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この世界の最果てで(魔王:ちょー)


「見つけた!」

木々をかきわけてやってきた彼女はそう言ってにやりと笑った。道ならぬ道どころではない、魔族の領域である森は獣ですら通らず、よって獣道のようなものすらない。未開の地を女性の身でありながら越えてくることができたのはひとえに彼女の努力と根性と身体能力、そして通常では持ちえない魔力のおかげだろう。けれど、それらは彼女に言わせてみればおまけらしく、彼女はただ一言、愛ゆえだと言う。それはサリタ・タロットワークという人間であったときも、サルドニュクスという魔族の王になってからも、彼にはよくわからない感情の一つであった。感情としては知っている。かつて魔王が人間であったときに、サリタ・タロットワークも持っていた心の一つだ。けれど愛には様々な形がある。親愛、友愛、敬愛。どれも素晴らしく、時に切なく、時に温かくそれはサリタ・タロットワークの心を満たしていた。けれど、今自分を追いかけてこんなところにまでやってくる女の抱く愛は恋愛の愛だ。恋である。それはサリタ・タロットワークの周囲にあふれているものであったけれど、彼自身が抱いたことのない感情であった。少なくとも、何度も何度も煙に巻かれてはぐらかされて、ふられて逃げられて、相手にもされず、それでもそんな相手を何年も何年も追いかけ続けられるような熱い情熱を向ける相手を彼は持ったことがなかった。魔王になり、そうした感情はなおさら遠いものになっていた。彼女の情熱はいまだに冷めやらぬものらしい。あちこちに葉をくっつけて、服に肌にこまやかな傷をつけながら笑う彼女の目は燦々と輝いていた。うとうととまどろんでいた魔王は自分の領域にずけずけとぶしつけにやってきた侵入者を一瞥して呟いた。

「また来たのか。まだ懲りないんだな」

何度も姿をくらませているというのに。また見つかってしまった。どこでも寝れるのだけれど、別にどこにいたっていいのだけれど、また寝床を変えなければならない。どうでもよさそうな口ぶりの魔王に彼女はふふんと、何年経っても変わらない魅力的で強気な笑みを浮かべた。

「懲りるわけないじゃない?懲りるってんならあんたの方よ、サリー。そろそろ観念して、あたしに捕まったら?」

ぼろぼろの身なりのくせに、顎をしゃくって腕を組む姿には不思議と威厳があふれている。彼女はいつも自信に満ちていて、どんな場面に直面したって余裕の笑みを崩さない。

「サリーは、もういないと言っている」

それなのに、どうして君は僕を追いかける?
その名前は、もうとっくに過去のもの。もうとっくにいない人物に与えられた愛称で、その名に値するものはもうこの世にはいないのに。彼女が欲している人物はこの世から消えた。だというのに、彼女はいっそ愚かなまでにその名を追いかける。

「いるじゃない。魔王サルドニュクス。私の目の前に。別に、あんたの名前だってもじったら、サリーって呼べないわけじゃないでしょ?」

魔王の断定を、一介の魔法使いにしか過ぎない彼女はあっさりと覆す。彼女は彼女の譲れない常識で動いていたから、魔王の言うことなんて知ったこっちゃなかった。何年も何年も何年も、サリタ・タロットワークに焦がれその男を見てきた彼女は同じ目でサルドニュクスを見つめてくる。その目に映っているのは、かつてサリタ・タロットワークという一人の寂しがり屋でどうしようもなく弱い存在だった魔法使いの名残をかろうじて残した十六翼真の黒の異名を持つ魔族の王だ。彼女の目はどこまでもまっすぐに、サルドニュクスという存在を見ていた。サリタ・タロットワークの面影を探しているのではない。不思議なことに彼女はその名残にすがってはいなかった。かつて愛した男の同位体であり変異体である魔王を、それはそれ、一つの存在として認識しているのである。盲目していない瞳に見つめられるからこそ、サルドニュクスにとっては不思議であった。彼女は愚かではない。理知的で現実的で、サリタ・タロットワークという存在がすでにいないことなどとうの昔に認識しているというのに、なぜ自分を追いかけてくるのか。なぜサリーというあだ名で呼びかけてくるのか。黙る魔王の思考など気にも留めずに彼女は一人で話を続ける。

「あんたは、いっつも不思議そうな顔をするのね、サルドニュクス。あたしがあんたを見つけて、しつこいくらいに追いかけまわしても困った風にするでもなく、ただぽかんとしてる。そんなにわからない?あたしがあんたにこだわる理由」

しつこく追いかけまわしている自覚はあったのか。魔王はまずそこに感心してしまった。そして次に問われたことに頷く。特に知りたいと強く思っていたわけではなかった。理由を知ったところでどうにかなるとも思っていなかったから、自分でなぜと問いかけておきながら魔王にとってはその答えさえどうでもいいことだった。どうでもいいから別に聞いても聞かなくてもいい。ただ知りたいかと聞かれたからではなく、分からないかと聞かれたから素直に頷いたのだ。彼女の顔がまた得意げにバラ色に輝いた。

「馬っ鹿ねぇ。ニブチン。鈍いのは昔っからだったわね。変わった今もそこは変わらないのね」

そう思い切り馬鹿にして、彼女は優しく優しく魔王を見つめる目を細めて笑う。サリタであったころ、彼の周りを囲っていた女性たちは一様にしてこんな顔をしていた。馬鹿だとののしりながら、その馬鹿が心底愛しくてしょうがなくて、かわいいとさえ思っている顔だ。そんな顔を彼女はしている。

「そんなの、あたしがあんたを好きだからに決まってるじゃない。っていうか、そこ知られてなかったとか結構ショックなんですけど。これでもかっていうくらいアピールしてるつもりだったんですけど」

「……それは、サリタ・タロットワークに対してだろう?僕はもう彼じゃない。君が好きだった彼はもういない」

純然たる事実を口にすれば、微笑んでいた彼女はその口をぽっかりと開けて、次にぎゅっと眉をしかめ、最後に大きなため息をついた。

「ねえ、あたしがあんたを好きだっていう考えは微塵も出てこないわけ?」

「…………」

「出てこないわけね。よーくわかった。かつてサリタであったことにこだわってるのは、あたしじゃなくてあんたの方じゃない。サルドニュクス。あたしはサリタが確かに好きよ。愛してる。だけど同時に、あんたのことも好きなのよ。どうしようもないくらいに」

「……なに?言ってる意味が、よく」

「なにって言われてもねぇ。しいていうなら、魂ってやつが惹かれてるんじゃない?へたれで情けない魔法使いのサリタ・タロットワークだろうが、ふわふわとしててなんどかつかみにくい魔王サルドニュクスだろうが、魂は同一。この世界でたった一つしかないものよ。正直なところ、あんたがどこの誰になろうが、なんだろうがどうでもいいのよ。あたしが惹かれてやまないのは、その魂。っつーか、なんで、どうしてって、ほんっと馬鹿。大馬鹿よ。いい?恋に理屈なんてあるわけないじゃない。好きなもんは好きなのよ、わかる?お馬鹿さん」

借りにも魔族の王を、ここまで馬鹿にできる人間はそういない。いないだろうに、どうしたことか、当代魔王の周りにはその奇特な人間たちが集まっていた。彼らはサルドニュクスがサリタであったときから時々彼のことを馬鹿だと言ったが、サルドニュクスになってからもこと彼女に関する件については魔王のことを馬鹿だという。特にその筆頭は魔王の親友である赤銅の髪を持つ王子の金の奥方だ。女神のような外見をもった彼女は優しげに頬をゆるめてある日話の中でシニカルに言った。

「恋が全部理屈で構成されてたら、今のこの現実はないわ。ジオは全然あたしの好みじゃなかったし、かすりもしてないし。今だって好みが変わったかって聞かれたらそうでもないわ。だけど、ジオじゃなきゃダメなのよ。ジオがジオであるなら別にジオが何になったって構わないの。女になったっていいし、人間じゃなくたっていい。ジオがジオならそれでいいの」

この日、どうしてそんな話題になったのかは覚えていない。けれど、そうして話すダイヤモンドの穏やかで奇跡みたいにきれいな微笑みと声は記憶に残っている。彼女の言っていることも、つまりそういうことなんだろうか。やはり、理屈じゃないことなので、魔法という論理で構成された世界で生きる魔王にはよくわからない感情なのだけれど。言葉にすれば、つまり、そういうことなんだろう。堂々と魔王をののしった彼女は強い意志のこもった目で魔王の出方を窺っている。

「恋に理屈はない、という理屈はなんとなくわかった。だけど、僕がそれを実感するのはまだ先のことらしいな。眠いし、今日のおしゃべりはもうこれで終わりにしよう。じゃあね」

サリタであったなら、きっとうんうん喉をうならせて頭をひねって、最後まで理解しようと努めるかもしれない。けれど魔王はそんなことはしない。だって眠いのだ。しれっと言うなり消えようとするサルドニュクスの目に彼女の焦った顔が写る。別れのたびに、何度も見たことのある表情だ。

「じゃあねってあんた!」

「どうせ君のことだから、また追いかけて、見つけにくるでしょう?僕がその感情を理解するまで」

確認するまでもない事実だった。彼女はきっと魔王がどこにいたってどこまででも追いかけてくる。持てる力をすべて使って、足りない部分を気力で補って、世界の果てまでだってきっとやってくる。挑発したわけではないのに、彼女は挑戦状を突きつけられた決闘場の絶対的実力を持った闘技者のように凶悪に笑った。

「言うじゃない。いいわ、やってやろうじゃない。また絶対あんたを見つけてやるんだから。それまでしっかり寝だめでもしときなさいよ」

強い意志に輝く瞳。あの目に見つめられ続けるのはそう悪い気分じゃない。今の魔王に分かる感情はそれくらいだ。だからいくら追いかけられてもうんざりしない。ああいう目をした人はだいたい自分の願望を現実に変えてみせる。そういう力を持っている。だから、いつか自分も彼女の言う感情を理解する日が来るんだろうか、と思える。どこか他人事のように考えながら魔王は再び行方をくらませた。











(あー、くそ…。結局また逃げられた)


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