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◆短編
運のいい奴悪い奴
「あ」

ジャバジャバと無為に零れ落ちる液体を眺める事しか出来ない無力な僕は無気力で、どうして自動販売機の紙コップが出なかったのかなど考える元気すらない。
ふわりと香るコーヒーの香ばしさが嫌味に感じて、僕は深くため息を吐いた。

今日も残業で銀行に行く余裕もない上、給料日前の軽い財布の中に余分な金などなく、もう一杯のコーヒーすら買う有余がないなんて世の中世知辛い。
給湯室は勝手に使うと女性陣が嫌な顔をするから、水すら飲めないというのに。

(いや、最悪トイレで水を飲むという手も)

トイレに備えついている水道から出る水だって水には違いないのだが、なんとなくそれはタブーな気がする。
……なんとなく、なんとなく。

「はあ……」

「あの、コーヒー買わせて貰ってもいいですか?」

誰もいないと思った背後から急に声をかけられて、僕はバッと振り返る。
そこに居たのは女性社員たちがカッコいいとはしゃいでいた隣の部署の新人クン。

(うはぁ、身長たけぇ。180……いや185くらい?)

平均程度の身長に平均程度の頭脳、平均よりもちょっとだけ足は速かったけど平均よりスタミナはないなんていう凡の極みともいえる僕に比べてなんと上級な事か。
ああ、そういえば運だけは平凡より悪かったっけか。

「あの……?」

「えっ、あ、スンマセン! お邪魔しました」

「どもっす」

顔の前で手を縦に振って軽く謝ると、新人クンの前を姿勢を低くして横切る。
僕が邪魔をしていたのに新人クンは礼儀正しく頭を下げると、スッと前に出て迷いのない手つきで僕が飲む予定だったコーヒーと同じボタンを押した。

(いいガタイしてんなぁ、ジムとか通ってんのか?)

ピッとした姿勢の良さとシャツ越しからでもわかるほど無駄のない筋肉のついた身体を後ろからボンヤリ見つつ、運動なんてしなくなった自分の身体を指で摘まんでみる。
摘まんだそれはたるみというよりも皮で、最近残業ばかりで食生活が乱れたから不健康に痩せた証拠かもしれない。

「あ」

新人クンが取り出し口の扉に手をかけつつ、短い声を上げた。
もしかして彼もコップが出なかった口だろうか?

新人クンはしばらく何かをごそごそと弄っていたが、やがて困った表情の顔だけをこちらに向けた。

「あの、もしかしてさっき買った時、紙コップ出なかったりしませんでした?」

「したした。もしかしてキミも?」

「あ、いや、その……」

彼は気まずそうにポリポリと頭を掻きながら、手に持ったモノを僕に見せる。
それは、2つの紙コップ。

「俺のに2つ、ついてたんで」

「んが」

「……スミマセン」

新人クンは精悍な顔を怒られた犬みたいにしょんぼりさせて、大柄な身体を縮こめた。

申し訳なさそうにしているけれど、彼はちっとも悪くない。

不当に僕からコップを奪った訳でも無ければ、コップが出なかった僕をあざ笑ったりもしていない。
大体コップが2つあったって分け合う時でもなければ意味はないし、味が美味しくなる訳でも無く、資源をちょっぴり無駄にした感じがするぐらいだ。

「大当たりー」

「え?」

こんなちょっとした事を気にしては彼も可哀想だし、自分のキャラではないけれどおどけて誤魔化してみる。
部署こそ違うが同じ会社に勤めていたら会う機会も少なからずあるのに、顔を合わせる度に気まずい思いをさせたくはない。

「なんか得した気にならん? お惣菜のパックが2つくっついてた時とか、お弁当のバランが2つくっついてた時とか」

「いえ、特に」

「そう?」

普段と違うって事になんとなくお得感を感じてしまう自分は安いのだろうか?
あまり運が良くない分、こんなちょっとした事でも嬉しいと思ってしまうのかもしれない。

「……ありがとうございます」

「へ?」

「俺に気を使って下さって。先輩って優しいんですね」

「そ、そうかな」

爽やかな笑顔でニコッと微笑んだ新人クンに圧倒される。
ああ、穢れない感じに浄化されそう。

「あ、そうだ。先輩、これどうぞ」

新人クンは僕の手に空のコップを握らせると、その中にコーヒーを注ぎ始める。
えっと思う間もなくスマートに行われた動作は止める隙さえなかった。

「えっと、いいのか?」

「はい、きっとこうする為に2つ出てきたんですよ」

「ありがとう」

折角の好意を無下にするのもなんなのでありがたくコーヒーに口をつけると、今日はもう飲めないと思っていたからか普段より美味しく感じられた。

「はぁ、うまぁ……」

口元を弛めてほぅと息を吐いた俺を新人クンはニコニコと見ている。

「どうしたんだ?」

「俺って運がいいなぁって思いまして」

「ふぅん…?」

不機嫌じゃない方がいいに決まっているけれど、コーヒーの量が半分になったのに上機嫌だなんて変わった奴。
……だけど悪い奴じゃなさそうだ。

心地よい苦みを舌に感じながら、僕は自分の運の悪さが緩和されたような気がした。












まったく緩和されていなかった事に気付くのは、この件で仲良くなった新人クンに押し倒された後なのだけれども。

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