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◆短編
魔物はリンゴが好きだった
魔物は兄弟の中でも一等、阿呆だった。
魔力は誰よりも強く、体格だって誰よりも良かったのに、物事を考える力が少ないため同じ生まれの兄弟に馬鹿にされていた。

それでも魔物は気にしなかった。
正確にいうのであれば、気にするだけの頭が無かっただけかもしれない。



コンコンと小さく音が鳴り、キィと微かな音を立てて開いた扉から恐る恐るといった風に青年が中を覗いた。
額の少し上あたりからピンと生えた角は彼が人ならざる存在である事を感じさせるが、ここでは誰も気にしたりしない。

人も動物も魔物も平等に扱われるからだ。

魔王が支配しているこの国は支配という言葉が似合わないぐらい平和で穏やかであり、国民のほとんどが大きな不満なく暮らしている。
時折魔王に反感をもつ者が謀反を起こそうとするが、大体がただ魔王だから悪いと決めつけているくだらないもので、特に信念を持たない愚かな行為だった。

青年は魔王に憧れている。
強くて、賢くて、穏やかで、カッコ良くて、優しくて、自分には無いものを全部持っているように見えたからだ。

だからこうして魔王に仕えられる事が嬉しくて仕方がない。
仕事ぶりを労うように大きな手で頭をクシャリと撫でられると、角の先まで痺れるほど嬉しくてたまらなかった。



「そこで待っていなさい」

大きな影を作る大木の下でそう伝えた母親は冷たい目で魔物を一瞥し、兄弟たちは頷いた魔物をクスクスと笑った。
魔物はいつもなら自分からは話しかけてくれない母親が、魔物だけに話しかけてくれたのが嬉しくてコクコクと頷いた。

その時の魔物は気づかなかった。
自分が捨てられたのだと。

ただ魔物は大事な大事な約束を守る事だけを考えてその場に座りこむ。
まるで宝物を貰ったような気持ちだった。

自分の、自分だけの約束。

『馬鹿ね、貴方捨てられてしまったのよ?』

だから小さな声がそう魔物に伝えた時、それを信じる事が出来なかった。

『捨てるくらいなら、実らせなければいいのにね』

小さな声はその木に実るリンゴだった。
ただ風に優しく揺らされるまま生っている、リンゴだった。



「ま、魔王様、お時間です」

青年の今の仕事は、しばらく休憩すると部屋に戻った魔王に休憩の終わりを告げる事。
多忙な為に長い時間の休息を取れない魔王に青年はもっと休んでいて欲しいとは思うけれど、だれも魔王の仕事の変わりが出来ないのもわかっている。

青年の声が聞こえていないのか、目を瞑り規則正しく胸を上下させる魔王の傍に青年はしゃがみ込んだ。
近くなった距離にドキドキと鼓動が高鳴り、口の中の水分がなくなっていくのを感じた。



物知りなリンゴは魔物に食料の採り方を教えた。
勿論阿呆な魔物は覚えが悪く何度も何度も失敗したが、それでも生きる為に必死で覚えた。

そして寝る時はリンゴの下で丸くなって寝た。
一人で眠るのは寂しいけれど、木に生っているリンゴとは一緒に寝られない。
気まぐれにリンゴが歌ってくれる優しい鼻歌を子守唄に魔物は眠った。

リンゴはあまり優しくなかった。
魔物に『馬鹿ね』というのが口癖で、よく魔物の事をクスクス笑った。

だけど魔物がそれが嫌いではなかった。
リンゴがいう『馬鹿』という言葉や笑い方は何故だかとても優しくて、兄弟たちがクスクス笑っているのに感じる冷たさは全く感じられなかったからだ。

その日も魔物はなんとか獲物を捕まえて食べ、いつもの通りにリンゴの下で丸くなった。

『おやすみなさい』

リンゴの声は魔法のように魔物の眠気を誘う。
トロリと溶けて行く意識の中、魔物は幸せだった。



「あれ?」

ふと、魔王の頬に光るモノを見つけ、青年は肌に触れないよう爪を「それ」に添えた。
指先を濡らすそれは……。

「魔王様、泣いてる?」



『時間よ、起きなさい』

耳を擽る声を感じ、眠い目を擦りながら魔物が起きると木に生っているはずのリンゴが直ぐ傍に居た。
両手で掬い上げるようにして持ち上げると、リンゴはとびっきり優しい声でこう言った。

『私を食べて』

魔物は素直にコクンと頷いた。

リンゴはいつも自分にいろんな事を教えてくれた。
リンゴの言う通りにしていれば飢えに苦しむ事もなかったし、寂しさを感じる事もなかった。

魔物はリンゴを母親のように感じていたのかもしれない。
その言葉に一片の疑いも感じなかった。

魔物の牙がリンゴの瑞々しい果肉に突き立てられ、ジャクリと小気味いい音がして欠片が口内に運ばれる。

『ありがとう』

そう小さく告げてリンゴはもう喋らなかった。

一口、甘い果肉に喜んだ。
一口、喋らないリンゴを不思議に思った。
一口、涙が零れた。

そして手の中に残る、リンゴだったモノ。
胸がギュッと締め付けられるようで酷く悲しい感情に、魔物は別れを理解した。

リンゴは、罪の実とも知恵の実とも呼ばれる。
魔物は優しく甘い、罪の味を知って、泣いた。

その後知恵を手に入れた魔物は誰からともなく、魔王と呼ばれるようになった。



懐かしい音色に引き上げれるように意識が覚醒して目覚めを実感する。
うっすらと開いた視界の端で何かが動くのを感じた。
ぐっすり眠いっていたとはいえ、他者の気配に気付けないなんていつ以来の事だろうか?

「魔王様、おはようございます!」

「今、何か歌っていたか?」

魔王がそう尋ねると怒らせたとでも勘違いしたのか、青年は申し訳なさそうに身体を縮こませて勢いよく頭を下げた。

「う、煩かったですか?!」

「いいや、心地よかった」

青年の優しくて甘い歌声はリンゴの子守唄に良く似ていた。

今では魔王も理解している。

魔物に知恵を与える為にリンゴが自分を犠牲にした事
魔物が食べなくてもリンゴはそのうち腐ってしまった事
リンゴが自分を恨んでいない事

だけど悲しい。
リンゴの深い愛情に気付く事もなく口に運んでしまった事が。
リンゴの恩に何一つ礼を言えなかった事が。
もう会えない事実が。

「食べ物が食べられる瞬間、何を思うんだろう?」

「美味しく食べてねって思うんじゃないですか?」

「え?」

「だってどうせ食べられるなら不味いって思われるよりは、美味しいって思われた方がいいじゃないですか」

魔王の問いに青年は何一つ迷う事無く快活に答えた。
それは酷く自分本位でそうあって欲しいという青年の願望以外の何者でもない。

だけど

『ありがとう』

ああ、そうなのかもしれない。
リンゴは、とても、美味しかった。

「魔王様?」

「今日の夕食、」

「はい?」

「デザートにリンゴが食べたい」

「はい! あれ、でも魔王様ってリンゴ、お好きでしたっけ?」

魔王の好みを熟知しているのか青年は不思議そうに首を傾げる。
魔王は口元に笑みを湛えると、青年の頭をクシャリと撫でた。

「ああ、好きだよ」

魔物はリンゴが好きだった。
魔王はリンゴが、大好きだった。


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あきゅろす。
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