社員がノックをし、部屋に入ってきた。 「おはようございます。わざわざ遠い所から来てくださってありがとうございます。」 「ます」と「来て下さって」に強いアクセントが置かれる。訛りのキツさは奏以上だ。そのインパクトに二人は一瞬圧倒されてしまう。 男は二人の様子に気付いたのか、自分の名前を名乗った後、「実は生まれも育ちも大阪なもので、標準語が上手く喋られへんのですわ。」と言って照れ臭そうに笑った。 「お二人に今回取り立てをしていただきたい人間はこの男なんですけどね…。」 男は説明しながら、A4サイズの用紙を2枚ずつ差し出す。 「…ってこれ、地図と写真じゃあ…。」 渡された書類は男に関するデータではない。男の顔写真と何やら所々に×印がつけられた江坂周辺の地図だ。トムに怪訝な表情をされ、男は思わず苦笑する。 「逃亡中の男は逃げ足が異常に速いので、まず捕まえることが最優先やと考えてます。」 「いや、写真の方はそういうことなんだなってわかりましたけど、この地図は・・・?」 男の愛想の良い表情が一変し、神妙な面持ちをになる。トムに近づき、地図の×印を指差した。 「この印が封鎖地点を示しています。交通機関が使えるルートは全部封鎖したので、江坂から出ることはできないはず。今回、更に20箇所のルートを封鎖する予定なので、この男が江坂に閉じ込められている間にお二人で捕まえてください。」 「そ、そこまでしないといけないんですか?」 納得のいかないトム。いくら逃げ足が速いとはいえ、20箇所以上の道を封鎖するのはやり過ぎではないのか。何かの冗談ではないかと思ったが、男は否定することなく、ただ頷くだけだった。 「恐ろしく速いです。うちの支社もなかなかの猛者ぞろいですが、誰も追いつけませんでしたから。ですからこうして東京からわざわざお二人に来ていただいたのです。」 「はあ・・・でも許可は・・・?」 「もちろんとってあります。裏のルートですが。」 気が乗らない話だ。やり過ぎである。 男の足が速いというのもうそ臭い。 何か裏があるのではないかと疑ってしまう。 しかしわざわざ大阪までやって来たのに断るわけにもいかない。トムは嫌々ながらも仕事を請けることにした。 「そうですか・・・。わかりました。今日中に捕まえたらいいんですね?」 「はい。できることなら今日中でお願いします。」 「よし、静雄、パッパと片付けるべ。」 「・・・うす。」 とりあえず、とっとと片付けてしまえばいいだろう、と思い、仕事に取り掛かろうとする。 「よろしくお願いします。」という男の言葉を背に二人はオフィスを出て行った。 「静雄、珍しいなー、お前が怒らないなんて。俺、絶対キレると思ったよ。」 ビルを出てからトムがため息混じりに呟く。 仕事の話を聞き始めてから、ずっと無表情で黙ったままの静雄。元々口数が少ない方だが、今日はいつもにまして無口だ。トムは仕事中に感じたイライラを無理して溜め込んでいるのかと思った。 「いえ、確かに少しイライラしましたよ。話長かったですし。ただ嘘ついてる感じではなかったんで。」 「え?ホントか?」 「はい。それよりトムさん、なんか変な感じしませんかっ・・・?!」 話している途中で突然静雄は殺気のようなものを感じ、後ろを振り返るが、何もない。 「どした、静雄?!」 「いえ、気のせいだったみたいす・・・。」 静雄は目を細めた。口では否定したが、確かにそこには何かがあった。何か得体の知れない「存在」が。背中に冷たいものが走り、額には汗がにじんでいた。 トムは静雄の言動や行動が理解できず、首を傾げた。 ――――――――――― 居酒屋やビルが多い街をひたすらに走り続ける男がいる。男の頬はやつれ、無精ひげと髪の毛が伸び、なんとも醜い姿をしていた。顔立ちは悪くないので、おそらく身だしなみをきちんと整えれば、それなりに絵になる男なのだろう。しかし彼にとってはそんなことをする時間も金もない。ただ走り、逃げ続けなければならないのだ。それだけが彼の頭の中にあった。 彼は元々一流の大手企業でバリバリ働いていたサラリーマンだった。地位に名誉に富、美しい妻もいて、自分は自他共に認める「幸せな人間」だと思っていた。 しかし不幸は突然に訪れる。 リーマンショックの影響で会社は倒産。 彼の全ては崩れ去った。全てを失った。 彼は立ち直ることができなかった。 順調に進んでいた自分の人生の歯車が狂い、それまで築き上げてきたプライドがズタズタになった。 何故、自分が負け犬にならなければならない? 何故、自分がこのような目に合わされなければならない? いつまでも独りよがりな考えを捨てることができず、彼は堕落していった。 酒、ギャンブル、女遊び。 堕落人間の典型になっていく。 妻にも逃げられ、自分の周りには借金だけが残った。 そして今、借金取りに追いかけられている。 「借金を返さなければならない」そんなことは常識だ、わかっている。 しかし「自分ばかりが不幸だ」と思っている彼は「自分以外の人間がちょっとくらい不幸になったってかまわない」という危険な思想に走っていた。 理不尽な人生を強いられたのだから、他人にも理不尽なことがあって然るべき。 無茶苦茶な理屈だが、もはや彼にはまともな理屈など通用しなかった。 彼の唯一の救いは足が速いこと。 しかも単に速いというわけではない。 パルクールという特殊走法で、障害物なども簡単にすり抜けることができるのだ。 その走法のおかげで今まで逃げ延びることができていたが、ここ数日で取り立て側が数箇所で検問をはるようになり、逃げられる範囲が狭められていた。 男は決心する。 捕まって半殺しにされるくらいなら、周辺住民を襲ってでも金を作ってやる、と。 捕まる前に金を揃えて渡し、また逃げ切ってやるのだ。 男は検問に引っかからぬよう注意を払い、無防備な人間達を探そうと再び街を疾走する。 [*前へ][次へ#] [戻る] |