第一章
2
「知哉!帰るのか?」
光と話していた時、目の端で知哉が立ち上がったのを見て、とっさに声をかけた。
知哉は、扉から手を離さないまま、少しだけこちらを見た。
「…うん、今日ちょっと、行くとこ、あってさ」
つっかえながら答えた。
知哉は、あんなに歯切れの悪い口調だっただろうか。
「えー、もう帰っちまうのかよー。途中まで一緒に帰ろーぜ」
光がつまらなそうに言う。
最近、知哉はさっさと帰ってしまうので、中々一緒に帰れないからだ。
「えっと…うぅ、ん、はは…」
言葉を濁して、そのまま扉を開けた。
逃げてる。
ふと、俺の頭の中にそんな単語がよぎった。
「うわっ、風香?!」
知哉の驚いた声がこっちにまで届いた。
「風香?よーう!」
「やっほう光、幸介も!」
ぴょんぴょんと飛びながら手を振ってくる風香。
冬だからとふわりとおろした長い髪が揺れて、失礼ながらも女なんだなと思ってしまった。
…言ったら半殺しだな。
「…風香、よかった、来てくれてたなら楽だ!」
知哉がいきなり声を出した。
凄く大きな声だったから、驚いた。
「こいつがさ、今日どうしても行きたいところがあるからって言っててさ」
な、と知哉が風香に話を振る。
「…そうなの!早く行きましょう知哉!」
風香の言葉に安心したような、そんな顔でぱっと手をこちらに挙げた。
「あ、そうなのかー?じゃーな!」
「うん、じゃな!」
光が手をぶんぶん振るので俺もつられて手を振る。
ガラガラ…と静かに閉じられる扉を見て、ふう、とため息が出た。
「帰っちゃったなー。オレらも帰るか」
「お、う…」
ふと、あの二人は本当に仲がいいなと思う。
俺が、知哉を好きなように、知哉が、風香を好きなような…。
考えてから思った、これは凄くしっくりくる。
随分長く一緒にいる女子を、一度も気にならない男がいるだろうか。
多分、ない。
だったら、知哉だって、可能性は充分にある。
俺だって、もしかしたら風香にそういう感情を抱いたかもしれない。
風香は趣味に多少問題はあるにしても、明るくて、話しやすい、いい人だ。
(…でも、なぁ)
そういう人に会う前に、逢ってしまったのだ。
あの瞳に。
一目惚れなんてちんけな事だが、してしまったのだ。
(…まずいな)
もう、心が耐えられなくなってきている。
好きという感情が溢れ出しそう。
「おい!幸介?」
「え?」
「え、じゃねーし。早く道場行くぞー」
呼ばれてはっとする。
今は違う。
今は伝えるときじゃない。
俺の中で整理がついてない。
「わ、悪い!今行く」
扉近くで、不思議そうに俺を見ている光の元に急いだ。
「なに、なんかあった?」
「い、や。…なぁ、光」
「ん?」
後ろから声をかけると、振り返って俺の目を見てくる。
「…あ、えっと…、」
もし俺が知哉を、と言いそうになったところで言い留まる。
言ってしまって、いいのか。
こんなこと、言われたら、困らないだろうか。
「…幸介、何かあるのは何となく分かった。で、さ。待つから」
「え?」
「待ってやるから。言えるよーになったら、言えよな」
そのままふいっと進んで行く。
呆れたような、でも心配してくれている言い方。
「…ごめん、ありがとな」
聞こえるか、聞こえないかくらいの小声で言う。
光には、言っても大丈夫なのかもしれない。
寒空の中、ありがとうと紡いだ口は穏やかだった。
ほわりほわり
寒さは和らぎ
とくりとくり
心は目覚める
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