◆短編
疼く熱、熟れた息2
垂れた糸が水面を揺らし、水の流れる音に耳をすませば心が落ち着く。
魚釣りにもコツがあるのか鬼はすでに2匹ほど釣っていたが、俺はまだ1匹も釣れていなかった。
少しだけ悔しくもあるのだが、遊び程度にしか釣りに親しみのなかった俺にとって、試行錯誤も新鮮で面白い。
とはいえ大事な今日の夕飯が、寂しくなるのは困る。
非常に困る。
「何かこう、釣れるようになる秘訣はあるのか?」
「そうだな……、軽く竿を揺らして獲物が水に落ちたように見せかけるとか、かな?」
「なんだ、疑問系なのか?」
「慣れでやっているから説明はし辛くてなぁ」
厳つい顔をクシャリと歪め、細められた優しい目と目元を染める肌よりも強い赤。
空いた手で頭をポリポリと掻きながら、はにかむ鬼の顔はお世辞にも優しいとは言えないのに、不思議と俺はその笑顔が好きだ。
始めこそ俺よりもずっと大きい体躯と強面の顔に恐怖を覚えたのに、今ではその笑顔に安心を感じる。
いつの間に俺はこんなに変わったのだろうか。
誰かを好きだと思った事はあっても、これほど強く誰かに惹かれた事はない。
寝ても覚めても脳裏に焼きついたように離れないのに、それが全く嫌では無いだなんて……。
「……い、おい!」
「へ?」
「引いてる!」
ぼんやりと考えていた俺に、鬼が慌てて竿を指差す。
静かだった水面をウキが叩いて揺らし、軽かったはずの竿にずしりとした重みがかかる。
「わ、わわっ!」
指からすっぽ抜けそうになる竿を慌てて握り、腕に力を込めて引いた。
ビンッと糸が嫌な音を立て、竹で出来た竿が折れそうなほどしなる。
「でかいな、大物だぞ」
関心を含んだ口調で鬼が言い、持っていた竿を地面に置くと俺の背中から手を回し、竿を握る俺の手にその大きな手の平を重ねた。
体温すら感じられる距離の近さに、俺の身体がビクリと跳ねる。
「っ!」
「引きずられるなよ? 水に落ちるぞ」
俺の内心の激しい動揺など知らず、鬼は引き絞られていく糸と水面を見つめながら、強く俺の手を握った。
心臓が激しく跳ね、鼓動が止まない。
その熱が、その体温が、その匂いが、俺の意志をグズグズに溶かし、理性を薄くしていく。
「っと、と! またでかいのが釣れたなぁ」
激しい水音を立てて釣り上げられた魚の鱗が、地下の淡い光を弾ききらきらと煌いて目を眩ませる。
バタバタと地面をのたうつ魚の音に、俺はようやく正気を取り戻した。
「あ、ああ、今日釣れたので1番デカイんじゃないか?」
「そうだな、そうは見ない大物だ。今日の夕飯は豪華になりそうだ」
「ああ……」
無難な返事を返しながらも、自分が何を言っているのかわからない。
頭を占めるのは鬼に触れて欲しいという、浅ましい己の欲望ばかり。
その指で、その手の平で、その身体で
俺の身体に、触れて……
(何を考えてるんだ、俺は)
自分のいやらしさに嫌悪感を感じ、コッソリと唇を噛んだ。
ほんの少し身体が触れただけ。
それだけだというのに身体を燻る熱に火がついたかのように、身体に爛れそうな程、火照っているのが判る。
緩く勃ちあがりかけた性器を宥め、出来る限り平静を装って声をかけた。
「すまん、ちょっと小便してくる」
「ん? ああ、行ってくるといい」
魚から針を外しながら鬼がニコリと笑うその表情にすら、ゾクリと背が震える。
曖昧に笑い返して、俺は鬼に背を向けた。
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