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◆短編
猫とちくわとホームレス4
オハギさんは久住の口元に手を添えると、逆の手で久住の背中をさする。

「ほら、出しちゃいな。いつまでも口の中にあると辛いだろ?」

「んん゛ッ!」

久住は顔を赤く青くしながらもオハギさんの手を拒む。
私だって毛玉が溜まった時や悪いモノを食べた時はちゃんと吐けるのに、久住は吐き方を教わらなかったのかしら?

まったくお子様ね。
私に心配させるなんて召使い失格よ?

「ニャア(しっかりしなさい、久住)」

「シャルまで心配してるし」

「もが、……んぐ」

久住はなんとか飲み込もうとしているけれど上手くいかないらしく、喉が無駄に上下する。
時折ギュッと瞑られる目の端からは涙がこぼれた。

「出せない?」

「ん」

久住はコクリと頷く。
素直な反応はまるで小さな子供みたい。

「口を軽く開いて、ね?」

「う……、あ」

しばらく悩んでいたようだが、自分ではどうしようも出来ないと判断したのか、そろそろと口を開いた。
うっすらと開かれた口の中で紅い舌がちらりと覗く。

「じゃあちょっと我慢してね」

「ひう?!」

オハギさんは久住の顎に手を当てて顔を固定すると、なんの躊躇もなく久住に口づけた。
流石の私もそれにはびっくりして尻尾の毛がボワッとなってしまった。

「ん……、む。んく……、この味苦手だった?」

結構上手くできたんだけどなぁ、なんてオハギさんは呟くけどそういう問題じゃないわ。
私は猫だから詳しくないけれど、人間ってこうやって口をつけるのは特別な相手だけってテレビで言っていたわよ?

「苦手……、だけど! な、何を?!」

「へ?」

「なんであんな……、あんなっ!」

久住の慌てぶりからもオハギさんの行動が突飛な事がわかる。
こんなに真っ赤な久住の顔は初めて見たわ。

「あんな?」

オハギさんはなんで久住がこんなに慌てているのかわからないようで、不思議そうに首を傾げた。
説明しようにも上手く言葉が見つからないらしく久住はパクパクと口を開閉させる。

「あ、ごめん! つい昔娘にやってた癖で」

「ニャッ?!(娘?!)」

「む、娘?」

さらっと言ったオハギさんの爆弾発言に私も久住も盛大に驚く。
だって娘って事はオハギさんは子持ちで、……あら、でもオハギさんの年齢ならおかしくない?

でも住所不定無職の子持ちはどうなのかしら?

「そうそう。15歳の時の子供だから戸籍上は相手の私生児って事になってるけど間違いなく俺の子。2歳ぐらいまでは一緒にいたけど、相手が結婚するから離れ離れになっちゃった」

「相手が結婚って……浮気、ですか?」

言葉を紡ぐのを久住は一瞬ためらう。
自分の言葉で相手を傷つけないか心配だったのだろう、それでも興味に勝てなかったのか、久住は目に不安の色を湛えながらもオハギさんをジッと見つめた。

「どうなんだろう、でも俺は納得したなぁ。前にヒモしてたって言っただろ? その人なんだけどね、俺を養いつつ子供も産んじゃえるぐらいバイタリティのあるエリートだったから、自分のキャリアに役立ちそうな相手を選んで結婚したよ」

「オハギさんはそれで良かったんですか?」

「良いも悪いも、まあヒモの父親が居たら子供の為にならないし、俺も物凄く好きっていうのとは違う気持ちだったから普通に受け入れられたよ」

柔らかく笑うオハギさんはいつもと同じ顔で笑う。
なんだか怖いぐらいにいつも通り。

そう、怖いわ。

もう記憶はあいまいになりつつあるけれど、私にだって親が居て愛された過去がある。
もしなくしてしまったら悲しいし苦しい。

だけどオハギさんは大事なはずのそれを失くしてしまっても全く悲しさを感じさせなかった。
もっと言えば悲しさはおろかあらゆる感情を感じさせない。

(何も思ってない……)

生物が本能として持っている筈の感情が欠落しているのだ。
オハギさんは優しいけれど、どこかが壊れている。

「オハギさんってどういう人なんですか?」

久住もどこか恐怖を感じたのだろう。
久住の声が私には少し震えて聞こえた。

オハギさんは視線を上に向けて何かを考え、口角をクッと上げてニヤリと笑う。


「人間のクズ」


その表情は笑顔なのにどこか底知れなさを感じさせた。
言い知れぬ不安に荒れた毛を舐め、心を落ち着かせようとする私の身体を久住が慰めるように撫でる。

「久住君を見てると彼女や娘を思い出すよ」

「似てるんですか?」

「顔や性格は似てないけど、エリートな所とか意外と幼い所とか似てるかな」

形を確認するようにオハギさんの手が久住の頬に触れ、輪郭をなぞった。
久住を見つめるオハギさんの視線は穏やかで、振れる指も労わるように優しい。

指はゆっくりと動き、顎のラインをかすめて唇をなぞる。
それは何気ない動きなのに、なぜかむず痒いいやらしさを感じさせた。

「君も逃げた方がいいよ」

「な……、んで……」

「だって気に入っちゃったから」

まったく理由になっていないのに、それが正当な理由に聞こえてくるから恐ろしい。

逃げろと言いながら、オハギさんはジワジワと久住との距離を詰めてくる。
まるでスローモーションのような動きで近づいた身体は、見る角度によっては久住の身体を抱きしめているように見えた。

「早くしないと食べられてしまうよ」

ゾクリと背筋が震えるような低い声が部屋の空気を震わせる。
緊張した久住のコクリと唾を嚥下した音が私の耳に妙に大きく聞こえた。

「食べるって、なに、を」

久住の不安そうな声にはオハギさんはすぐに答えず、舌で自分の唇を舐めて濡らす。
食事前の肉食獣のような獰猛さを感じさせる仕草に、久住の身体が反射的に逃げをうった。

だけどオハギさんは久住が逃げるより早くその身体を抱き寄せて、首筋に軽く唇を当てて唸るような声で囁いた。

「将来」

私、知ってる。
こうなったら逃げられない。

まるで善人みたいな顔をしているオハギさんは、獲物を捕らえてとても幸せそうに笑う。
草食の皮を被った、獣。

「ひうっ」

そして久住は逃げようなんて考えられない。
だってオハギさんと居る時の久住はとっても幸せなんだもの。

今まで知らなかった新しい刺激。
誰かを頼れる快楽。
自分を受け止めて貰える安心感。

底知れぬ不安を補って余りある、大事な人。

「オハギ、さ……」

久住の震える手がオハギさんの背中に回り、恐る恐るといった手つきで洋服をキュッと掴んだ。

人間って、同じ性別でも繁殖するのかしら?
そういう話は今まで聞いたことがないけれど、不勉強だったわ。

それにしてもお気に入りの召使いが幸せなのはいいけれど、あんまり見せつけないで欲しいものね。
主人に対して失礼だと思わないのかしら。

「あ、ぁ……」

「……ニャァン」

まったく、ちくわだけじゃ安かったわ。

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あきゅろす。
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