◆短編
きれいごと3
通されたホテル部屋は天井の高い特設の応接室で、この日の為に前もって予約してあったからか私好みの花が飾られている。
「準備が出来るまでしばしお待ちください」
従業員はしつけが行き届いており、美しい所作で私達に向かって深々と頭を下げた。
やはりこのホテルにして良かった。
以前使っていたホテルは従業員の態度が悪くもう二度と使う気がしない。
私がもう使わない旨を話したら取締役が土下座しながら何事かを詫びていたが、一度失った信頼を薄汚い頭を下げただけで取り戻せると思っているのだからおめでたいものだ。
「あの、充希さん。ここはなにかあるんですか?」
広い部屋に落ち着かないのか、清彦は部屋の中をウロウロしたり椅子に座っては立ちを繰り返す。
昔動物園で見た熊が餌を貰おうとあんな動きをしていたのを思い出し、思わず笑ってしまう。
「少し待っていなさい、直ぐに来るから」
「来る?」
清彦が不思議そうに首を傾げたのと同時に部屋の外からバタバタと足音が聞こえてきた。
柄にもなく緊張して、コクリと唾を飲み込むと、酷く自分の口内が乾いていて喉がひりつく。
「お兄ちゃん!」
勢いよく開いた扉の向こうからやってきた少女は、部屋の中を確認するとぶつかるような勢いで清彦に抱き着いた。
黒く長い髪を空に投げ出した彼女の腕は震えている。
柄にもなく、彼に好かれたいと思ったので彼に好かれる為に努力をしてみた。
興味も縁もない清彦の妹を探して、助け出すなんて本当に自分らしくもない。
助け方が金なのがこの上なく自分らしいけれど、表向きは警察に保護させたので世間体も悪くはないだろう。
彼女が上玉だったお陰と年齢が少々幼すぎた所為で、趣味の悪い成金の慰み者にならずに済んだのは幸いだった。
もし彼女が壊れていたら清彦に会わせたって喜んでもらえないので、壊れる前に救出出来たのは幸運だ。
「……充希、さん」
少女を抱きしめ茫然としていた清彦が、不安げに私を呼ぶ。
今起きている現実を受け止められないのか、小刻みに身体を震わせながらゆっくりと私に視線を合わせた。
「行方不明だと聞いて探していたんだ。ようやく見つけ出せてね」
よくもまあ、こうスラスラと嘘を吐けるものだと自分で自分に感心してしまう。
大事な清彦だというのに私は嘘を吐く事にためらいも罪悪感も抱いていない、むしろそれが正しい事だとすら思っているのだ。
この嘘は彼を傷つけない。
なのに、
それなのに
「ありがとう、ございます」
まるで条件反射のようにお礼の言葉を紡ぐ清彦は、なぜか酷く傷ついた顔をしていた。
離れたくないと泣く少女を保護士の女性に預けて帰宅の途につく車の中、なぜか私は広い車内で清彦の押し倒されている。
長年勤めている運転手がギョッとして車内に搭載されている護身用の警棒に手をかけたのを視線で制すると、彼は小さく頷いて運転に戻った。
「……どうしたんだい、清彦」
「…………」
うつろな視線は私を見ていないような、はたまた私しか見ていないようなそんな色をしていてゾクゾクしてしまう。
こんな状況なのに不謹慎だろうか?
「妹も、……一緒に暮らすんですか?」
清彦の唇からポツリと零れた言葉は、注意していなければ聞こえない程小さく、直ぐ傍で運転している運転手にも聞こえていないだろう。
普段ははっきりした口調の清彦にしては珍しく、またその苦しげな表情も珍しいものだった。
さっしの悪い私には彼がどうしたいかわからないし、何故そんな顔をするのかもさっぱりわからない。
「一緒に暮らしたいの?」
正直に言えば、嫌。
清彦と2人で暮らす生活は邪魔されたくないし、私は基本的に子供が嫌いで、いまでこそ考えられないが、初めてみた時は清彦ですら薄汚い餓鬼だと思っていたくらいなのだから筋金入りだ。
だけどもし、清彦が一緒に暮らしたいと言うのなら我慢できる。
考えるだけで胃液がせり上がりそうだけど。
「……、だ」
「え?」
「いや…だ、やだっ、嫌だっ!」
まるで子供が駄々をこねるように目をギュッと瞑り、ブンブンと首を振った清彦は大きな声で叫ぶように言った。
「き、清彦?」
「やだ、充希さんが他の人に触るなんて嫌だ!」
「触る?」
触る、触る……、もしかして身体検査の事だろうか?
あれは実際に検査出来ている訳ではないし、清彦だけにする悪戯なのけれども。
それに清彦の口ぶりからすると、妹に触るのを嫌がっているというより……、
私が触れるのを嫌がっている?
「触れない」
「え?」
「清彦の妹には触れる気はないよ。それに一緒にも住まない、養父母を探す予定だ。勿論養父母は私が信頼できると判断した人間だし、清彦が望むなら面会も自由にしてあげる。だけど一緒には住まない」
「充希さん……」
「嫉妬した?」
まるで恋人のような会話だと苦笑した私に、清彦はコクンと素直に頷いた。
「はい」
・
・・
・・・
え?
「わがままだとは分かってるんです、でも充希さんに触れて欲しくないと思ってしまうんです」
「う、うん、じゃあ触らないようにする」
「はい」
凛々しい表情を綻ばせた清彦はそれはそれは愛らしい笑顔で、状況も忘れて私はドキドキさせられてしまう。
もしかして私は自分の都合のいい妄想の中に居るのだろうか?
ちらりとそちらへ視線を向けると運転手は何かを諦めたかのように首を振って視線を逸らした。
どうやら夢ではないらしい。
明日清彦が居ない場所で彼から苦言を呈されそうではあるものの、私は今酷く幸せで頭がおかしくなりそうだ。
世の中、金ではない。
……なんて綺麗事、たまにはまかり通るものらしい。
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