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◆短編
その男、金貸し4
いつの間に雨が止んだのかカーテンの隙間から差し込む光が頬を照らし、柔らかな朝の空気に思考が少しずつ覚醒していく。
つい最近まで熟睡する事を忘れていたが身体は深い眠りを欲していたのか、熟睡するのはとても気持ちがいい。

「おはようございます、ソル」

当然のように俺の傍で座っていた男の顔は爽やかさを湛えていて、この男がここに居るという事が誰かの死を表しているとは思えない程平和そのものだ。

「アイツら殺したのか?」

「僕は殺しませんよ? ただ全身を動けないように縛って捨てて来ました」

「海に?」

「いいえ、この地区のはずれにあるドブネズミの窖に」

「…………、えっぐ」

裏事情にはそれなりに精通している俺でも聞いた事がある程度だが、ドブネズミの窖とはそのままドブネズミの住処の下水道に生きたまま放り込むという拷問方法だ。

不衛生極まりない下水という環境以上に、身体全体が菌の温床であるドブネズミに齧られれば死亡率の高い病気を伝染される事もあるし、傷口が化膿しやすくなっている。
なによりも肉に飢えたドブネズミにとって動けない人間は恰好の獲物、降ってわいた肉のごちそうだろう。

生きながらに自分よりも小さな生き物に食われ、生きている間は助かりたいと願う気持ちも病に食いつぶされていく。
仮にどうにかして脱出できたとしてもネズミに伝染された病気の所為でまともな生活を送れるはずもなく、ネズミの足音に似た音に一生おびえ続ける人生が待っている。

「虫も殺さない顔してえぐい事するもんだな」

「そうかな? でも僕はちょっと後悔してます」

「悪い事をしたなぁって?」

からかうように軽口を叩く俺とは裏腹にイザークは表情を暗くして、毛布を捲り俺の足を掬い上げるように持ち上げると眉根を寄せたまま足の甲を撫でた。
数人を死ぬとわかっていてドブネズミの窖に数人を放り込んできた人間とは思えない悲痛な表情に、俺の方が面食らってしまう。

「逆ですよ」

「あ?」

「ソルの足、もう普通には動きません」

まあ、薄々感づいていた。
動こうとすると腱が引き攣るような感覚と以前より重く感じる脚、まったく動かない訳ではないが走れるような気配はない。

だが死から脱した代償としては安い物だろう。
片足ぐらい神だろうが悪魔だろうがくれてやる。

だが目の前の死神はそうではないらしい。

「……、ソルの事を傷つけるなんて細切れにしてやっても足りない」

俺の脚を優しく撫でる手とは真逆に、憎悪をにじませた表情で虚空を睨みつけるイザークはどこか狂気じみている。
昨夜の状況から真っ当な奴だなんて思っちゃいないが、なぜこんなにも強く俺に執着するのかわからない。

「お前は俺の生き別れの弟か何かか?」

「僕に兄弟はいません」

「じゃあ前世で助けた犬か?」

「前世なんて覚えてないです。でも犬なのは否定出来ないかも」

自覚はあるのか。

イザークは完璧に訓練された猟犬のようであり、同時に制御の効かない猛犬のようでもある。
こうして話している時には愛嬌のあるアホ犬にしか見えないのだが……。

「僕がソルの事を大事にするのが不思議ですか?」

「まあな。それじゃなくても俺はデメリットがデカい、死にかけてたり追手がかかったり真っ当な奴なら大回りして避けて通るタイプだ」

「理由なんて簡単です。僕は路地で倒れているソルと出会った時、こんなにも幸せそうに死を受け入れている人を初めて見ました」

イザークはその時を思い出しているのか、懐かしそうに目を細めて幸せそうな表情をしているが、つい先日の事だしその場面で俺は死にかけている。
全く嬉しい状況でもなければ、幸せな状況でもない。

「それで?」

「え、それだけですけど?」

「いや、理由がまったく簡単じゃねぇよ、全くもって不可解だよ」

「簡単ですよ! だって恐れるでも悲しむでもない、拒絶するでも悲観するでもない。死を受け入れ、その上幸せを感じられるなんて、そんな心が清浄な人見た事が無い!」

清浄……、異常の間違いじゃないだろうか?

生を望み死を恐れ一縷でも望みがあるのなら生に縋る方が健全だろうし、なんの未練もなく良く眠れる事を喜ぶ俺の考え方がおかしい自覚はある。
イザークの考えを否定する気はないが、俺に輪をかけておかしい奴なのだろう。

「死ななかったんだから価値が落ちたんじゃないのか?」

「ソル自身に価値があるんです、死はそれを彩るだけの添え物であって主役じゃない。だからソルは自分の事を大事にしてください、ソルだけの身体じゃないんですから」

「……、は?」

唐突にまるで子供でも孕んだかのような言葉に口がぽかんと開いて塞がらない。
そんな俺にイザークは無害そうな顔で笑うと、至極現実的な事をのたまった。

「落ちていたソルを拾ったから、ソルの一割は僕のモノですよ」

そういえばあったな、そんな法律。
本当は五%〜二〇%なんだが、俺が不利になる可能性が高い情報は与えない方が良いだろう。

「踏み倒したりしないですよね?」

脅しのようにニコリと笑うイザークの顔に、見え隠れするのは不安や焦り。
俺のボディーガードをしていた奴らを簡単に捌けるほどに強く、半ば俺の事を脅しているような状況にあって、なぜ俺はコイツに哀れを感じてしまうのか。

死にかけた所為で、おかしくなった。
きっとそうだ。

「馬鹿にするな、俺は借りたモノを返さないのが大嫌いなんだよ」

縋るように伸ばされたイザークの手を握ると、まだ痛む身体を無視して手の甲に爪を立てた。
皮膚に刺さる爪の感触、血の気が薄い俺よりも冷たい手の平の温度。

それなのにイザークは笑う。
頬を紅潮させ、これ以上ないほど幸せそうに。

返しきれない金を借りた奴らはこんな気持ちだったのだろうか?


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