[携帯モード] [URL送信]

◆短編
魔龍の片翼
眼前の龍は獰猛な顔を心底嫌そうに歪めてため息を吐いた。
大きな体躯から漏れるため息は突風となって僕に当たり、セットした髪の毛が四方八方に靡く。

しばし僕を睨みつけていた龍はやがて諦めたように顔を床に近づけて、僕の身体に優しくその顔をこすりつける。
硬くて冷たそうな見た目に反してほんのりと温かい龍の顔に抱きついた。

「わーい、ファフニール」

龍の名前はファフニール。
黒い鱗と切れ長の赤い瞳、そして人間など一噛みで食べてしまえるほどの鋭い牙と大きな口を持つ魔界の龍だ。

僕と彼の出会いは十三年ほど前、まだ僕が五歳の幼児だった頃の事。

召喚の研究者であったと祖父の所へ遊びにきていた僕は、祖父が見せてくれる小さな精霊や妖精の召喚のとりこになった。
自分でも召喚が出来るようになりたくて祖父に召喚の方法を聞いたけれど、当然祖父は子供には危険だからと教えてはくれない。

今になってみれば祖父の言い分はもっともで、子供が軽々しく召喚などしたものならば良くて大怪我、最悪のパターンなら広範囲を焦土にしてしまう可能性すらあったのだが、如何せん僕は聞き分けの悪い子供であった。

そして見よう見まねの幼い僕が呼び出したのがこの魔龍。

龍という生き物の性質は決して大人しいモノではない。

人の何倍も長い生を持ち、古からの知恵と強靭な肉体を持った龍は、自らの種を万物の頂点と考えており、人間などに召喚されるのは屈辱の極みであっただろう。
しかも召喚したのはわずか五歳の子供だ。

丸呑みにされるか、炎のブレスに焼かれるか、鋭い牙で引き裂かれるか、どの選択にしても死は免れないモノだと幼心にぼんやりと感じたのを今でも覚えている。
ギロリと妖しく光る目玉がこちらを見据え、身体がビクリと揺れた。

どうしようもない小刻みな震えは止めようと思っても止まる物ではなく、己の身体を守ろうとするにはあまりに弱々しい自衛本能。
強大な龍の目には滑稽にすら映っただろう。

『お前が呼び出したのだな』

「ぅ、……うん」

『なんだ? 是か否かはっきり言わぬか』

「ぜ? いな?」

はい と いいえ ですらまだ曖昧な年の僕には難しい言葉に、鸚鵡のように言葉を繰り返しつつ首をかしげる。
馬鹿にしている事を隠す気もないのか、魔龍は呆れたように鼻息を吐いて冷たい言葉を吐き捨てた。

『阿呆なのか? いや、そんな訳はあるまい。輝かんばかりの強者の気配を感じたからこそ我は召喚に応じたのだ。その蛮勇の持ち主を噛み殺してやろうと……』

「噛む?」

『……、改めて聞くが、お前が呼び出したのか?』

「うん。あのね、お祖父ちゃんに召喚しちゃ駄目って言われてたけど、僕、召喚してみたくて真似しちゃった」

『真似しちゃった、ってお前……』

血沸き肉躍る強者との対決にいそいそ召喚されてやったた魔龍は、目の前にいた小さな子供が自分を呼び出したという事実に毒気を抜かれたらしく、結局僕を噛み殺す事なく魔界へと帰って行った。

計算違いがあったとするならば、召喚に味を占めた子供に度々呼び出されるようになってしまった事だろう。

そして現在に至る。


「わーい、ではない。また安易に我を呼び出しおって、我は貴様と違って暇ではないのだぞ」

硬い尻尾をブゥンと空を切り、床を叩けば地面からビリビリと振動が伝わる。
この特殊な召喚部屋は外に衝撃を伝えないものの、本気で彼が暴れたのならばあっさりと瓦解してしまうだろう。

つまり本気で嫌がっている訳ではないのだ、たぶん。

「仕事中だった?」

「魔龍である我に仕事などない」

「ニート?」

「ニートではない!」

クワッと開かれた口にはナイフよりもギラギラ光る鋭い牙が並び、思わず触ってみたくなる。
危険な事とかやってはいけないって言われると、つい逆らってやりたくなってしまう。

改めて振り返ってみると、僕は子供の頃からあまり成長していないようだ。

「そんな事よりさ、今日魔術の課題が出たんだけど教えてくれない?」

このままの流れで話していると間違いなくファフニールの説教が始まるので、強引に話を変えるために教えて貰う為に持ってきていた課題を机に広げた。

魔法の授業の実技は好きなのだけれど、どうしようもなく座学が苦手な僕は、こうしてよくファフニールに教えて貰っている。
言葉の大半がため息と呆れで構成されているものの、覚えやすいという意味で彼はなかなか良い教師であり、授業以上に幅広い知識を与えてくれていた。

「そんな事より……」

「ファフニール、怒ってる?」

「これくらいで青筋を立てていたらお前の相手など勤まらん。……強烈な毒の酸で覆われた我の胃に穴が開きそうにはなるがな」

「あっ、それ知ってる! それってストレスだよね」

「自覚はあるのか?」

「え? まさか偉大なる魔龍ファフニールが下賤な人間の青年から受けるストレスで胃に穴を開けかけてる?」

わざとファフニールのプライドを擽るように驚いた態度で言ってやれば効果はてきめん。
身体をビクリと震わせたファフニールは怒気を含んだ声音で吠えるように言った。

「ば、馬鹿を言うな! 我の強靭な胃が人間如きにどうこう出来るわけがあるまい!」

「だよね。じゃあ今日も課題のお手伝いお願いします」

「あ」

なんというかファフニールって本当に素直。
捻くれた所が一周回って素直に戻ってきた感じ。

そんな所がとても彼らしい。
ファフニールのそんな所がとても好き。

「……貴様のような奴がそう遠くない未来、この国を統べると思うと眩暈がする」

「大丈夫だよ、いざとなったらファフニールの威光も借りちゃうし」

「世界征服でもするつもりか」

「そうしたら僕の二つ名は『魔龍の片腕』とかになっちゃうのかなー、それとも『片翼』?」

本当に世界征服なんてするつもりはないけれど、ファフニールの片割れと思われる自分は悪くない。
それに彼の片翼なんて世界の隅々まで飛んで行けそうで、想像しただけで心が躍る。

「こんな騒がしい腕も翼も御免被る」

「きっと退屈しないよ!」

「耳にタコが出来る」

深くため息を吐いて呆れた目で見るファフニール。
でも僕が本当に困っていたら、彼が助けてくれると確信している。

だって本当に嫌ならば僕の召喚なんて応じなければいいだけなのに、喚んだら律儀に応じて来てくれる。

「あっ、結婚という手もある。龍の花嫁になったと各国に知らしめれば我が国の権威は……」

「本気で我の胃に穴を開けるつもりか、貴様ッ!」

クワッと開かれたファフニールの口から高温のブレスが吐き出される。
少しだけ室内の熱さは上がったけれどその炎が僕を傷つける事はなかった。


……割と僕は本気なんだけど、ね。

[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!