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禁断(エデア・タロットワーク:ちょー)

人は、やってはいけないと言われていることほどしたくなる生き物だ。制約されればされるほど自由に焦がれ、制約された事柄が輝いて見えて仕方がない。束縛された事項は甘やかなる果実である。触れてしまえばそのあとの事はどうなろうが関係なく、そこを侵すことこそが不幸であり、最大の幸福だ。


――魔王の捕縛。

――世界の崩壊。


それだって触れてはならない世の律の一つである。決して誰も立ち入れず、立ち入ってはならない領域。唯一そこに関わることが出来るのはきっと支柱と魔王と、七年前のあの出来事に直接の縁があるもの達だけだ。たとえば支柱の子どもであったり、支柱という存在の元凶となった者の夫である一族の始祖であったり、魔王の師匠であったり。ただ同じ一族の、兄に近しいような間柄であったというだけではあまりにも縁が薄い。けれどエデアはあのとき、あの瞬間、すべてが一度終わり、そして始まったあの日にどうしても立ち会いたくて立ち会えなかった。魔王は彼にとっても確かに大切な存在であったのに、怯えと好奇心と、焦燥感と嫉妬、羨望、そうしたものがないまぜとなり、時はエデアが立ちすくんでいる間に容赦なく世界を変えた。後悔したって過去は戻らず、エデアの悔いは七年前から濃くなりこそすれ薄れることはない。過去もまた触れることの出来ない領域の一つだからこそ心に残り、消えないのだろうか。触れたくても触れることが出来ない領域である。けれど、未来は変えることができるから、そこに気付いてエデアは行動を始めた。エデアは決して天才ではなかったけれど、秀才ではあった。そして努力することにかけては天才であった。彼の努力は天からの才であり、また彼自身の執念によるものであった。

魔法の構築を寝る間も惜しんで練り、材料を揃える算段をつける。ちょうど魔法を行使するのに利用できるうってつけの人材を見つけ、利用できるよう取り入った。取り入ってからは再び研究に明け暮れ、魔王捕縛の計画を細かく詰めて行く。長い長い年月と、眠れない夜を越えて、時には血を吐きそうなほどであったけれど、その時間は決してツライものではなかった。エデアはいつだってひたむきに走っていた。凡人からすれば驚くべきほどの早さで日々を駆けて行っていた。

与えられた一室から出て外の空気を吸いに行く。その時間ですら惜しいものであるから、普段エデアは滅多に外に出ようとしないのだが、この日は珍しく外の空気が吸いたくなった。いくらやっても不格好にしかならない魔王捕縛のための魔法にいい加減煮詰まっていたからかもしれない。自室である部屋から直接外に出て、バルコニーの下をなんの気なしに眺める。その姿を見つけてしまったのは偶然であった。

キラキラと光にすけてそのまま溶けていってしまいそうな銀の髪。質量を感じさせない巻き毛はクラスターと同じ物である。雪のように儚げで、雪にジールの曇り空の色が映ればきっとあんな色なのだろうというような銀糸。長くゆるく波打つ髪は結われることなく背中に流れている。動きにあわせて髪がゆれた。どこから来て、どこへ向かう途中なのか、ただ歩いているそれだけで視線が吸い寄せられ、エデアはそれを自覚し、無理矢理にそこから視線を外した。バルコニーの壁に背を向け、出て来たばかりの室内へ顔を向ける。はめられたガラスにはひどく情けない、疲れ切った顔の自分が写っていた。

銀色の髪の女。瞳は澄んだ青色でクラスターの片目と同じ色をしている。彼女は王位継承権を第二に持つクラスターの実姉だ。クラスターの方が年が下であるが男であるという理由で今は第一継承権を有している。実質現在国政を行っているのも彼で、だからこそエデアは彼に近づいた。御しやすい性格の彼が国の実権を握ってくれていて助かった部分は多い。クラスターの姉である彼女は、彼女の方に近づく必要があったとしたら、この計画は頓挫してしまっていたかもしれない。今計画が滞りなく進んでいるのはこの計画が彼女の預かり知らないところで進行しているからだ。

彼女はこの陰鬱で、人間の汚いところばかりが集まってしまったジール城の王族の中で育ったにしては驚くほど美しい。見た目もであれば、その心根も、だ。クラスターも彼女に育てられ、見た目がオッドアイでなければあるいは彼女と同じように成長していたかもしれない。まっすぐでねじれることなく。クラスターの心は美しいがどこかねじれている。いつ壊れるともしれない危うさがあって、エデアはそこに付け込んだが、彼女にはそれが見当たらない。たとえるならば彼女は真珠のように丸く綺麗で、美しさには傷がない。あのひねくれ者のクラスターでさえ、姉である彼女といるときだけは年相応の少年の顔で心安らかに笑うのだ。そんな彼女が計画の事を知ればきっと悲しむ。悲しんで、きっと切々と世界の優しさについて説くのだろう。クラスターは姉である彼女が大切で、唯一肉親で好きな人であるから彼女が泣けば困って慌てる。ただ一人、心を許している存在であるから、彼女に説得されればうっかり計画を中断してしまうかもしれない。それはエデアにとって非常に困ることである。なにせ、魔王の捕縛にかかる費用は膨大だ。とても一個人で賄いきれるものではなく、今パトロンがいなくなってしまうのは計画の破たんを意味する。

そして何より、エデア自身も彼女に泣かれては困るのだ。あの綺麗に凪いだ青い瞳から涙がこぼれる様子を想像してみただけでたまらなくなる。切なくなる。お願いだから泣かないでくれと請いたくなってしまう。城で、クラスターの前で二三度言葉をかわしただけの女の涙を想像しただけでどうしてそんな気持ちになってしまうのは分からない。けれど、困って自分がどうしたらいいのか分からなくなってしまうことは確かだ。この感情が何に起因しているのか、それを調べることはきっとたやすく、彼女に近づいてみればいいだけの話であるが、エデアにとってそれは最大の禁忌である。ほとんど言葉もかわしていない今の距離でこんなに心が乱されるのに、近づいてしまえばどうなるか。分からないことは怖い。

けれど、室内に戻していた目をちらっともう一度外に向ける。銀色の髪をたらした小さな背中が見えた。くるりと、何を思ったか背中が翻り彼女の顔が見える。遠目からでもよく見える青い瞳。その瞳に写ってしまいたいと思う自分の気持ちに怯えてエデアは急いで視線を逃がした。あの青い世界の中に自分が写る。それはとても甘美な誘惑だ。写りたい、できることならば言葉を交わして微笑みを向けられたい。どうしてそんな事を願うのか、考えることを頭が拒否しているのに、それでも心が望む。

エデアは怖い。彼女に近づいて自分の中の何かが変わってしまうのが。何か大切なものが変わってしまいそうで、その予感はきっと正しく的を射ている。七年間だ、魔王を捕縛することだけを考えて、ただそれだけで生きたきた。今更それを辞めることなんてエデアには恐ろしくてそんな事考えられないし、考えたくもない。それなのに一瞬でも、七年間の中で一度も考えたことがない考えを植え付けてしまった彼女の存在はエデアにとって甘やかでそして決して触れてはならない果実なのだ。







禁断



(早く早く。心が変わってしまう前に計画をなさなければ)



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あきゅろす。
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