◆短編 その男、金貸し3 深夜、パタパタと屋根を打つ雨の音に混じって、耳障りな足音が地面を叩く。 柔らかなベッドの中で警戒を解けず浅い眠りを享受していた身体が一気に覚醒するのを感じた。 「夢の終わり、か」 ほんの短い時間。 死ぬ前に見た夢だとしたら極上で、俺の人生にして最良の夢だった。 軋む身体を叱咤しながらイザークの用意してくれていた上着を着込むと、姿勢を低くして窓の傍へと近づく。 呼吸すら殺して耳を澄ませば、何か指示を飛ばしている声には覚えがあった。 身辺を守らせていたボディーガードの一人。 「へぇ、アイツか」 裏切ったのは入ったばかりの新人かと思っていたが犯人は古参のボディーガードで、俺の金が見つからなかった事に腹を立てているのか口調は荒く耳障りだ。 古参だろうが新人だろうが、元々俺はあいつらの事を信じていないから裏切られた事に衝撃は無い。 裏切らないように能力に見合った給料は払うし、制裁の凄絶さを見せつけて裏切ればこうなると釘を刺す。 だがそれだけで人の心を完璧に掌握できるとは思わないし、人は金にも情にも流される生き物だと知っている俺は誰の事も信用していなかった。 どうせ今回のように裏切る。 「さて、どうしたものか」 俺にあるのは自身の身体と、この部屋にある生活用品ぐらいで武器にはならない。 仮に武器があったとしても複数人で包囲している時点で戦闘力の低い俺に勝ち目はないだろう。 「……結局巻き込んだな」 イザークは善意から俺を匿っただけだが、相手からすればそんな事はわからないだろうし、俺がこの家を緊急時の避難場所としていたと考えるのが自然だ。 勿論その家に住んでいるイザークは俺の協力者だと勘違いされている、生かして逃す理由はない。 舌でも噛んで自殺出来れば幸運、最悪は知りもしない金の在り処を尋ねられ拷問。 「……、不憫な奴」 「誰がですか?」 「〜……ッ!」 突然背後からかけられた声に、叫びを喉でグッと止められた自分を褒めてやりたい。 これだけ警戒していた俺にまったく気配を感じさせなかった存在は、驚く俺にキョトンとした視線を向けながら目をパチパチと瞬かせた。 「イ、ザーク」 「はい、ソル。どうしたんですか、もしかしてベッドから落っこちたんですか? まだ身体の調子が完璧じゃないんだから無理しちゃダメですよー」 「そんな訳あるか!」 呑気な声で話しながら俺の身体を軽々と持ち上げたイザークは、シーツを器用に足で直してからその上に俺を優しく置いた。 清潔なシーツはさっきまで寝ていた筈なのにパリッとしていて心地よく、そのまま眠りにつきたい衝動に駆られるが、寝てしまえば永遠の眠りに着く事になるだろう。 そんな場合ではない、イザークは逃げるべきだ。 眠っているのを起こす時間はないが、起きているのなら追手が室内に侵入して来ていない今ならイザークが逃げる方法は少しだけある。 どの方法も俺が囮になる事前提で他人の犠牲になるなど主義に反するが、受けた恩を返さずにいる気もない。 俺は貸したモノを返さない奴が大っ嫌いなんだ。 「外に……」 「五人ぐらいですね、歩き方の癖から見るに銃持ちが三人、他の一人は専門的に暗殺をしているみたいですけど」 「あ?」 まるで世間話をするように声音も変えず話すものだから、頭が理解するまでに時間がかかった。 今、コイツは妙な事を言わなかったか? 「あれがソルを虐めた人ですね?」 イザークの声が地を這うように低く、冷たく変わる。 その声音に全身から汗が噴きだすような恐怖を感じた。 なにが怖いって、声音は低くなっているのに口調は何一つ変わらない。 今日の天気の話でもするかのように、まるで追手がかかるのが「普通」であるかのように何一つ。 イザークはおもむろに棚の上に置いてあったオブジェを掴むと、軽やかな手つきでそれを分解していく。 良く見れば木製のオブジェの内側は金属で出来ており、街灯の明かりで鈍く光る。 木製のオブジェは元々すべてが外れる仕組みになっていたのか、あっという間にテーブルの上で小さなパーツになり、そして新しい形へと組み替えられていった。 手の中で組み替えられた「それ」を試すように回し、満足したのか強く持ち手を握ると、イザークは無邪気に笑んだ。 「ソル」 「なんだ?」 「あの人達は必要、それとも不必要?」 俺の一言でアイツらの生死を分ける。 イザークの実力も知らないはずなのに漠然とそう思う。 だけどきっとこれは間違っていない。 イザークから感じる気配は指先がチリチリするぐらい、静かで、密やかな、恐ろしい、死の気配だ。 俺が間違える筈がない。 なにせつい最近『死』の気配を味わったばかり。 「いらない、処分してくれ」 商売上裏切り者は全て処分してきたし、これからも誰一人見逃す気はない。 生きて帰れたら子飼いの殺し屋でも使おうと思っていたが、イザークが片づけてくれるのなら費用も掛からなくてお手軽だ。 殺ってくれるのなら非常に助かる。 「よかった。恥ずかしいけど僕、手加減するの苦手なんです」 ポリポリと頭を掻きながらイザークは照れくさそうに頬を赤らめ、穏やかにはにかんだ。 昨日まで見ていた笑顔のまま、なにも変わっていない。 だけどその手に握られた銃が、彼になにより似合っていた。 「いってきます。ちゃんと寝てないと駄目ですよ」 足音なく部屋から出て行くイザークの背中を見送り、しばし逡巡してからベッドに身体を横たえた。 この都合のいい展開が俺の欲望が見せた夢ならば、俺は随分想像力のある男だったらしい。 もしこれが現実なら……。 「最近の死神は銃持ってんだな、鎌は古いのか?」 ポツリとつぶやき目を閉じる。 よく眠れそうだ。 [*前へ][次へ#] [戻る] |