◆短編
狂信者は嗤う3
「昔のお前は可愛かったな」
「……また昔の話ですか? もう300年も前の話じゃないですか」
心持ち頬を紅潮させながら男が淹れてくれた人間には飲み頃の紅茶を啜る。
邪神である我はもっとマグマのように熱い飲み物の方が好きなのだが、男には危険すぎて扱えないのだからしょうがない。
あの日、男の妹を間一髪の所で助けて我の住む空間に送り届け、我を崇拝する狂信者と狂信者を利用して金を稼ごうとする薄汚い人間をこの世でもっとも辛い刑に処した。
彼らはいまだに刑に服している。
身動きの取れない狭い空間の中でいまだに切り刻まれ続けている、決して意識を失えないまま、死ねないまま。
細切れになっては再生させ、また刻む。
殺しはしない。
薄汚く価値など全く見出せない彼らにだって未来の可能性はあるのだから。
可能性がある限りは殺さない。
それが限りなく死に近い状態であったとしても、死による幸いなど与えてやるものか。
「もう直ぐお前の妹の命日じゃないか?」
「そう、ですね」
男は悲しみを湛えた表情で笑う。
何年経とうが男にとって妹が大事な存在である事には変わりが無いらしい、とても仲の良い兄妹だった。
「お前はこの生の殆ど動かない空間に取り残されていいのか? 成長してここから離れた妹のように外の世界に行ってもいいのだぞ」
個体差はあるものの、この世界に居る限り少なからず私の力の影響を受けてしまう。
300年この場にいるけれど男の肉体は1年分も進んでいないだろう。
男の妹は外界に強い影響を受けたのか、少女から1人前の女性へと成長してここから出て行く事を選んだ。
良い匂いのする涙を流しながら私に礼を言う妹の顔は、始めて出会った時の生気のない表情からすると奇跡のように美しく変わっていた。
邪神に育てられた少女はその後、人間の世界で必死に頑張り自らを磨き、優しく誠実な男に見初められ、2人の子供に恵まれ、その命を育み、年を取り、最愛の夫を看取り、子供と孫に看取られ逝った。
彼女が幸せだったのか、我は知らぬ。
だが死ぬ間際に見せた彼女の笑顔は、とても満足げに我の目に映った。
それは人の生としての幸せの縮図。
男もまた、そうして生きた方が幸せなのではないか?
「構いません。妹が外の世界を選んだように、俺はラプター様と一緒にいる事を選んだんですから!」
ドンと叩いて胸を張った男は、とても自信有りげだ。
幸せなど人それぞれ。
男が幸せなら我に言う事はない。
「物好きだのう」
男の顔を眺めながらズズ…と茶を啜り、ほうと息を吐いた。
温度こそ我には温めだが、香りは極上、味も美味しい。
300年で1番成長したのは紅茶やコーヒーを淹れる腕前かもしれない。
「物好きじゃなく、俺はラプター様が好きなんです」
「ふぅん」
「気の無い返事ばかり……、本気ですよ?」
「だが我の本来の姿はこれではないぞ? もっと醜悪で恐ろしい……」
「それがラプターさまであれば見た目など些細な事です」
「……」
カチャリとカップをソーサーに戻し、男に向けて指を伸ばす。
我が何をしようとしているのか判らない男は、不思議そうに首をかしげた。
刹那、ドロリと溶ける我の指先。
「えっ」
人に似せた形はあっという間に形を失い、ジュルジュルと粘り気のある粘液に変わり、辺りに鼻が曲がりそうな強い臭気を漂わせる。
垂れ下がる粘液の隙間からキロキロと蠢く目玉のような器官が生じ、声を上げた男を一斉に見た。
変わったのは指先だけ。
見せたのは我の身体のほんの片鱗。
普通の人間ならこれだけで発狂しかねない、異形の生命。
「ラプター様」
「なんだ」
男は静かに我に声をかけると、変容した我の指先を指差した。
「ここ、触れても大丈夫ですか?」
「問題はないが」
だが痛んだ食べ物のようにグチョリとした感触がして、膿んだような匂いのするそこに触れる気だろうか?
男はここに来た段階ですでに精神が成熟しており、我を父のように慕っているわけではない。
盲目に我だけを信じるようになってしまった子供も居たが、そんな子供と男は違うはずなのに。
男は両の手で作った器を我の蕩ける指先に近づけると、下から掬いあげるようにして粘液を受け止める。
転げ落ちた目玉が男の手の平でコロコロと転がり、その目玉からの情報が脳内に直接男の顔を映し出した。
「これが、ラプター様の本当の身体……」
「その一部だ」
「…………」
しばらく黙って目玉を眺めていた男の頬が、次第に赤く染まっていく。
嫌悪や侮蔑など欠片ほども感じさせない男の様子は、そう、興奮?
「何を興奮しているのだ?」
「だって、300年傍にいて、ラプター様の本当の身体に初めて触れて。ああ、俺、幸せで死にそうです」
悦びからかカタカタと小刻みに震える身体に合わせて、手の平の目玉もコロコロと揺れる。
三半規管は洗濯機に入れられても正常を保てるほど強固だが、視界のリンクを切って直接映像を送り込まれるのを阻止した。
粘液を蠢かし男の手から目玉を回収すると、軽く捻って元の人間に似せた姿に戻す。
殆どの時間男と一緒にいる我は長い時間をこの姿で過ごしている為、人に似た姿に慣れてしまった。
元の姿も我自身だと思うけれど、人に似たこの姿にも愛着がわいてきてるようだ。
「ああ! もっと見せて下さいよ」
「嫌だ、なんだか気色が悪い」
「えぇ……、俺はラプター様の事が好きなだけなのに」
夢を見るように瞳を輝かせて男が真摯に呟く。
その声にゾクリとした何かを感じた。
それは期待とも、絶望とも、希望とも言えぬ独特の何か。
少なくとも我には関わりのなかった感情の欠片。
「ラプター様」
「な、なんだ?」
元に戻った我の手をキュッと男の手が握る。
尖った爪で肌が少しだけ裂け、皮膚の表面に紅い線が浮かんだ。
「邪神、って子供、産めたりしませんか?」
なんという事だ。
この世でもっとも恐ろしい者が目の前にいる。
情が湧いて殺せない。
傍から離したら死にかねない。
傍にいたら襲われかねない。
(最凶の狂信者を、我が自ら作り出してしまったのか?!)
乙女のように頬を染め、傷つく事も厭わず我の手を握る男の手を振り払う事すら出来ない。
瑣末な傷にすら心を痛めるほどに、自らの本当の姿を明かしてしまうほどに、男は邪神たる我の内面に入り込みすぎていた。
「ラプター様、愛しています」
ありえない事だが我は怯えている。
鋭い爪に口付けた男の瞳は、欲に、情に、愛に狂っていて、決して我を逃がさないと訴えていた。
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