◆短編
青の風、豊穣の地4
「相変わらずだな、埴生」
「すまないな、蘇芳。青嵐が小僧の使い程度も使えん所為で迷惑をかけてしまって」
埴生と呼ばれた鬼は持っていた鍬を蘇芳に渡すと、大きな身体を器用に折り曲げて頭を下げた。
その仕草は大きさとの違和感も相まって、不思議と可愛らしく見えてしまう。
「なんの。わざわざこんな僻地まで来てもらえるだけでありがたいものだ」
蘇芳は受け取った鍬を軽く振るい、その品に満足したのか満足げに頷くと大柄な鬼に笑いかける。
その表情は柔らかく、蘇芳とその鬼が親しい間柄である事をうかがわせた。
先ほどの青嵐の様子から、はにーと呼ばれたのがこの鬼だろう事は承知したのだが、いまいちピンとこない。
しかし何かが引っかかる。
「埴生、はにゅう、……はにー?」
もしかして青嵐なりの洒落?
「あの阿呆はまだそんな事を言っているのか。異国かぶれで浮かれているから配達の品を忘れるというのに。ところでお前は人間か?」
「あ、ああ。真白という」
「儂は埴生、まさかこの穴の底で生きた人間に2度も会うとは思わなんだ」
埴生が言っているのはおそらく蘇芳の母親の事だろう。
自分を攫ったはずの男を愛し、種族の違いすら超えて子を成し、短くも確かな生を生きた女性を語る埴生は懐かしさに目を細めた。
「彼女の前ではあの残酷非情な鬼が借りてきた猫のようにおとなしくなってしまうのだから、笑いがとまらんかったな」
「蘇芳の父親とは仲が良かったのか?」
「義兄弟のようなものさ、若い盛りには2人でやんちゃしたものだ」
「やんちゃ……」
彼らのやんちゃは人間からしてみると暴虐の限りな気がするのだが、深く詮索する気にはなれない。
狩人として獣の血を見る機会は多かったが、流石に同族の血生臭い話はご遠慮願いたいものだ。
ぴくりと肩を軽く震わせ、機嫌がよい様子だった埴生が不機嫌そうな表情で振り返る。
蘇芳にとっては優しい叔父のような埴生だが、彼にとってはそうではないようだ。
「痛ったぁ……、ハニー手加減してくれんのやもん」
どこかでぶつけたのか頬をさすりながら水浸しの青嵐が帰ってくる。
流石に力ない足取りで、水も多少飲んだのかその表情は疲れ切っていた。
青嵐が軽く身体を捻るとぶわりと湧き上がった風が、濡れた身体から水を弾き飛ばしていく。
空に浮いた水滴が光を弾き、幻想的に辺りを彩った。
「手加減なんぞする訳なかろうが、殺されなかっただけありがたく思え」
「いけずぅ、でも好き!」
「気味の悪い」
バッサリと切り捨てる埴生の口調はいっそ心地がいい。
軽快な青嵐と荘重な埴生は正反対ながら、なかなか良い組み合わせに感じられる。
「届け物も終わったし、儂らはもうそろそろお暇する」
「え、帰ってしまうのか」
「久しぶりに来たのだからゆっくりしていけばいい」
折角知り合えたのにもう別れてしまうのは寂しいし、家主である蘇芳も引き留めている。
俺としては蘇芳の幼い頃の話を聞いてみたかったのだが、埴生は柔らかく首を振るとそれを拒んだ。
「そう言って貰えるのはありがたいが、どこぞの阿呆の所為で予定外の外出してしまったから、儂の部下が混乱し始める頃合いだ」
「うっ、言外に責められとる」
「言外どころかお前の所為だと責めている」
先ほど以上に攻撃する気はないのか、ぎろりと睨んだだけで埴生は手を出さない。
青嵐も慣れているのか曖昧に笑いながらも、反省した様子はあまり感じさせなかった。
「今度は時間を取って訪問させてもらう」
「楽しみにしている」
表情には出ないものの蘇芳の声に少し寂しさを感じるのは、きっと勘違いではないだろう。
蘇芳の父親が亡くなってから俺がここに来るまでの間、ここに来るのは彼らだけだったのではないだろうか?
彼らはきっと蘇芳にとってとても大事な人なのだ。
「真白」
埴生が胸元を探ると小さな包みを指先でつまんで俺の手の中に落とした。
カシャと硬質な音を立てたそれは、硬いのに軽い。
しゅるりと紐を解くと、包みの中から甘い匂いがほわりと広がる。
一欠けらを指でつまむと小さなそれは、まるで天に浮かぶ星のような形をしていた。
「これは?」
「菓子だ、異国の文化は好かんがそれだけは気に入っている」
埴生の視線に促されるように指でつまんだ欠けらを口に含むと、欠けらはほろりと形を失くし、舌に爽やかな甘さを残した。
あっというまに口から消えてしまったのに、あとに残る甘さが程よい余韻を伝えてくれる。
「美味い」
「それはよかった、甘い物が好きなら次に来る時に持ってくる土産が選びやすい」
スッと伸びた埴生の大きな手が子供にするみたいに俺の頭をグリグリと撫でる。
大人になった今、こんな風に子ども扱いされるのはもう何年ぶりかわからないが、不思議と嫌な感じは受けず、心に温かくて懐かしい気持ちを残した。
俺から離れた埴生の手は、無造作に青嵐を掴むと放り投げるようにして肩に乗せる。
青嵐も慣れているのか体勢を崩すことなくその場に収まった。
「じゃあまたな、なにかあれば呼んでくれ」
「なんもなくても呼んでくれてええんやで?」
「ああ、またな」
軽く手を振る蘇芳に倣って手を振ると、肩の上の青嵐が手を振り返してくれる。
出会ったばかりで別れるのは寂しいが、またという言葉のお陰か悲壮感はない。
彼らはきっとまた来てくれるだろう。
埴生がしゃがみ込み強かに地を打ちつけると、強い揺れと共に地面が隆起する。
あまりの光景に口を開けたまま伸びていく地面を見上げると、埴生達だと思しき小さな影がピョンと飛んでいくのが見えた。
そして何事もなかったように地面は戻り、残されたのは俺と蘇芳だけ。
ただ1つ手の中に甘い菓子を残して、何事もない日常が帰って来た。
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