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◆短編
蜘蛛の糸4
甘辛い味のタレに絡められた小さめのハンバーグは端が焦げていて少しだけ苦いけれど、十分美味しく食べられた。
なによりも兄さんの手作りだというのが、俺にとって最高のスパイスだ。

味噌汁の具材のわかめはギョッとするほど大きく、あまり包丁を入れずにそのまま放り込んだのだろう事をうかがわせる。
兄さんらしくて微笑ましい。

「凄く美味しい、兄さんは料理上手だね」

「あっそ」

俺が褒めても返ってくるのは気のない返事ばかり。
でも不思議と無視はしない。

面倒ならば俺の事を存在しないものとして扱えばいいのにそうしない兄さんは、俺なんかよりずっと純粋なのだろう。
優しいばかりの人間だとは思わないけど、行動の端々に見える気遣いに心は癒されていく。

ちらりと見える優しさは時間をかけて俺が見つけた大事な宝物だ。
表面だけを見て兄さんを悪人扱いする両親を思い出し、ギリと奥歯を噛む。

(なんであの人達はちゃんと兄さんに向き合わなかったんだろう)

兄さんはどうでもいいと思っているだろうが、俺は両親が嫌いだ。
憎んでいると言ってもいい。

俺にとって大事なのは兄さんで、その兄さんを不当に貶める両親は憎悪の対象にしか見えなかった。
どれだけ外側を綺麗に着飾っても中が腐っている。

「お前も自分で作ればいい」

「俺が?」

「別にここなら止めるやついないだろ、好きに作ればいい」

どうやら兄さんは俺が料理に興味を持ったと勘違いしたようだ。

とんでもない。
自分で作ったのなんて何の価値もない、それにもし自分で作れるようになったら兄さんが作ってくれなくなるかもしれないじゃないか。

「んー、あまり器用じゃないし、気が向いた時に兄さんが作ってくれると嬉しいなぁ」

「気が向きゃやらなくもないけど、あんまり気ぃ向かね」

「うん、無理強いはしないよ。兄さんの気が向いた時に食べられたらラッキーぐらいに考えとく」

「ま、そんくらいなら?」

「うん、ありがとう」

距離感を図り間違えないようにしなければいけない。
兄さんは半ば引きこもりだけど野生動物のように警戒心が強い、うかつに近づけば俺の手をひっかいて逃げてしまうだろう。

少しずつ近づいて、少しずつ兄さんの心の中に浸透していけばいい。
焦る事はない、俺が根回しした通り、事はうまく運んでいる。

もともと欲の薄い兄さんは、俺から生活必需品を供給してあげればそれ以上に欲しがる事はなかった。
お金もある程度渡していれば適度に買い物を楽しんでいるようだったし、仕事を探そうともしていない。

もし働く為にこの家から出るなんて事になったら大事だ。

この家の心地良さを上げる為の努力も惜しまない。

兄さんは俺が片付けが得意だと思っているようだが、それは違う。
俺はあまり散らかさないだけで、片付けは得意ではないし、好きでもない。

だけど兄さんが何をしていたのか片づけながら観察するのは大好きだ。
『今日はここに枕があるからここで昼寝したんだな』とか、『ああ、このお菓子気に入ったんだな。今度買って帰ってあげよう』なんて考えながらの片付けは本当に楽しい。

俺は楽しく片付けを出来て、兄さんは綺麗な部屋で過ごせる、そして居心地がいい家から兄さんは離れない。
一石何鳥だろうか、効率がいいのは良いことだ。

ちょっとだけ心配なのは交友関係。

人数は少ないけれど兄さんにも友達はいる。
時折メールでやり取りをしているようだけど、兄さんが返事をする事は少ないようだ。
さすがに内容はプライバシーだから見た事はないが、聞けば意外と教えてくれた。

兄さんの友人の素性も調べてある。
もちろん兄さん以外の人間を観察するなんて苦痛でしかないのでその道のプロに任せた。

実家を知った金の亡者の可能性や、兄さんをだまそうとする不逞の輩の可能性も0ではない限り警戒は怠らない。
彼を不当に傷つける物は誰であっても許せる気がしない、それは例え兄さんが許したとしても、だ。

幸いな事に兄さんの友人は本当にいい人ばかりのようで、つかず離れずの距離を保ってくれている。
実家の事は知っているようだったが、だからどうしようという気もないようだ。

今の所、兄さんとのつながりを断たせる気はない。
たまに遊びに行くぐらいは兄さんにもいい刺激だし、彼らが居たから兄さんの苦痛が和らいだ面もあるだろう事に俺は敬意を持っている。

俺が何も出来ないで歯噛みしている時に、兄さんのそばに居て支えてくれた人達だ。

(……殺したいほど羨ましいけどね)

兄さんが悲しむから何もしないけど。

「なにぼんやりしてんの、お前。嫌いなモンでも入ってたなら捨てとけよ」

「あ、ううん。美味しいよ、俺好き嫌いないし」

どうも兄さんの事を考え始めると自分の世界に入ってしまう。
頭の中の兄さんよりも、目の前にいる兄さんの方が大事なのに失態だ。

「えっと、なんかデザート欲しいなって思って」

誤魔化そうと口をついて出た言葉に鼓動が跳ねる。

この言葉のチョイスは大丈夫なのか?
押しつけがましかったり、不快にさせる要素がなかったか?

なかなか返ってこない返事に緊張して、過呼吸になりそうだ。

「……、買いに行くか?」

「へ?」

軽い言葉に不意をつかれて、変な声が出た。
買いに行けじゃなく、買いに行く?
もしかしてそれは、兄さんも一緒に?

「だって家に何も甘いものねーもん。コンビニでも行くべ」

「……いいの?」

「いいの、ってお前の金だし」

「あ、そうか。うん、じゃあ行く」

兄さんと2人で買い物だなんて、幾らお金を払ったって足りない位の貴重品だ。
それをデザート如きで叶えてくれるなんて、こんな幸運あっていいのだろうか?!

兄さんは無造作に置かれたコートを掴むと室内着の上に着込み、重ね履きしていた靴下を1枚脱いで玄関に向かう。
目の前の幸運を逃さないように俺はコートを掴んで兄さんの背中を追いかける。
大丈夫、財布はまだコートの中だ。

「ダッツ買おうぜ、ダッツ」

くるりとこちらを振り返って、兄さんは珍しく機嫌がよさそうな笑顔を俺に向けた。

兄さん、兄さん、兄さん。
そんな顔見せられたら、俺。

「あ、んまり食べすぎるとお腹壊しちゃうよ?」

「腹壊したら便所でPCするから問題ないし」

どもった俺には気づかず、兄さんはニヤリと笑う。
地上に舞い降りた天使ってこういう人をいうんだな、きっと。

「そういえば2人で出かけるの初めてだね」

「そだっけか? しらね」

兄さんの観察ノートに記しておかなければ。
初お出かけ、初デート?

どちらにしろ、俺たちの関係が1つ深いものになったのは確かだ。

「お前、何笑ってんだ?」

「ん? 幸せだなぁって思って」

「……変な奴」

兄さんは俺に変な奴だとよく言う。
でもきっとそれが当たり前になる日が来ると、俺は信じて止まない。

確実に兄さんを捕まえられるように糸を紡ぐ。
誰も彼を傷つけないように糸を紡ぐ。
それはいつか絡み合い、蜘蛛の糸のように彼の動きを封じてしまうだろう。

だけど問題はない。
完全に逃れられなくなったその時には、兄さんもそれが当たり前になっているはずだ。

「明日の分も合わせて2つ買おうか」

「まじか、……ブルジョアめ」

とりあえずもう1本糸を絡めておく。
1本1本は細く脆い糸だ、幾重にも張り巡らせねばならない。

大丈夫、まだ記憶すら曖昧な頃からずっと兄さんだけを思ってきた。
根気だけは人一倍あるはずだ。

いつか彼が俺だけを見て笑うようになるまで、俺は糸を紡ぎ続ける。
……いや、俺の事だから俺だけを見て笑うようになっても糸を紡いでいるかもしれない。

これはどうしよもない。
だって、この糸は俺の兄さんへの愛だから、ね?


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あきゅろす。
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