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◆短編
若頭と僕1
節くれだった大きな手で顎を掴んで上向かせると、男は僕を鋭い視線でギロリと睨んだ。
カタカタと小刻みに震える身体をなんとか鎮めようとするものの、自分の身体ではないかのように震えて止められない。

まるで蛇に睨まれたカエルだ。

「借金が返せないなら、身体で返してもらおうか」

口元をニタァと歪めた男の言葉は決して逆らう事を許さない強さがあり、僕にそれをはねのけるだけの力はない。
絶対的な力に絡め取られ、自分の未来が暗く閉ざされるのを感じた。





・・

・・・



「ああ、なんて不幸な僕っ!」

「いいからさっさと掃除しろよ、居候!」

両手でギュッと握ったほうきの柄を支えにして、よよと泣き崩れた僕の背後から怒りに震えた声がする。
チラリとそちらを窺えば眉間に深い皺をよせ、額に青筋を立てた若頭がそこに居た。

「あ、若頭。居たんですか?」

明らかに怒っているが、顔に似合わずあまり手を出してくることが無いのを知っている。
あくまでも『あまり』なのを強調しておこう。

今ではもう見慣れた顔だが、出会った初日は状況も相まってちびる程その顔が怖かった。
顔に傷がある人間なんてそうそういないし、僕にはそれまでヤクザの知り合いなんていなかったのだからそれも当然か。

「たった今、帰って来たんだよ。まったくこの居候はここの誰より最後まで寝て見送りはしねぇ、俺が帰って来たっていうのに顔すらださねぇ。いったいおめぇは何してんだ?」

「酷い、僕は一生懸命劣悪な環境下で労働しているじゃないですか」

口元に手を当てて殊更悲壮な表情をしてみせると、若頭は口元をヒクヒクと戦慄かせて笑った。
しかしその額には青筋が……、いや、先ほどより増えている。

「劣悪ねぇ……。本来ならお前の親父の借金で内臓売られてマグロ漁船にでも乗ってるはずの環境より、個室もあるし三食に勝手に昼寝までしてぬくぬく生活してる今が劣悪、か」

「あ、えっと、若頭?」

「俺は別に出ていってくれても構わんのだが、どうする?」

声の調子はまるで機嫌が最高潮にいいようなのに実際の表情は極悪人な若頭は、俺の服の襟首を掴んで持ち上げる。
首が締まらないようにはしてくれているのだが、プラン浮かんで足がつかない状態は怖い。

「わっ、わっ、嘘っ! 嘘です! 見捨てられたら死んじゃうっ!」

「わかってるならさっさと掃除して来いっ、ゴクツブシ!」

僕を下ろすと背中をバンと叩く。
一瞬息が止まりそうになるけれど、それは暴力ではなく彼なりの激励なのだとわかった。

「いってきまぁす」

「きっちり仕事しねぇと本当に売り飛ばしちまうぞ」

「ハイッ!」

実際はそんな事しないの、知ってるけどね。


裕福な家に生まれて何の不自由もなく暮らしていた僕が、唐突にどん底に突き落とされたのは半年前。

祖父から受け継いだ大きな会社を父が傾かせ、その父の死後に兄が潰した。
父は優しかったけれど他人と競うのが嫌いな優しい性格で、他人に騙されて金を大分使ってしまっていたし、兄に至っては自分に商才がないのを認めずにワンマンで会社を立て直そうとして逆に潰す結果になった。

時代が悪かったのもあると思う、こんな不況でなければもっと余裕を持った商売が出来ただろう。
だけど時代が、と嘆いても今を生きていく以上この時代と折り合いをつけていかなければならない。

それが出来なかった時点で兄も僕もどん底に落ちるしかなかった。
社員のほとんどが潰れかけた会社を見限って辞めていたのが幸いと言うべきか。

兄の行方は知らない。
僕が気づいた時には既に兄は居らず、僕は一人取り残されていた。

温室育ちでぬくぬく育った僕に生活力はない。
最低の状況にどうすればいいのかの判断すらできず、ただ僕はその場に座りこんでいた。

冷たい床を指で撫で、その冷たさがそのうち自分に染み込んで何も考えなくて良くなればいいと、ただそう思っていた。


そんな僕を救ってくれたのは、随分と柄の悪い、顔に傷のあるヒーロー。


「お、坊主」

「あ、くみちょー」

ぼんやりと庭で落ち葉を集めていた僕に、頭の禿げたおじいちゃんが話しかけてきた。
人のよさそうなおじいちゃんに見えるけど、実はこの組の組長でみんなに恐れられていたりする。

「おうおう、今日も掃除してんのか? いいこだなぁ、じいちゃんがチョコやろうなぁ」

ガシガシと僕の頭を撫でた組長は何に納得しているのか知らないけれど、うんうんと頷いて和装のたもとを探ってお菓子を取り出した。
そこらのコンビニやスーパーで売っている何の変哲もないお菓子を差し出すと、組長はにっこりと笑う。

「もう僕も高校生だし、子供じゃないんだけど」

「じゃあチョコはいらねぇんかい?」

「……食べる」

僕に甘い物を食べる機会は意外と多い。
三時のおやつの時間まで用意されているほどだ。

だけどそれとは別になんとなく、こういう駄菓子は心惹かれる物があった。
昔はそんなモノ食べるなんて身体に悪いって禁止されていたけれど、今は特に咎める人はいない。

口に含んだチョコからは何故かきな粉の味がした。

「どうだ、美味いか?」

「美味しいけど、なんできな粉なの?」

「知らん、新製品だって書いてあったから買った。そうか美味いのか、俺も一つ食ってみるかね」

そういうと組長はチョコの包みを開けてポイと口に頬り込む。

(このクソじじい、僕を毒見係にしたな)

本当に危ない物なんて飲ませないだろうけれど、ちょいちょいこういう悪戯を仕掛けてくる。
油断ならないじじいだ。


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あきゅろす。
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