◆短編
部屋のクマさん
香ばしい匂いに混じり甘い香り、たっぷりのバターと仕上げにハチミツ。
自分でも満足いく出来でとても美味しそうなホットケーキを一口大に切ると、熊田君の口元に近づけた。
「あーん」
「……自分で「あーん」……」
顔を真っ赤にして照れてるのが可愛くて、わざと言葉を遮り強要する。
強引にフォークを奪ってしまえばいいのに、それはしない彼がとても愛おしい。
「なんでこんな事に」
「君が悪い」
そう彼が悪い。
きっかけは私の気まぐれと、ちょっとした下心。
熊田君にもっと私の事を好きになって貰いたくてズルをしようとした。
「熊田君、何か欲しい物はあるかい?」
「へ? 欲しい物?」
幸い金ならかなり自由になる身。
彼が欲しがるなら車でも家でも、ちょっと時間はかかるかもしれないが海外の別荘でも用意してあげられる。
それで彼がほんの少しでも私の事を好きになってくれたら嬉しいなぁなんて、そんな可愛い下心。
「ホットケーキ」
「はい?」
「簡単に作れる専用の粉使った奴じゃなくてさ、普通の小麦粉で作ったちょっと面倒な奴にハチミツかけて腹一杯食いたい。メープルシロップも美味いけど、俺はハチミツの方が好きだな」
味を思い出しているのかホワンと幸せそうに笑み、口をもにゅもにゅと蠢かす。
精悍な顔立ちがふにゃりと緩んでとても愛らしいが、私の頭はそれ所ではなかった。
「…………」
「な、なんだよ、どうせ甘い物好きだよ!」
自分の予想に掠りもしなくて呆然としてしまう。
だってまさかそんな可愛いものが欲しいと言うなんて思いも寄らなかった。
彼と付き合う前の私はそれなりに上流の人間と付き合いがあったし、そういう人間は当たり前のように高価な物をねだる。
買ってもらうのが当たり前。
してもらうのが当たり前。
私もそれが当然だと思ったし、それで自分の評価が上がるなら便利なものだと冷めた目でそれを見ていた。
付き合うといってもお互いをアクセサリーのように飾り、相手で自分を飾る。
愛や恋なんて絡まないビジネスライク。
そんな事情を知らない彼は私に欲しい物をねだるでもなく、ただ自分の欲しい物を口にした。
彼を物で釣ろうとした自分が酷く恥ずかしい。
そんなものでどうにか出来る存在じゃないと知っていたのに、そんなものが無くても傍にいてくれると信じようと思ったはずなのに。
「? どうかしたのか?」
「ん、いや……。まだまだ修行が足りないなぁと思って」
椅子をキシリと鳴らして背もたれに寄りかかる。
顔の前で指を組み、困惑と嬉しさで微妙な表情になってしまった顔を隠した。
「ねえ、熊田君」
「うん?」
「私がホットケーキ作ってあげる」
という訳で話は冒頭に遡る。
照れながらも私の手からハチミツたっぷりのホットケーキを口にしてくれた熊田君は、複雑な表情でもぐもぐしていた。
感想を待つ私の心もドキドキと高鳴る。
「……すげー美味い」
熊田君は意外そうな顔をして私を見た。
その驚いたような表情に不思議な充実感を感じて、ニマリと笑う。
「良かった、自分でも味見したけどあまり自信がなくてね。美味しいのが作りたくて色々調べたんだけど」
「本当に自分で作ったんだな」
「そりゃあもう小麦粉も2回ふるったし、ふっくら焼くコツも覚えたよ」
「へえ、それってどんな?」
自分でも試してみたいのか、熊田君が少し興奮した口調で尋ねるのを軽く首を振って断った。
そんなの教える訳にはいかない。
「それは秘密」
「なんだよ、教えてくれたっていいじゃないか」
「駄目」
「ケチ」
尖らした唇が可愛くて、つい摘みたくなるけれど我慢する。
男らしい顔立ちでヒゲだって生えてるのに拗ねた表情も可愛いなんて反側だ。
「ふっくらしたホットケーキが食べたくなったら私の所に来たらいいじゃないか」
残りのホットケーキを食べていた熊田君がゴフリと咳き込み、私を睨む。
そのくらいの悪巧みは許して欲しい。
「んなっ?!」
「うん、どうかしたかな?」
「……本当にアンタわからない人だな」
「そんな事はないよ、ただ熊田君が凄く好きなだけだよ」
「それが1番わからない。俺は可愛いっていう性質でもないし、性格だって頭だって良くないし……」
性格はとても優しく、勉強が出来る訳ではないかもしれないが素直で熱心だ。
そんな彼が誰かに奪われてしまうのではないかと、私はいつも気が気ではない。
ムゥと唸り腕を組む熊田君は、獲物が取れなくて苦悩するクマみたいでとても可愛いのだが、きっと彼にはわからない可愛さなのだろう。
誰もわからなければいい、それならば私だけの熊田君でいてくれる。
軽く腕を引きこちらに寄せると逆らう気はないのか、私の直ぐ前まで来てくれた。
指から腕を昇り肌をなぞりあげ、その指を心臓の上に重ね軽く力を込める。
「……っ!」
「太い眉も顎ヒゲも濃い目のモミアゲも君の全てが可愛いよ」
「なんでそういいながら胸を揉む!」
「大きいおっぱいも大好きなんだ。ああ、熊田君の場合、雄っぱいかな?」
「……変態」
そう悪態をつきながらも熊田君の息も弾んでいた。
本当に感じやすい身体。
「嫌かい?」
「……少しだけ待ってくれ」
拒まれてしまったかと少しだけガッカリした私を、彼はまた喜ばせてくれる。
「折角作ってくれたホットケーキ、ちゃんと食べ終わってから、な?」
本当に愛おしくて、どうしてくれよう。
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