◆短編
溺れる火
しゅ、と微かな音をたて指が動いたのに合わせ、私の身体がゆっくりと形成されていく。
主様の芳醇な魔力を受け取って実体化した私は彼の指差すまま、身体に軽く力を入れて行燈に火をつけた。
「ご苦労」
「あい」
力弱い火の式神である私は主様の手のひらに乗る程度の大きさしかなく、行燈に火をつける仕事ぐらいしか手伝える事はない。
役立てないならせめて不興を買わないようにと主様に向かい深く頭を下げた。
「きゃ、…にあっ!」
書物を読んでいたはずの主様が、下を向く私の頭を指先でくんと押し下げる。
小さな身体の私は安定を失って床にポスンと膝をついた。
「ぬ、主様?!」
乱れた髪を押さえながら彼の方をみれば、彼はにまりと口元を歪めて意地悪な表情で笑う。
悪人のように見えるその顔に、私はゾクリと身体を震わせた。
実際あまり評判の良い人ではなく、私以外の式神は呪術や疫病を司るモノが多い。
それ時自身が悪いものでなかったとしても主様はそれを悪事に使う悪人だ。
だとしても私は彼の式神である事を一欠けらも後悔などしていないのだけれども。
「相変わらずの他人行儀でつまらんぞ? もっと気軽に話せ」
「で、ですが、私は主様にお仕えする式でございます。礼を払うべき主に気軽になど」
「硬い、まったく硬い。それに俺が許可しているのに何をためらう事がある?」
主様は私の頬を指先でグリグリと揉んだ。
その行為に痛みはないけれど、頬を弄られるくすぐったい感触に私は身をよじらせる。
身体の元が火である私に怪我をする事無く触れられるのは契約者である主様だけで、主様と契約するまで私は誰かと触れ合う事がなかった。
だからだろうか。
主様の手はとても暖かく、蕩けるように心地よくて、私の意識はトロリと淀んだ。
「で、でも……!」
それでも必死で距離を保とうとする私を主様は困ったように見つめ、不思議そうに首を傾げた。
「身体までつなげたのにまだ足りんか?」
「ぎゃあっ!」
あまりに露骨な主様の言葉に思わず大声をあげた。
羞恥で顔が真っ赤に染まっているだろう事は見なくてもわかる。
(そうなのだけれども、そうなのだけれどもっ!)
突然主様に求められた時は驚き、拒みもしたけれど、時間をかけてゆっくり理解していけば彼の誘いを断り続ける事は困難だった。
私の性別は男性寄りではあるものの、明確に男ではない事、契約者の命に逆らえない事。
なによりも悪人である彼の真摯で優しい面を見てしまった。
「なんだ、俺と番ったのを後悔しているのか?」
悲しそうに表情を曇らせる主様に首を振って見せる。
後悔するぐらいなら彼の腕に抱かれたりしない。
だけど私は式神なのだ。
身体は小さくて顔立ちも幼いけれど、人間である彼よりもずっと高齢で力も弱い。
大火を起こせるほどの存在ならば胸を張って傍に居られたのだけれども、行燈係程度にしか使えない私など傍に似つかわしくない。
本来なら彼の隣には美しい女性が似合うはずなのに、
……私がそばに居てはいけないのに。
「なんでお前が泣きそうな顔をしてるんだ?」
「申し訳、ありません」
触れる手の優しさを知ってしまった。
伝わる熱の温かさを知ってしまった。
響きあう鼓動の嬉しさを知ってしまった。
もう、離れられるはずがない。
眦にたまった涙が頬を伝ってほろりと落ちた。
1人で居た時は寂しくても涙なんて流れた事はなかったのに、主様と居るだけで胸がきゅうっとして泣けてしまう。
「火の式神でも涙が流れるんだな。あまり泣くと目が蕩けてしまうぞ?」
「んっ!」
ちゅ、と音を立てて主様の唇が私の涙を拭っていく。
優しい唇の感触が私の頬に、耳に、唇に触れて、
「ぬ、主様っ!」
更に下へと向かおうと動く。
慌てて主様の下から抜け出すと、主様はちぃっと行儀悪く舌打ちをした。
「なんだ、もう正気に返ったのか。もう少し泣いていろ」
「言っている事がおかしくはないですか?!」
「どうせお前は素直に俺のいう事など聞き入れはしない。だが結局俺の事を拒みもしないだろう?」
「な、なんでそう思うんです!」
「そりゃあ頬に少し触れただけで、そんなに幸せそうな顔をしていればなぁ」
「?!」
主様の言葉で弾かれるように自分の顔に触れた。
そんなに露骨な表情をしていただろうか。
彼に気取られる程あからさまな……。
(距離を保たねばいけなかったのに)
いつ彼が力弱い私を必要としなくなってもいいように。
彼が私を切り捨てる事に心を痛めないように。
私の精神が契約の終了と共に壊れてしまわないように。
「……、嘘だ」
「え?」
・
・・
・・・
え?
「お前のその騙されてくれる素直さが愛い」
「〜〜〜〜ッ! 主様ッ!」
彼はまさしく悪人で、今もその笑い顔には意地悪さが滲み出ている。
ニヤリと笑う口元なんか凶悪そのもの。
それなのに彼はとても幸せそうに見え、私の胸は今もまたきゅうっと締め付けられて、泣いてしまいそうになる。
それはまるで器に入りきれない幸せが涙になって溢れる出るみたい。
「そうやって怒っている顔も可愛いぞ」
次々に注がれ溢れそうになる幸せで溺れてしまいそうだ。
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