◆短編
人は見かけによらぬもの
「ここ、だよな?」
手帳を切り取った小さなメモに書かれた住所を何度も見返して確認する。
うん、間違っていない。
が、大丈夫ではない。
遡る事3日前。
俺は酷く困っていた。
出張先の見知らぬ土地で財布を落とすという大失態。
今まで生きてきて一度も落とした事が無いのに何故遠方に赴いた今日に限って……。
幸いにして仕事は終わっていたもののここから歩いて帰れるはずも無く、前もって買ってあった電車のキップも財布の中だ。
「は、はは……」
乾いた笑いが口から零れ、クラリと足元が揺らいだ。
「おっと」
傾いた身体が何かにぶつかり、慌てて体制を立て直す。
振り返った俺の目に映ったのはいかにも善良な若いスーツの男だった。
「す、すみません!」
頭を下げた俺に男は気を悪くした風も無く笑いかける。
人の良さそうな笑顔に安堵の息を吐いた。
「いえ、大丈夫ですよ。それより立ちくらみですか?」
「あ、その、……恥ずかしながら財布を落としまして」
ポリポリと頭をかきながら苦笑いした俺に、男はビックリした顔をする。
俺の事を心配してくれているのだろうか、優しい人だ。
「財布を……、それはお困りでしょう」
「ええ、まあ。とりあえず交番を探そうと思いまして」
「携帯はどうなんですか?」
「あ! ……充電切れてる」
勢い良く開いた画面は暗く、うんともスンとも言わない。
携帯を地面に叩きつける妄想を頭の中でしながら、ソッとポケットにしまう。
「ふ、……、げほ、ごほごほっ!」
ハアとひとつため息を吐いて顔を上げると、男は俺からサッと顔をそらしてわざとらしい咳をした。
その顔は赤く、男は口元を押さえて小刻みに震えている。
(……思い切り笑ってくれた方が恥かしくないものだな)
「よければ少し都合しましょうか?」
「えっ、いや、そんな迷惑は」
初対面の人にそこまで迷惑はかけられない。
慌てて首を振る俺に彼は柔らかく微笑んだ。
「ここで会ったのも何かの縁ですし」
俺の制止も聞かず彼は内ポケットを探ると、仕立ての良さそうな革張りの財布を取り出す。
それはギョッとするほど厚く、一体どれだけの金額が入っているのだろうと勘ぐってしまう。
「自宅はどこになりますか」
「○県なんですけど」
「へぇ、奇遇だな。私も同じ県に住んでるんですよ」
「凄い偶然ですね」
住んでいる県から離れているのに、同郷に会うなんてなんと言う偶然。
そしてなんという幸運。
男は形のよい指で器用に札を畳むと、金額が見えないように俺の手に握らせた。
慣れた指の動きに大金を扱うのになれた上流階級を思わせる。
そして俺は渡された札の厚みに全く慣れていない。
「あの、住所を教えて頂けませんか? 是非お礼に伺わせてください!」
「いいんですよ、そんなの」
「そんな訳にはいきません」
「そうですか? では気が向いたら遊びにでも来て下さい、あまり尋ねてくる人の多い家ではないのでお客様は歓迎です」
男は取り出した手帳に万年筆でサラサラと住所と電話番号、そして名前を書いた。
走り書きしたはずなのに、凄く綺麗な字。
「宮路 劉生、さん」
「はい」
見ず知らずの俺を助けてくれる紳士なのに、名前まで格好いい。
それに引き換え俺ときたら、財布は落とすわ、携帯の充電は切れるわ散々だ。
「あ、これ俺の名刺です。……なんで名刺ケースだけ無事なんだろう」
「ぶはっ、……ん、んんっ! どうもご丁寧に」
割と笑いの沸点は低いらしい。
俺の名刺を両手で受け取った宮路さんは面白そうに俺の名前を指でなぞった。
家にたどり着いた後、無事にたどりついたと連絡すれば宮路さんは自分の事のように喜んでくれた。
そして仕事やお金を下ろしたり色々手間がかかるのもあって、3日後に会う約束をする。
宮路さんは別にいいのになんて言うけれど、金銭的にも精神的にも凄く助かった。
是非! なんて強引に押しきって尋ねた俺だけど、いまだにインターホンのボタンを押せずにいる。
「ここ、で、合ってるよね?」
厳つい門扉にはこちらをキロリと睨む監視カメラ。
高級そうな家を囲む塀には刺々しい飾りが光り、こちらを窺う為なのか小さな小窓が幾つもあった。
(これ、もしかしなくても……)
「おい」
「はいぃいいっ!」
どうしようと悩む俺の背後からいきなり声をかけられて、何の比喩も無く跳ね上がる。
恐る恐る振り返った先に居るのは、いかにも強そうな目付きの悪い男だった。
「さっきから何ウロウロしてやがる。ここが何処だかわかってんのか、あ゛?」
「へっ、いや、あの、その……」
「あ゛ぁ、はっきり言えや?!」
「ひぃっ、すみません! あの宮路さんはご在宅でしょうかっ!!!」
俺の言葉に男の表情が訝しげに歪んだ。
どうやら俺の正体を量りかねているらしく、つま先から頭の先までジロジロとあからさまな視線を送られる。
「お前みたいな奴が家の若頭に何かよう」
男の言葉は最後まで紡がれる事は無く、その身体は何かに薙がれたように吹っ飛んだ。
凄まじい衝撃だったのか、男の身体はバウンドして地面に転がった。
「専務と呼べと言っただろう、クズが」
何事も無かったかのような涼しげな声。
本当に何事も無かったのではないかと錯覚してしまいそうになるが、彼が蹴り飛ばしたのは明白だった。
まだ足が上がってるし。
その表情は優しくて、人が良さそうな顔も相変わらず。
俺に向かって微笑む彼は、善良そう。
「こんにちは、またお会い出来て嬉しいです」
ニコリと笑んで俺に握手を求める宮路さんに、俺は背中を伝う嫌な汗を感じた。
人は見かけによらぬもの
昔の人が言う事は本当なんだ、なんて今更ながらに身に染みる。
ギュッと握られた手に何故か逃げられないと感じるなんて、俺の気のせいだよね?
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