[携帯モード] [URL送信]

◆短編
変わる日常
深い深い森の奥、獣や魔物が多く生息するのを厭い人は近づかないこの場所で俺は生まれた。
種族としては魔物だが魔力はたいして強くない。
が、あまり魔力を使う機会もないので不便に感じたことはなかった。

人間に邪悪だと評されるこの森は俺にとっては穏やかそのものだし、深く息を吸い込むと胸いっぱいに広がる緑の香りは心地よくて落ち着く。
のんびりと暮らす日々の生活は刺激もないけれど危険もなく、このままずっと変わらない日常が続いて行くのだろうと思っていた。

……変わり者の人間が来るまでは。



「魔物、あそこに生っている果実は何だ?!」

掴んでいた俺の服をクッと引き、馴れ馴れしい人間は俺の顔を見上げた。
人間が指差す方を見れば確かにオレンジ色の実がなっており、薄暗い森では見つけ辛いのに目ざといものだと感心する。

「あれか? あれはキシュの実だ」

「美味いのか?」

「俺は好きだ」

「そうか、美味いのか。……美味いんだな」

ちらり、ちらり、とこちらを見るあからさまな視線に「お前を上に投げてやるから好きなだけ食べろ」と投げ出したくなる気持ちと、何故か放っておけない弟が出来たような気持ちが複雑だ。
以前森に入り込んだ人間は悲鳴を上げた俺の顔を見ても怯えもしない度胸には感心するが、こうも馴染まれても居心地が悪い。

「……はあ、待ってろ」

火の魔力が得意なのだが火事が起きて森が焼けるのは困るので、ギュッと圧縮した空気を指先でピンと弾いて枝を落とす。
バサバサと落ちてくる枝を地面にぶつかる前に掴むと、実だけもいで、小さくて食べやすそうな2つを投げた。

「わ、わっ、わっ!」

あまり器用ではないのか手の中でポンポンと跳ねる果実をなんとか受け取った人間は、少しだけ機嫌が悪そうに眉を顰めて頬を膨らませる。

「投げるな、落としたらどうするつもりなんだ!」

「拾って食え。ここでは少し落としたぐらいで泣き言を言っている奴は生きていけないからな」

「……っ」

俺の言葉でビクッと人間の身体が震えた。
先程まではしゃいでいたのが嘘のように顔は青ざめて目が忙しなく動き、喋り過ぎなくらいに雄弁だった口は言葉を発する事が出来ないのかパクパクと開閉を繰り返すばかりだ。

人間は、死にかけて森にやってきた。
……家族に殺されかけていたのだ。

人間から聞いた話によると、この人間は人間の中でも「カネモチ」という奴らしく、カネを大事にしている家族に邪魔者として殺されかけた。

毒を飲まされ
刃を突き立てられ
醜い言葉を浴びせられ

人間が森にやって来た時には生きているのが不思議な程ボロボロで、その瞳には何も映っていなかった。

俺達は魔物だが、同族で殺し合ったりしない。
力が強い者を尊敬して従うし、逆らっても罰を受けたのち許される。
獣だって腹を見せた仲間を追撃したりしないのに、人間は違うらしい。

この人間は俺達魔族によって助けられ、死から逃れた筈なのにいまだ死に怯えている。
生や死という話になると決まってこうして震えて、死んだ目に戻ってしまう。
怯え嘆く姿は強い呪いにかかったかのようだ。

「おい」

「……ぁ、…、あ」

目元に浮かぶ涙が救いを求めるように頬を伝い、果実を掴んだままの指先が微かに動く。
自分の知っている不遜な態度からは想像もつかないほど弱々しい仕草は、彼の受けた傷の痛ましさを物語っている。

フゥとため息を吐くと、枝から果実を毟ってカリと齧った。
まだ食べごろには早かったのか酸味が強く、頭がキンとするけれど気付けにはちょうどいいだろう。

震える人間の顎を掴んで上向かせると、魚が空気を求めるようにパクパク開く口を強引に塞いだ。

「……、……っ、……ッ?!」

過呼吸気味だったのが抑えられたのか、はたまた酸味が効いたのか、次第に視線が正常に戻っていく。
それに加えて具合でも悪いかのように頬は過剰に赤く色付いている。

「な、な、何するんだ!!!」

「何、とはなんだ? 気付けに果実を含ませようにお前の口じゃ入らないじゃないか」

「だからって、くち、口付けるなんてッ!」

ああ、なるほど、これは人間にとって恥ずかしい事なのか。
どうにも人間の文化には疎くていかん。

「あー、はいはい。次回からは気を付ける」

「次回とかそんな問題じゃない! こ、子供が出来たらどうするんだ!」

「え?」

顔を真っ赤にして怒鳴る人間の言葉に今度は俺が硬直する。
魔族は性交しなければ子供が出来ないが、人間は口づけるだけで子供が出来てしまうのだろうか?

(いや、そんな話は聞いた事がないぞ)

だが……、もしそれが本当ならば。

「産めばいい」

「簡単に言うな、子供だぞ!」

「簡単な事だ。産むものにとっては一大事だが、産まれてしまえば子供は皆の宝になる。ここでは人間だろうと魔物だろうと子供は等しく大事にされ、新しい生命は祝福され愛される」

「そう、……か」

安心させる為に伝えたのに人間の顔は晴れない。
俯いたまま、ぽつりと吐き捨てるように人間は呟いた。

「……私も、ここで生まれたら愛されたのにな」

刹那、ギュッと胸が締め付けられるような感覚に囚われて、意味もなく苦しくなる。

(なんだこの、よく分からない感覚は……?)

苦しいような、沸き立つような、感覚の理由はわからない。
だけど無意識のうちに身体が動いた。

「へ、うわぁっ!」

人間の身体を持ち上げて視線を合わせると、今度は気付けのためでなく口付ける。
驚いた人間は目を白黒させているけれど、それも今では可愛く見えた。

「ほあっ、なぁっ?! な、なんで?!!」

「愛されたいなら俺が愛してやろうと思って。俺は包容力があるからな、子供もお前もすべて愛してやる」

「ば、馬鹿っ! 変態ッ! ケダモノッ!」

「魔物だ」

顔を真っ赤にして怒鳴るのにキスを拒まない人間は可愛く、その怒鳴り声ごと口で塞げば愛おしさが募り、抱きしめる腕にギュッと力を込めた。

変わらない筈の日常は、変わり者の人間の所為で大きく変わってしまった訳なのだが。
不思議と、うん、悪くはない。


[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!