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純潔(ジエールゥラー:ちょー)

ジエールゥラーは飛び込んできた未来に困惑した。

見えたのは一瞬。意図して見たわけではない、無謀にも単身で魔族の領域である森へ入って来た者への警告のために姿を現しただけだ。目の前の人間が魔族が何もしない内から足を木の根にとられてこけてしまったのは偶然で、その時こしらえてしまった傷からしたたった血でたまたま未来が見えてしまったのなんてもっと偶然に他ならない。それなのに、偶然にしかならないこの出会いが早速今では必然であったような気がしてきて、ジエールゥラーは頭を振った。目の前で、初対面の魔族を怖がるでもなくきょとんとした顔をしているのはかつて魔王が人だったころと同じ、黒髪黒眼を持つ北の魔法使いの一族の者だ。昔、魔王がサリタ・タロットワークと呼ばれていた時の血脈だとその容姿、何より見知った魔力で分かる。どこかで彼を彷彿させる切れ長の瞳と、頼りなげな細い身体は彼女だけでなく他のタロットワーク一族の者を見る度にジエールゥラーの心情を複雑にさせたが、見えた未来のせいでこの時ばかりは昔に思いを馳せる余裕がなくなった。

理解するよりも先に驚いて、血なんて流れていないはずの顔にどんどんと熱が集まっていく。心臓なんてないはずだけどあればきっとドキドキしているんだろうと、オニキス達と知りあって他の魔族よりは人間の事を理解しているジエールゥラーは思う。感情の方が先に走っているというのはこんな感じなのだろうかと遠いところで納得する自分がいた。人間であればこういった状態をきっと混乱していると言うのだろう。

だって、思ってもみなかったのだ。自分が、まさか人の子と恋に落ちるなんて。人と仲睦まじく、まるで人間の恋人がするように微笑み合って、手を取り合って、愛を囁くだなんて。自分が自分じゃないみたいな姿を彼女の血を通して、彼女の未来越しに見てしまい、ジエールゥラーは気まずい思いで彼女を見つめた。

迷いと怯えと自責の念と、そんなものばかりを宿していた若い魔法使いと容姿は似通っているのにはっきりと違いが分かる。危機感もなくジエールゥラーを見上げてくる瞳はどちらかと言えば純粋な子どものそれだ。ジエールゥラーが知っている子どもと言えばオニキスが真っ先に出てくるが、あの金色の髪を持つ榛色の瞳と目の前の黒い瞳は同じだ。浮かんでいるのは好奇心、純粋さ。それらがキラキラとした光になって彼女の黒い闇の中に浮かんでいるように見える。オニキスと同じというのはジエールゥラーにとって信頼できる証のようなものだ。何をしにこの地へ赴いたのか、そう問い質すはずであったのに、言葉が出て来ない。

姿を現したきり一言も言葉を発さない魔族を見上げて彼女はやおら微笑んだ。満面の笑みで、警戒心がまったくない気を抜いた笑顔でジエールゥラーを見てくる。

「初めまして、魔族さん」

続く自己紹介が森の葉を揺らす。ジエールゥラーの心もそれらの音のようにざわめいているようだ。魔族の前で真名を名乗ることがどんな行為なのか、あの一族にその身を置いて知らないはずがないのに。まったく気負った様子のない彼女からジエールゥラーは視線を外せなかった。







純潔



(お前は――…一体なんなんだ?)
(あれ、今の名乗り、聞こえてなかった?)
(そうではない)
(んん?はっきり言ってくれないと分からないよ)



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あきゅろす。
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