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短いお話
二人が出逢えたというだけの奇跡



嗚呼、下らない。
何もかもがバカバカしい。
電車は嫌い。人が沢山乗ってるから。
街は嫌い。人が沢山そこに存在するから。
全てが嫌い。何処にいても人はいるから。
人間なんて嫌い。大嫌い。

「いっ…」

手首に流れる一筋の血。
そろそろカッターナイフ、買いに行かなきゃな。
切った後、血をちゃんと拭かないから錆びてきちゃった。
こんなんじゃ、ちゃんと切れない。
それに包帯もそろそろなくなってきた。
だから、あたしは街へ出る。
人が沢山で嫌で仕方ないけれど、街へ出る。



嗚呼、やっぱり気持ち悪い。
親子連れの声が、恋人たちの声が、友人同士の声が、人の声が、気持ち悪い!
吐きそう…気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!
切れ傷から蟲が溢れ出したような、痒いような、そんな感じになって。
手首の包帯をびっと毟り取った。
傷口から止まらない血が溢れ出して、地面に血痕が走る。
周囲の人たちが、あたしを見てる。
真っ青な顔で、信じられないものを見る顔で、軽蔑したような顔で。
ぐしゃぐしゃになった包帯。傷口からは血が止まらない。
これ以上、人の晒し者になりたくなくて、公園に逃げた。



平日の昼前に人はいない。
きっと休日は子供や親でいっぱい賑わうんだろうな。
あたしは子供の頃、休日に公園なんて行ったことないから分かんないけど。
…カッターナイフと包帯を買いに来たのに。
あたし、何してるんだろう。
…本当、何で、生きてるんだろう…。

「あの」

声がした。上から。
どうでもよかったけれど、何となく目だけちらりと上へ向かせる。
眼鏡を掛けた、黒髪の男の子。
大学生かな。よく分かんないけど。
特にこれといった特徴のない男の子。
きっと、子供の頃、休日は親と公園に行ったりしたんだろうな。
授業参観に来てもらったり、買い物に行ったり、たまにお菓子を買ってもらったりしたんだろうな。

「大丈夫ですか?」
「大丈夫に見える? もし見えるなら、あんたの眼鏡はただの飾りね」

興味本位?
下らない。鬱陶しい。
あたしが突き放すように言えば、そいつはびくっと肩を揺らした。
男の癖にこれくらいでびびってんじゃないわよ。
ばっかみたい。これくらいでびびるんなら話し掛けないでよね。

「…すいません。あの、これ、使って下さい」

そう言いながら、そいつは白いビニール袋を手渡してきた。
…何よ。
一応受け取って中を覗けば、そこには消毒薬と包帯と、ポカリが。
…わけが分からない。

「怪我してるみたいなんで、まずは消毒して下さい。あと体調悪そうなんでポカリも飲んで下さいね。…ポカリ、嫌いじゃないですか?」

…本当に意味が分からない。
何こいつ。何が目的なの?

「あ、お金は俺が持ちますから。全然気にしないで下さい。俺が勝手にやったことなんで」
「偽善のつもり?」

嫌な奴。
あたしみたいなのに親切にして、いい人ぶるつもり?
冗談じゃない。ダシに使わないで。
殴られるのも、罵られるのも、詰られるのも、全部慣れたこと。
でも、人の偽善に利用されるのを良しとする程プライドは捨ててない。
ビニール袋を思いっきり地面に叩き付ける。
びくっと男の肩が揺れた。いちいちびびんな。

「そういうのってうざい。さっさと消えて」
「でも…」
「煩い。あんたみたいないい子ぶってるのって一番嫌いなタイプ。さっさと大学にでも何処にでも行きなさいよ」

大学へ行って、こう言うんでしょう?
『学校に行く途中、リスカしてる女の子が公園にいたから包帯と消毒薬とポカリ買ってあげたんだ』って。
それ友達や女に自慢でもするつもりでしょう?

「おれ、秋枝っていいます。秋枝海月っていいます。クラゲの漢字ですけど、みづきっていいます」
「…誰もあんたの名前なんて聞いてないんだけど」
「あんたじゃないです。あ、あきえだ、くらげです!」
「…みづき、じゃなくて?」
「……あ」

途端に真っ赤になる顔。
…何こいつ。何がしたいの。

「あきえだ、みづきです! あ、あなたの名前は?」
「あたしの名前なんて聞いてどうすんのよ」

死んでもいいと思っているけれど、名前を変な風に利用されたりするのは嫌。
死んでもいいと思っているけれど、馬鹿にされるのは、もう嫌。
死んでもいいと思っているからって、何されてもいいわけじゃない。

「だって、俺はあなたの名前をどう呼べばいいか分からない」
「呼ばなくていいじゃない。いいから早く消えて。あたしの前から」

何なのこいつ。
こいつからは、何か嫌な感じがする。
これ以上一緒にいたら駄目。影響されてしまう。

「嫌です。ちゃんと怪我を治療するまで、一緒にいます」

そう言いながらビニール袋を拾って中を確かめる。
中は無事だったらしく、少し安心したような顔をする。
けれど、それがますます気に入らない。
埒があかないと思い、あたしはさっさとベンチから腰を上げて帰る。
包帯もカッターも、もういい。

「あ、待って下さい。まだ怪我が…!」

そう言ってあたしの手首を掴む。
勿論、痛みが走るわけで―――…

「いっ…」
「あ、ご、ごめんなさい!」

慌てて手を放す男に、腹が立って顔面を思いっきり引っ叩いてやった。
ばちんっとすごい音が響く。
ざまあみろ!

「きもいのよあんた。もうさっさと、消えてよ!」

ありったけの声で叫ぶとさっさと踵を返して公園から出る。
後ろから呼び止める声は聞こえなかった。
ほらね、所詮はそんなもんでしょ?





気分が悪い。
吐きそう。早く家に帰ろう。
包帯とカッター買いに来たのに。馬鹿みたい。
地面を見つめながら歩いていると、聞き覚えのある声が聞こえた。

「ま、待って下さい!」

さっきの男の声。しつこい!
思いっきり睨むように後ろを向けば、さっきの奴がビニール袋を持って息を切らしていた。
…あたし、そんな公園からまだ歩いてないんだけど。
そいつはあたしに叩かれた左頬を腫れ上がらせながらも、あたしを追いかけてきた。
…こいつは、本当に分からない。

「け、怪我だけでも、治療、させて下さい」

ぜえぜえと息を切らす目の前の男。
どんだけ体力ないのよ。
…ああでも分かった。そういうこと。

「あたしの身体が目的なんだ?」

あたしは結構胸がある。
冬の厚着をしても分かるくらい。
自分で言うのもなんだけれど、所謂グラマスな身体をしていると思う。
学生時代にも言い寄ってくる男は沢山いた。
何だ。目の前のこいつも、それと同等か。

「そ、そんなんじゃないですッ!」

顔を真っ赤にして否定するそいつ。
するとつかつか歩み寄ってきてあたしの手首を掴んできた。

「いたっ…何するのよ!」
「すいません。でも、じっとしてて下さい」

そう言いながらビニール袋から消毒薬と包帯を取り出す。
強引にしようってわけ? こんな道の真ん中で?
鈍臭いから包帯を落としたり消毒薬の容器を押し出しすぎてぶちゃっとなると思っていたけれど、意外にもこいつは器用にてきぱきとあたしの手首を治療している。
暴れると余計面倒なことになりそうだから、黙って治療を受ける。
ものの数分で終わった治療。
包帯の結び方は汚いけれど、それ以外は綺麗。

「強引ですいません。あと、ポカリ、ペットボトルが凹んじゃってるんで、買い直してきますね」
「あんたって、何が目的でこんなことしてんの?」

ボランティア? 偽善? 身体目当て? 暇潰し? からかい?
…一体、どれなの?

「…痛く、ないですか?」
「…は、」

痛いに決まってるじゃない。
そんなことも分かんないの。
ていうか、何であんたが悲しそうな顔するのよ。
何で、あんたが泣きそうな顔するのよ。

「俺、痛い嫌いなんです。注射も怪我も、痛いの、嫌なんです」
「…」
「俺のそういう嫌いなのを取り除きたくて、こういうことをしました。…俺の我儘に付き合わせちゃってすいません。あの、ポカリだけでも受け取ってもらえませんか? すぐに買いに行ってきますんで」

なんだ。
ただのびびりで気の弱そうな偽善者だと思っていたのに。
ただ、自分の意地を通しただけか。それに利用されたわけだ。あたしは。
例えば黄色が嫌いだから黄色の帽子を被ってる人の帽子を、毟り取ったようなもの。
ポカリを買い直しに行こうとするこいつの腕を掴んで止める。

「…それで、いい」
「え、でもちょっと凹んで…」
「あたしが叩き付けたんだから、それでいい。さっさとして」

慌ててそいつはポカリをあたしの前に突き出した。
確かに少し凹んでいる。でも、あたしはそれがいい。
それを受け取ると、初めて男の目を正面から見つめた。
…人の目を正面から見るなんて、何年ぶりだろう。

「ありがとう。これ、貰うね」
「え、あ、」
「じゃあ」

ポカリだけ受け取って自分の家に戻る。
家というよりもマンションなんだけど。
多分、あいつはまだ後ろにいる。
視線を感じるから。
今まで感じた視線はじっとりしたものやぬめっとした、纏わりつくような、刺すようなものばかりだったのに。
今感じるのは、それまでとは違う。
身体にぴったりとフィットするような、綿で受け止めてくれるような、そんな感じ。
ちらっと後ろを振り向けば、あいつはやっぱりまだいた。
ぱあ、と嬉しそうな表情で手を振る。
…大通りで手を振るなんて、馬鹿じゃない?
ぷいと無視する。



包帯は手に入ったけどカッターは手に入らなかった。
でもポカリは手に入った。
あたし、何しに街に出たんだろう。
本当、あいつもあたしも、下らない。







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