◆短編
今日があまりに寒いから
「さっぶいっ!」
ヒュウと吹く風は肌を裂く程に乾燥して冷たく、滑らかな毛並みでピンと立った自慢の耳を後ろから揺らす。
ブルリと震えた身体を守るように身を縮めると、手袋をした両手をポケットの中にしまった。
「これだけ寒いと雪でも降りそうだな」
どんよりと重たい雲が広がり暗い空。
それほど雪が降る地方ではないものの、年に数日は雪が降る。
もしかしたら今日がその数日になるかもしれない。
「あいつ、大丈夫かな」
俺は猫科の獣人なので比較的寒さには強いけれど、同居人はそうはいかない。
何せ寒さが苦手なあまり冬の間は完全引きこもりをしているほどなのだ。
細見の身体が真ん丸になるほど服を着込み、カイロを大量に貼り付けて、靴下は3重にして布団の中で震える姿は異常だが、それほどの寒がりだと考えれば多少の可哀想さも湧いてくる。
見た目は面白生物だが。
まあそれもしょうがない、何せ爬虫類系の獣人だ。
本来ならもっと南の温かい国に住む種族なのだが、訳あってこの国に滞在していた。
ガーと無機質な音を立てて自動ドアが開く。
生鮮食料品を保護するためひんやりしているはずの売り場すら、外の底冷えする寒さの影響か今日は温かく感じられた。
「えーと、……鍋にしよう」
猫舌ゆえ熱いものは苦手だけど、身体の芯から温まる鍋はこの時期のメイン料理だ。
それに材料を放りこめばなんとなく様になってしまうのもいい。
これで3日連続な気もするが、同居人も文句は言わないだろう。
温かければ何でもいいという状態だ。
「昨日はキムチ鍋だったし、その前は湯豆腐からの水炊きだったしなぁ。今日は魚かな」
順路になっている道を歩きながら買う気のない高い肉を横目に眺める。
種族柄、肉よりも魚の方が好きなのもあるだろうが、高いからこそ美味い肉というのにいまいち惹かれない。
魚の脂は平気だけど、肉の脂は胸やけしてしまうのは歳の所為だろうか?
(1枚2,000円もする牛肉なんて食べたら何日塩ご飯で過ごせばいいんだろう?)
実際に買う訳でも無いのに頭の中で計算してしまうのは、最近家計を気にしているからだろう。
冬の間無収入な野郎を養っているので節約が身に沁みついていて、何とも世知辛い。
タイとタラのパックを見比べて、タイをスッと置いた。
(タラ美味いし、タイ高いし、贅沢をするのなら鍋じゃない日にすればいい)
ちょっと、ほんのちょっとだけ後ろ髪が引かれる思い。
そういえば最近酒といえばもっぱら発泡酒で、ビールなんていつから飲んでいないのだろう?
(実家で梅採れるし、いっそ梅酒でも作ろうかなぁ……)
ちょっと甘めの梅酒になんのつまみが合うだろう?
チョコなんかもいいかもしれないし、意外と塩辛いつまみでもイけるかもしれない。
楽しい想像で尻尾をゆらゆらと揺らしながらレジに向かう。
外の寒さを思い出すまでは上機嫌で居られそうだ。
「ただいまー」
温かい部屋の空気を逃がさないように素早く扉を締めて、ハァと一息吐く。
外では真っ白だった息も家の中では白くはならない。
だけど流石に玄関は寒く、廊下を小走りに抜けるとリビングのドアを開いた。
「ただいま!」
「おかーえりー」
間延びした声はリビングの真ん中に据えてある炬燵の中から聞こえ、その姿は見えないものの掛け布団の端からピコピコと蠢くトカゲの尻尾が俺の帰りを迎えてくれる。
「顔ぐらい出せよ、ったく」
「ぎゃあ、寒い寒い、早く閉めて!」
「寒いなら炬燵をつけるだけじゃなく、部屋を暖める努力をしろよ」
あまりに情けない同居人に苦笑しつつ、石油ストーブに火をつける。
このストーブとの付き合いも随分長くなった。
点火スイッチはとっくの昔に壊れた年代物だが、マッチで火をつければまだまだ使える。
それに天板にやかんを置けば、加湿器も必要ないくらいの蒸気で乾燥を防いでくれた。
おでんを作れる大きい鍋でお湯を沸かすと漏斗を使って湯たんぽに注ぐ。
表面が熱くなるのと一気に熱が逃げないようにするためタオルで包むと、炬燵の端に2つ配置する。
これでじんわりと温かく、なにより炬燵にかかる電気代の節約になるのだ。
もぞもぞと布団の端が動き、緩慢な動きで炬燵から頭が生える。
髪の毛はぼさぼさでみっともないけれど、それでも元気な姿が見れて安心する。
「温かい……、生き返る。尻尾の先まで温かさが染み渡る」
「そうかそうか、よかったな」
プルプルと身体を震わせて温かい部屋を喜ぶ同居人におざなりに返事をしながら、もう一つのコンロにかけておいた土鍋に材料を放り込み、適当に下味をつける。
昨日面倒くさがらず昆布出汁を作っておいてよかった。
出汁がちゃんとしていれば多少手を抜いてもそれなりに美味しく食べられる。
器と箸を2人分用意して、汁を掬う用のレンゲ……、は味噌汁と同じお玉でいいか。
「鍋敷き用意して」
「ふぁーい」
のろのろと起き上がり壁にかけてあった鍋敷きを炬燵の上に置くと、どうぞと言わんばかりに鍋敷きを指差した。
アホの子だ、コイツ。
「ほい、お待ちどうさま。冷めないうちにさっさと食おう」
ストーブのお陰で寒くはなかったけど、俺も炬燵で温まりたくて早々に炬燵に入り込む。
ご飯は炊いてないけれど、冷凍していたご飯があるからアレを解凍して締めにおじやをすればいい。
足りなければモチもうどんもあるし何とでもなるだろう。
「ん?」
「お邪魔します」
俺が座った後ろから覆うように身体をくっつけ、腹をぎゅっと腕で拘束される。
細見だけど身長が高い分、ずっしりと重い身体に多少苦しい。そしてなにより……
「……せまい」
この炬燵の構造上、同じところに成人男性2人が入り込めるようになってはいない。
しかも背中に半ば圧し掛かられているのでとてつもない圧迫感だ。
「我慢して」
「なんで?! つか鍋冷めるんだけど!」
温かいうちが一番美味しいし、煮え過ぎたらタラから出汁が出てしまう。
美味しいうちに食べてほしいのは、作った者の一番の望みだ。
「エネルギー補給」
「は?」
だから、鍋を食べてエネルギー補給しろよと言おうとした俺の背中に、頭を寄せて小さくつぶやいた声は甘い。
「1日離れてて、寂しかった」
なんか、尻の穴がキュッとする。
こんな言葉、普通の奴が言ったら寒いだけなのに、なんで俺の身体は尻尾の先まで痺れるほど熱くなっているんだろう。
「お、おまっ! も、もう、好きにしろ!」
「うん。……ねえ?」
「なんだよ」
「凄く幸せ」
冬は働かないヒモのような同居人
節約が身についた世知辛い俺
壊れかけのストーブに、経費を削った鍋
タオルを巻いた湯たんぽに、ギリギリまで温度を下げた炬燵
「ん、俺も……」
寒いから仕方がない。
くっついているのは全部寒いから。
口実に
いい訳に
それらはすべて大義名分。
「幸せ」
今日があまりに寒いから
二人の距離がこんなに近くても
しょうがない、ね?
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